日本人種の霊的考察.5

2019.04.18 Thursday 08:52
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     以上の如く、日本民族は大体四種類に分けられる。そうして先ず大和民族からかいてみるが、これは曩に述べた如く先天的平和主義で、闘争を嫌う事甚だしく、それが為当時の天下は実によく治っていたのである。勿論未開時代であるから、文化も至極幼稚ではあったが、不自由な生活の中でも、鼓腹撃壌の世の中であったには違いない。加うるに外敵に窺われる心配もないから、長い間泰平の世を貪って来たのである。処が一度素盞鳴尊の渡来に遇うや、一たまりもなく平和の夢は破られ、社会情勢は一変してしまった。それが数百年続いた揚句、今度は神武天皇との闘争を経て一段落ついたとしても、社会の底流には両派の反目が表面に現われないだけで、何となく不気味の空気を漂わせていたのは勿論である。又人口が殖えるに従い漸く諸般の制度施設等も始まって来たので、僅か乍らも年貢を取上げるに至ったのである。その様な訳で、有名な仁徳天皇の御製である「高き屋に上りてみれば煙立つ、民の竈は賑わいにけり」と詠じられたのは、余りに人民が豊かでないので、天皇は今日で言えば徴税を緩められたのであろう。
     処が、最初に述べたように、千余年の間は大した波乱もなく、先ず鎮静期ともいうべき時代を経てから、茲に一大革命的変化が起ったのである。外でもない彼の欽明天皇十三年に、仏教が渡来した事である。これによって俄然として画期的文化の興隆となった。それは仏教芸術が生まれた事である。そうして推古、飛鳥、天平、白鳳等の時代に亘って、絢爛たる華が咲いたのは勿論で、彼の聖徳太子の天才的建造物として、印度の七堂伽藍を模した法隆寺と言い、次いで東大寺に建立した大仏といい、当時に於ける仏教芸術の如何に盛んであったかを物語っており、今も尚我民族の誇りとして世界的に光を放っている。
     以上によってみても、不世出の平和の偉人としては何といっても聖徳太子に先ず指を屈すべきで、太子こそ大和民族の典型的聖者といってよかろう。
     次いで、藤原時代に入って、漸く天孫、出雲の両民族の争いの萌芽は人々の眼に触れはじめた。即ち、戦国時代に近づいた事である。併し乍ら一方大和民族中の勝れた人々は、文学的に活躍し始めた。源氏物語、枕草紙、徒然草の如き名著や、万葉、古今、伊勢物語等の日本独自の文学も次々現れて来た。紫式部、兼好、人麿、西行、芭蕉等は固より、能筆家としては貫之、道風、行成等の排出もこの頃からである。
     又美術に於ても、大和民族の特質を現わして来た。仏教芸術としての兆殿司、巨勢金岡、鳥羽僧正等の絵画や、空海、行基等の彫刻、その他無名の蒔絵師等であるが、蒔絵は天平頃から、既に見るべきものが生まれた。この技術は外国には全くなく、最も誇るに足る日本独特の美術である。
     茲で忘れてならない功績者としては、足利義満並びに義正であろう。金閣寺、銀閣寺を造ったのは有名であるが、その他当時支那美術を盛んに輸入した。特に宋元時代の名画に目をつけ、勝れたものを選び、東山御物として保存に努めた事によって、今尚国宝や重要美術として文化財を豊かにした業績は高く評価してもよかろう。そうして支那の絵画を範として成った日本絵画の基礎はこの時からで、それが狩野派の初めである。次いで鎌倉期に入るや、それまで微々としていた彫刻も、茲で完成の域に達した。主に仏教的のものではあるが、有名な運慶もその時代の巨匠である。
     

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