自然農法の勝利

2019.11.09 Saturday 09:21
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     今度新潟県佐渡地方の信者の、自然農法成績に関する座談会が開催されたその記事を読んでみると、今までにない快いものがあったのである。というのは自然農法に切換えた最初の年から、一人の減収もなかったという事実で、全部初年度から二年、三年と漸次増収しつつある報告である。しかも私の指示をよく守った人ばかりなのであるが、それは浄霊せずとも増収する事を、如実に示された点である。
     しかし他の信者でも私の説を守らない訳ではあるまいが、どうも長い間の肥料その他の迷信から抜け切れず、ともすれば私の説を軽視しがちで、自分の考えが幾分でも混ざるため、それだけ成績に影響を及ぼすのである。例えば水田は藁を細かく切れといってあるのに、非常に長く切ったり、その土地の習慣上堆肥といっても、糞尿とか馬糞などを交ぜたがる。また指導者の中にも自分の考えが多少混ざる事もよくある。といったように純粋堆肥を使わない人も幾らかあるようだが、充分注意されたいのである。
     という訳で本当を言えば、自然農法においては指導者の必要はないのである。何となれば私の説をよく噛み締めれば、それで充分解るはずだからである。そうして不徹底な人の多くは、技術面に関心を持ちたがるが、本農法に限って技術は大して重視する必要はない。常識で考えただけで沢山である。何よりもこの原理の根本は、肥毒を早く消滅さして、土自体の性能を発揮させればよいからである。


    「おけさ」の島の自然栽培回顧座談会

    場 所 新潟県佐渡郡川原田町諏訪町
             光陽中教会佐渡出張所
    司 会 光陽中教会副会長 I・T
    日 時 昭和二十七年三月一日午後七時より
    発言者 〔氏名略〕

     佐渡へ佐渡へと草木も靡く、歌の文句で世に識らる「おけさ」で名高い佐渡ケ島、新潟港を船出して佐渡に着く迄三時間、里数にすれば十六里、日本海の荒波が砕けるところ松青く、大佐渡小佐渡が霊と体、互に仲良く抱合す、島の囲りが五十三里、何か神秘の有りそうな。この佐渡ケ島に救世の神の福音伝えられ自然栽培実行する事三、四年、しかも一年目より減収者一名も無く、特に違うところは田圃に対しての浄霊はほとんどせず、明主様の御教え通り未信者でも自然栽培実施すれば必ず穫れると言う御教えを裏付ける結果を見させて頂き、信者でない人達にも参考に成ると思い座談会を開かせて頂きました。
     

