救世自然農法.1

2019.11.17 Sunday 08:51
0

    一、御教えのとらえ方(比嘉照夫)
     明主様の御教えを理解させていただく場合に、大事な事は、より根本的な教え、そこから分かれて出る教えというように、教えにも根となるものと、幹となるもの、大枝、小枝となる教えがあるということです。自然農法についての御教えの場合、」「自然即神」という解釈が一番根本にあり、次に「地上天国建設」という目的命題があって、それから各論に入っていくわけです。
     しかし、人によっては各論は重視して言葉尻にとらわれ、例えば明主様が肥料迷信を打破するために強調された言葉を憲法のごとく解釈してしまうことがあります。
     自然という大前提を考えた場合、人畜の排泄物も自然に産物であることには間違いありません。明主様が強調されていることは、糞尿を有害な状態、土の能力を失わせるような状態でそのまま使うことは良くないという事です。そのままでは衛生問題の原因になり、地力が低下し、作物が不健康になり、その結果、人間にもよくないということになります。つまり、糞尿や化学肥料などにも頼り過ぎることを根本から戒めておられるのです。
    二、自然をどう捉えるか
     自然農法では、EM(有効微生物)を人工的に培養して入れること自体、反自然ではないかという質問がよくあります。しかし、これは自然についての定義が十分に出来ていない時に起きる大きな誤解です。
     人間の技術が入らず、自然任せで作物が十分育つ地球上の面積は4分の1もありません。地球の4分の3は非常に自然が厳しく作物もろくにできない土地です。北極も、砂漠も、標高の高い山頂も自然です。
     明主様の説かれた自然農法は、自然のあらゆる原理を活用して、人間の健康や環境を守り、人口増加に対して責任をもって食糧を過不足なく供給するという農業ですから、経済性も生産性も低く、人類の幸福に責任がもてないような農業では自然農法ではないわけです。また、自然農法は放任主義ではありません。自然に対応して人間の生命や環境を守り、同時に経済行為でもあるという原点を忘れると、進むべき方法を間違えてしまいます。
    三、自然の三大原則
     生命進化は無機物から始まり、微生物に到達し、それから霊性を持つ人間まできて、最終的には神様に行き着く進化の過程を歩んでいます。この進化の原則を自然と言っています。
    第一の原則 自己矛盾を生まない。
    第二の原則 自己矛盾が生まれた場合には、矛盾を解決していく能力がある。
    第三の原則 進化したレベルを安定的に維持していくために、子々孫々に遺伝子を伝えていく自己複製能力がある。
    この3つの大原則を自己完結的にクリアしているのが自然の姿です。
    四、EMは蘇生の方向性を持たせる
     EMとはイフェクティブ・マイクロオーガニズムの略で、微生物という意味の頭文字です。有用微生物群、または有用微生物群と言っていますが、完結的な生命の一番小さい単位です。
     バクテリアなど生命の一番小さな単位には、2つの方向性があります。一つは蘇生の方向で、ものをイキイキとさせていく、もう一つは破壊の方向で、ものを病気にして腐らせていく、自然界にはこの2つが常に平衡して存在しています。どちらが強いか弱いかによって、病気になるか健康になるかが決まるわけです。その方向性を蘇生型へ誘導するのEMの役割です。明主様もすでに、生きた健康な土にするための土壌動物や微生物の働きに対する認識をお持ちになっておられました。昭和26年に出版された小冊子『世界救世教教義 地上天国と自然栽培の巻』には諸外国の農業について報告が掲載されています。その中で、農業、化学肥料の及ぼす害とともに、生きている土の中には。ミミズや微生物が豊かな土にするための働きをしている点を紹介しており、明主様は「各国の学者も実際家も私の説を裏書きしている事実が分かった」と述べておられます。

    category:自然農法 | by:mistoshicomments(0) | -