「注 射」.2

2020.01.17 Friday 18:43
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    しかるに、この毒素は全く医家の言うがごとく、白米中毒である。
    白米中毒の原因は、糠を絶無ならしめたのが原因であるから、糠を服用すれば、最も簡単にして費用を要せず、全治するのであるから、何を好んで薬剤や注射のごとき、苦痛と手数と費用を要するの必要ありやである。
    しかし我療法によれば、普通は二、三回重症にても十回以内にて全癒するのである。
    これについて大いに注意すべき事柄がある。
    それは、多くの医家は、白米中毒の脚気と、腎臓萎縮の為の尿毒によっての類似脚気とを混同しているという、診断の不正確が多い事である。
    これは全然別箇の病症であって、この差別の不知な為に、恐るべき結果をさえ来す例が屡々(しばしば)あるのである。
    その一例として左記のごとき患者があった。
    某高貴な婦人、年齢四拾歳位、二、三年間歩行不能、しかし匍匐(ほふく)して入浴をなし、坐して食事を摂り得る位の事は出来得たが、たまたま、日本有数の大病院の主任博士の診療を受けたるに、脚気との診断にて、六十回の注射をすれば全治するといい、注射四十回に及ぶ頃、全く起居不能に陥り、寝返りさえ打てず、ほとんど寝床に、膠着(こうちゃく)せるごとくになってしまったので、患者は驚いて注射の継続を拒否したのである。
    そうしてその状態は、更に恢復せず、その時より約一ケ年位経た頃、私は聘(へい)されてその状態を見、経過を聞いて驚いたのであった。
    これは尿毒性類似脚気を、白米中毒の脚気と誤診したが為であった。
    右の起居不能は注射の中毒に因る事は、一点疑えないところである。
    故に、この患者を治癒するには、その注射薬剤を除去するより方法は無いが、短期間には奏効不可能であるので、どうしても、肉体の新陳代謝による自然消滅を待つより外は無いので、その旨を患者に詳言して、一時手を引いたのである。
    かくのごときは、実に同情すべき不幸であると共に、医学の不明か、診断の不正確か、いずれかであろうが、注射療法のいかに恐るべきかを痛感したのである。
    小児百日咳に対し、よく注射療法をするが、これらも非常な誤りである。
    何となれば、元来百日咳の病原は、人間は生れながらにして、一種の毒素を持っている。
    その毒素を排除しなければ、発育と健康へ対して、障礙(しょうがい)となるから、その毒素を排除する工作、それが百日咳なのである。
    従って、その毒素排除に要する日数が百日掛るという訳である。
    これは、咳嗽と共に白色の泡のごとき液体を排除する。
    それが毒素である。
    これが多量の時は、嘔吐によって排泄するのである。
    故に、咳嗽そのものによって、毒素を排除するのであるから、この場合咳嗽こそは、最も必要であるにも不拘(かかわらず)、医家はこの咳嗽を軽減させようと努力する。
    故にもし咳嗽が軽減さるればされただけは、毒素排除量が減少されるから、治癒は遅延するのである。
    自然に放置すれば、およそ百日で治癒すべきに、医療を受くる結果、非常に長時日を要し、半ケ年にも一ケ年にも及ぶ者さえあるのは、全くこれが為である。
    又、この誤療の為予後何ケ月も、時によっては何年もの慢性咳嗽患者、又は肺患者になる事実さえ往々見るのである。
    これによってみるも、医学の未完成による注射の弊害こそは、実に恐るべきものである。
    小児疫痢の注射に対しても、私は賛成出来ないのである。
    なぜなれば、注射によって生命を取止むるよりも、生命を失った方の実例が、余りに多い事を知っているからである。
    生後数ケ月の嬰児に対し数十本の注射をして、死に到らしめた例は、度々見るのである。
    その他、ジフテリヤ、肺炎、丹毒(たんどく)、瘍疔(ようちょう)等の注射も、好結果の実例はあまり聞かないのである。
    ただ、痔疾と梅毒の注射は、ある程度の効果は認め得るのであるが、その効果といえども、我療法に比すれば何分の一にも及ばないという事を言い得るのである。
    その他未だ各種の注射療法があるであろうが、大体大同小異であるから、右によって想像されたいのである。
    これを要するに、注射の功罪は、一時的は効果あれども、最後は反って病勢を悪化する懼(おそ)れあるのが実際であるから、根本的治療から言えば、注射を行わない方が良いのである。」 (「新日本医術書」より)

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