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    自然栽培に就いて.3

    2019.11.08 Friday 09:28
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       以上のごとく理論からも実際からも、一点の疑問の余地はないのであるから、農耕者としたら何を措(お)いても一刻も速かに実行に取掛るべきである。そうしてここに誰も気のつかないところに今一つの重要事がある。それは硫安のごとき化学肥料や糞尿を用いる以上、それらの毒分は無論稲が吸収するから、今日の人間は毒入り米を毎日三度三度食っている訳であるから、その毒は健康上どのくらい害を及ぼしているか分らないのである。事実近頃の人間の弱さと病気に罹り易い事と、特に寄生虫患者が農村に多い事など考え合わす時、これが最大原因である事は考えるまでもあるまい。以上によって大体分ったであろうが、この肥料迷信発見こそ、国家国民に対し計り知れない一大福音であろう。
       次に栽培法について誤謬の点が相当あるようだから、ここにかいてみるが、本教信者になって私の説を読んだり、聞いたりしながらも、素直に受入れられない人もあるが、何しろ先祖代々肥料迷信の虜(とりこ)なっている以上無理もないが、この際それを綺麗サッパリ棄ててしまい、私の言う通りにする事である。それについても種子であるが、報告中にある農林何号とか、旭何々などとあるが、これは何らの意味をなさないので、自然栽培においては一般に使う種子なら何でも結構である。つまり肥毒さえ抜ければ、どんな種子でも一級以上の良種となるからである。要は肥毒の有無であって、信者中から何年か経た無肥の種を貰うのが一番いいであろう。その場合種子も近い所程よく、県内くらいならいいが、相当離れた他県などでは成績が悪いから止(よ)した方がいい。それと共に土の肥毒であるが、肥毒が無くなるにつれて快い青色となり、茎は固くしっかりし、分蘖も数多くなり、毛根も増え、土深く根張るから、倒伏も少なく、それらの点でよく分る。そうして堆肥についてまだ充分徹底していないようだが、最も悪いのは稲田に草葉を入れる事で、これは断然廃めた方がいい。稲作はいつもいう通り藁を短く切り、土深く練り込めばいいので、余り多くてもいけない。というのはそれだけ根伸びを阻止するからである。また度々言う通り藁には肥料分はない。肥料は土そのものにある事を忘れてはならない。つまり藁を使うのは土を温めるためで、寒冷地には使っていいが、温暖地には必要はない。これが本当の無肥料栽培である。
       それから土の良い悪いであるが、これも余り関心の要はない。なぜなれば悪土でも無肥なれば年々良くなるからで、連作を可とするのもこの意味である。また浄霊であるが、これは肥毒を消すためで、肥毒がなくなれば必要はない。以上大体気の付いた点をかいたのであるが、その他の事はその場所の風土、気候、環境、位置、日当り、灌漑(かんがい)、播種(はしゅ)と植付の時期等適宜にすればいいのである。最後に特に注意すべき事がある。それは自然栽培と信仰とは別物にする事である。というのは信者にならなくとも予期通り増産されるからである。それが信者でなくてはよく出来ないと誤られると、せっかくの本農法普及に支障を及ぼすからである。事実信者未信者を問わず効果は同様である事を心得べきである。従って浄霊も余り度々行わなくともよい。なるべく人に見られないよう日に二、三回くらいで充分である。つまり出来るだけ信仰と切り放す事を忘れない事である。

      『革命的増産の自然農法解説』昭和28(1953)年5月5日発行

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      自然栽培に就いて.2

      2019.11.07 Thursday 09:01
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         何しろ本農法は、従来のやり方とは全然反対であるから、容易に転向出来ないのも無理はないが、といってこれほど事実が証明している以上、信ぜざるを得ないはずである。以下それらを一層詳しくかいてみよう。まず我国民が先祖代々長年月肥料を施して来た結果、我国農地全部は汚され切っており、そのため土は酸性化し土本来の性能は失われ、人間でいえば重病人の体質と同様になっているのである。その結果作物は土の養分を吸収する事が出来ず、肥料を吸収して育つように変質化してしまったので、全く麻薬中毒と同様である。ところで今までとても農事試験場や農民の中にも、無肥耕作の試験をした事もあったが、何しろ一年目は非常に成績が悪いのでそれに懲りて止めてしまったという話は時々聞くので、この事なども肥料迷信に拍車をかけた事はもちろんである。そんな訳で耕作者は肥料をもって作物の食糧とさえ錯覚してしまったのである。事実自然栽培にした最初の一年目は葉は黄色く、茎は細く余りに貧弱なので、付近の者から嘲笑慢罵、散々悪口を叩かれ、中には忠告する者さえあるくらいで、もちろん肥毒のためなどとは夢にも思わないからである。ところが栽培者は信者である以上絶対信じているので、辛い我慢をしながら時を待っていると、二年目三年目くらいからようやく稲らしくなり、収穫は増えはじめ、しかも良質でもあるので、今度は嘲笑組の方から頭を下げ、自然組の仲間に入る人達も近頃メッキリ増えたという事である。そうして肥毒が全くなくなるのは、まず五年はかかると見ねばなるまい。その暁私が唱える五割増産は確実であって、これが六年となり、七年となるに従い驚異的増収となり、やがては十割増すなわち倍額も敢(あ)えて不可能ではないのである。というのは分蘖(ぶんけつ)は倍以上となり、しかも穂に穂が出るので、そうなったら倍どころではない。一本の茎の実付き千粒以上にもなろうから、到底信ずる事は出来ないのである。
         ここで米というものの根本的意味をかいてみるが、そもそも造物主が人間を造ると共に、人間が生きてゆけるだけの主食を与えられた。それが米麦であって、黄色人種は米、白色人種は麦となっている。それを成育すべく造られたものが土壌である事は、何人も否定する事は出来まい。としたら人口がいかに増えても、その必要量だけは必ず生産されるはずである。もしそうでないとしたら、必ずやどこかに大きな誤りがあるに違いないから、その誤りを発見し是正すればいいので、それ以外増産の道は絶対あり得ないのである。この意味において我国の人口が現在八千四百万人とすれば、一人一石とみて八千四百万石は必ず穫(と)れるはずである。ところが現在は平年作六千四百万石としたら、二千万石は不足している訳で、この原因こそ金肥人肥のためであるから、その無智驚くべきである。ところが喜ぶべし、私はこの盲点を発見し、ここに自然農法が生まれたのであって、これによれば五カ年で五割増産となるから九千六百万石となり、優に一千二百万石は余る事になる。しかも肥料も要らず、労力も省け、風水害にも被害軽少で済、現在最も難問題とされている虫害はほとんど皆無と同様となるとしたら、その経済上に及ぼす利益は何千億に上るかちょっと見当はつかないであろう。この夢のような米作法こそ開闢(かいびゃく)以来いまだかつてない大いなる救いといえよう。私はそれを立証するため、数年前から多くの農民を動員し、実行を奨励した結果、予期通りの成果を得たので、ここに確信をもって天下に発表するのである。しかも報告者の宿所姓名まで詳記してあるから、不審のある場合直接本人に打(ぶ)つかって訊けば何よりである。

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        自然栽培に就いて.1

        2019.11.06 Wednesday 08:53
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           今までに本紙農業特集号を出したのは、一昨年と昨年と今回とを併せて三回になるが、年々自然栽培耕作者が多くなると共に、その報告も増え、今回のごときは付録として四頁(ページ)も増したくらいである。そこで報告書〔略〕を一々読んでみると、成績は益々よく収穫が増すばかりか、品質も良好となりつつある事で、これも当然とはいいながら喜ばしい限りである。それがため、この実績を見て今まで迷っていた農民達も次々自然栽培に切換えるようになり、一村で一度三十一戸の自然栽培者が出来たという事である。また新潟県佐渡ケ島での実績は、揃って初年度から優良で、信者ならざる農民層がどしどし増える状態で、この分でゆくと数年ならずして全島自然耕作となるのは太鼓判を捺(お)しても間違いはあるまい。しかも別項のごとく〔略〕農林省東京食糧事務所業務第二課長山川達雄氏のごときは、自然栽培を知った二年前から、現地の状祝を審(つぶ)さに調査の結果、予想外の好成績に夢かとばかり驚嘆したそうである。何しろ今までの学理とは全然反対であるから、直に理解が出来ないため、頭脳の困惑に悩んだとの話であるがさもありなんと思われる。
           以上によってみても、最早良いとか悪いとかの論議の時期は、すでに過ぎたといってよかろう。従ってもしまだ疑念を持つ人がありとすれば、その人は欲のない変人としか思えないのである。そこで大いに考えなければならない事は、現在我国における人口増加の趨勢であるしアレ程骨を折っている産児制限を尻目にかけて益々増える一方である。その上敗戦によって狭められたる国土の事をも思う時、到底安閑としては居れないはずであるにもかかわらず、私は昨年も一昨年もこの特集号を農林大臣始め、各大臣、国会議員、新聞社、全国の主なる農事関係者に配布したが、余り関心を持たれないとみえて、相変らずの誤れる農耕法を続けているのである。そのため一力年数百億に上る金肥は固(もと)より、農地改良費や奨励金等合計すれば実に巨額な支出となるのはもちろん、増産何年計画などといって大童(おおわらわ)になっているが、サッパリ効果が挙がらない事実である。しかもこのような計画は余程前から何回となく繰返しているが、いつも計画倒れに終っている。その証拠には昨年など豊作といいながら、平年作を僅か上廻ったにすぎないのであるから、最早従来の農耕法ではどんなに工夫し骨折ってみても駄目との烙印を捺(お)されている訳である。それだのに確実に大増産が出来る我自然農法を知らしても、蔑視してか研究しようとする気振りもない。それというのも宗教から出たという取るに足らない理由からでもあろうが、まことに困ったものである。そんな訳で政府は何だかんだと種々の対策を樹てては失敗し、年々巨額の人民の税金を無駄に費消しているのであるばかりか、米の輸入も年々増え、現在ですら年二千数百万石の輸入とその代金一千億以上を払うのであるから、寒心に堪えない国家的悲劇である。この悲劇の原因こそ長い間の肥料迷信のためである事で、別項多数の報告〔略〕によってみても充分認識されるであろう。そうして事実を目の前に見ながら、躊躇逡巡(ちゅうちょしゅんじゅん)躊(ため)ろう人も信者の中にさえ相当あるくらいであるから、その根強さは驚くの外はないのである。何よりも思い切って最初から私の言う通り実行した人は、予期通りの好成績を挙げ得たので、なぜもっと早く実行しなかったかと後悔するくらいである。
           

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          自然農法

          2019.11.05 Tuesday 08:46
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             今日、日本人ならみんな知っている事だが日本は今、食糧が足りないと言って、政府も農民も一生懸命になっている。ヤレ金肥だとか、ヤレ人肥だとか言って、高い肥料を購(か)って、作物ヘブッかけているが、どうも思うように収穫がない。ヤレ水害だ。ヤレ虫害だと言って苦しんでいる。今年は正に豊作だなんて言って喜んでいるが、それでたった六千二、三百万石と言うのだから実に情ないではあるまいか、一体全体八千三百万の人口をかかえて六千万石とは丸ッ切り問題にならない。神様は人間一人の食扶持(くいぶち)は、年一石としてあるんだから八千三百万の人口なら、確実に八千三百万石穫(と)れなければならないはずだ。だからそれだけ穫れないとしたら、不思議というより外はない。従って神様に向かって大いに談判してもよかろう。神様は人間をドシドシ増やしておきながら、それだけの食い物を与えてくれないなんてどうしたものか、これでは人間は日乾になるばかりだ。神様よ吾々の命をどうして呉れるんだ。一体人間を作ったのは誰なんだ。造物主だか神様だか知らないが、食〔わ〕なきゃ生きていられないように、作っておきながら、生きるだけの食い物を宛(あて)がわないなんて、あんまり酷すぎるでは御座いませんか、神は愛だなんてよくいうが、それはもはや信じられない。一体どうして下さるんです、とまあー仮に神様に向かって談判するとすれば神様はこう仰言るだろう。まずアッハッハーとお笑いになられ、目を開かれて「オイオイ、お前達人間共よ、何を寝呆けているんじゃ、儂はチャンと食うだけ穫れるように、立派な土というものを拵えてやってあるんだ。それをどう間違えたものか、お前達は鼻も撮(つま)めない、臭い臭い糞尿などブッかけたり、そうかと思うと硫酸なんていう劇物や、小便粕みたいなアンモニヤなんていう汚いものを有難がってブン撤くじゃないか、だから土は散々汚されてしまうので、どうする事も出来ないのだよ」。そこで土が言うには「いくら俺自身が働きたいと思っても、汚され切ってしまったんだから、手も足も出ないじゃないか、だから人間がこれに気が付かないとすれば、俺は時節の来るまで我慢して碌々(ろくろく)働かないで、じっと待っているばかりだよ、実に人間くらい馬鹿な奴はないと呆れているんだ。可哀想だと思っていくら人間が食うだけのものを作ってやりたくも、手足を縛られていては、どうにも働けないのだから、俺は苦情をいいたいが、人間と違って喋舌(しゃべ)る事が出来ないので困っていたんだ。ところが今度メシヤのオッさんが大いに同情して、それを人間共に知らしてやると仰言るので、これ幸いとこの通り頼んだんだよ。だから早く目を醒まして、これからは余計な事をしないで、土をウンと奇麗にして作ってみなさい。今の倍や三倍はお茶ノコサイサイだよ。また虫が湧いたといい、ヤレ消毒薬などといって変な粉をブン撒くが、これも可笑しいよ。なるほど虫は死ぬが、その粉が土に浸み込むので、土は弱って反って虫が湧く因になるんだ。実にこれ程の馬鹿野郎はあるまい」と土はホザクんだから、「人間共よこれで少しは判っただろうから、今度メシヤの親父によく聞いてみなさい。しかしこの頃はどうやらボツボツ判った百姓もあるので、儂もやっと胸を撫で下したという訳だよ」とのお言葉である。
             このような神様の御託宣であるから、百姓君よ、もういい加減に我を捨て、鼻を折って、親父の言う事をきく事だよ。そうすれば米なんか今までの倍くらい出来るのは屁の河童(かっぱ)だよ、その上働くのも今までの半分で済むから、まず四倍の徳〔得〕になるという訳だ。どうです農民諸君、こんな素晴しい自然農法というものが出来たんだから、一日早ければそれだけ徳になるんだよ。だから素直に言う事を聞くのが、利巧というものだよ。
            『世界救世教早わかり』昭和25(1950)年11月20日発行

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            地球は呼吸する

            2019.11.04 Monday 09:24
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               あらゆる生物は呼吸しているという事は誰も知っているが、実は植物も鉱物も、その他万有はことごとく呼吸している。そうして地球も呼吸していると言ったら、ちょっと意外に思うかも知れないが、左に説くところによってなる程と肯くであろう。
               そもそも、地球は一年に一回呼吸する。息をはき始める時が春で、漸次吐きつつ極点に達した時が夏である。地球の吐く息も人間と同じように温かい。それは地熱の放散によるからで、春になればそれが濃く、万有は生育しはじめ、まず草木が萌え始める。あらゆる物は上方に向かって伸び、人間も浮き浮きする。夏になるに従い草木はいよいよ繁茂し、極点に達した時、今度は地球が息を引き始めるから、草木は凋落し、万物はすべて下降状態となり、人間も冷静になる。それがまた極点に達したときが冬であって、これが大自然の姿であるが、地球が吐く息は地の霊気で、科学でいう窒素であるから、草木が成長するのである。この窒素なるものは、不断に上昇しつつ空気の存在する高さまで上昇集積され、雨によって再び地中へ還元する。これが天然の窒素肥料である。この意味において、空中から特に窒素を採り、それを肥料にすることは過っている。なる程、一時は窒素肥料によって作物の収穫が殖えるが、長く持続するときは、土壌は窒素中毒を起こし、痩土と化す。その理由は、窒素過剰結果として土壌自体の活動力が鈍化するからである。人も知るごとく、窒素肥料は第一次欧州戦争のとき、ドイツにおいて発明せられたものであるが、戦時に際し一時的収穫を増そうとする場合、その目的に適うからよいが、戦争が済み、平時となればやめるべきである。
               次に、太陽の黒点について昔から種々論議されているが、これも太陽の呼吸運動である。黒点は十一年目に増大するといわれているが、増大する時ははく息が極点に達した時である。また今までよく言われた、月の光は太陽の光の反射であるとされているが、同様太陽の燃えるのは、月からの水気による事を知らなくてはならない。また、月は二十八日で盈虧がすむが、これも月の呼吸運動である。

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              ユダヤ医学と物質文化.8

              2019.11.03 Sunday 09:07
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                 神武天皇以来いろんな戦争で、平和より戦争の方が多かったのです。それから権力争いです。そういう事のために下積みになっていた。私は大和民族の頭領なのです。ですからこれからいよいよ大和民族が出てくるのですが、大和民族というのは日の系統です。いままでの世界というのは月の世界、夜の世界だったからして、月が出ている間は太陽は地球の裏側になって暗闇になっていたというのが、今度愈々太陽が出て、月の夜が隠れてしまう。そこで昼の民族というのが大和民族です。大和民族の中心というのが私です。それで日の神様が守護しているのです。それで火素が出て病気が治るという事になるのです。(8148)
                 根本は世界的大浄化で、大浄化は汚れたものを掃除するのであるから、汚れたものは危ない意味になる。霊的に曇りの少ない人は救われるので、できるだけ曇りを少なくする。それにはどうしても根本的信仰という事になるそして人間全体が神に手を合わすこととなる。「世界の人民は一旦は顔が青くなるぞよ」とある。…
                 メシヤという神は国常立尊という審判の神様で、これは永久的のものでない。ある時を限られたお働きで、長い。
                 一厘の種はメシヤとは違う。神様のやられること、計画は非常に深く絶対分らぬ。経綸は最高の神たる国常立尊様でも分らぬと仰せられる。経綸の主体は大弥勒の神で、この神が経綸の中心である。キリストや釈迦もぜんぜん判らぬ。必要だけの事しか判らぬ。神秘である。最高の神でも判らぬ。お筆先に「神界の事は判らないと思う人は判ったのである」と。
                 世界の種々な事は、根本の神から出ているので、人間が気をもんだり、とやかく言うのも馬鹿馬鹿しい。最高の神の経綸は、善悪両方を造って操っておられるのが神である。今度は随分苦しんだが、怒っても仕方がない。神様が使って、立派な仕事が出来てゆく。ただ悪魔は一時的で勝たぬ。いままでは神が勝つのが遅かった。今度は早くなって五六七の世になる。(3353)
                 本当の大きい事からいうと九分九厘…神は一厘になっている。悪の方が一厘でも勝つとすれば、世界は崩壊している。そこで九分九厘と一厘…あるいは神は十全とね。だから大本教のお筆先に「大本は一厘の仕組みであるから、一厘の御霊が出たら世界はひっくり返るぞよ」というのがある。一厘で、手の平を返す。で、一厘というのは、つまり私なんですよ。これは先にも話したことがあるが、ある人から古銭…天保銭を一枚、五〇銭銀貨、昔の一厘銭を一枚と、三つもらったことがある。天保銭は年号は書いてありませんが、…大本教の教祖というのは天保年間に生まれた人で、聖師様は明治四年に生まれた。そうすると、五〇銭銀貨というのは、明治四年なんです。私は一厘だから一厘銭をもらった。だから、大本教の教祖は経の御魂…変性男子ですね。変性女子は聖師様で、聖師様は緯の御魂であるからとね。経と緯を結んで、真ん中のポチだね。つまり心棒みたいなものが一厘になるわけです。で、一厘で手の平を返すと言うのは…私がやっていることは、一厘で手の平を返す事になる。いままでのあらゆる間違った文化ですね…それをはっきりさせるために…ひっくり返っちゃう。ただ、理屈だけじゃ駄目だから病気は薬をなくして治して健康にしてしまう。それから、食糧でも…作物でも、肥料を使わないで増産する。農業をひっくり返しちゃう。それから、犯罪は魂さえ神様と繋がれば犯罪はなくなる。と、みんな一厘でひっくり返すという意味になるんだね。夜の救いが昼の救いになる。つまり、暗が昼間になるというわけですね。神様の方はそういうふうに決まっているんだからね。(4370)

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                ユダヤ医学と物質文化.7

                2019.11.02 Saturday 09:38
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                   立春の日には組織が変った。…いまは観音様のお働きは出来ない。祝詞にも、応身弥勒と化し、メシヤとならせと入れた。観音様はメシヤとならせられ、観音様のお働きはメシヤになる。観音様は東洋的であり、世界的のものではない。
                   世界人類の救済からゆくと、メシヤ教はよほどキリスト教に近くなる。いずれはそうなるべきだが、漸く時期が来たのである。(3346)
                   釈迦は経(たて)で、キリストは緯(よこ)で、これが結んで神の働きになる。これもよく合っている。キリストは緯であるから広い。仏教は経であって、緯の働きは無い。
                   メシヤは、最後の審判のとき、救いに出る事になっている。キリストの時代、イエスがメシヤか否かということになり、メシヤではないという事になった。そしてキリストもメシヤなりとは言わなかった。万人の罪を負って、十字架に立ったと言った。(3347)
                   イエスは、万民を過らした罪の贖いとして贖罪主となった。そして200年後にヨーロッパへ拡がった。もし贖罪で罪が人類より消えるなれば、すでに天国になっていなければならぬはずである。
                   キリストはイエスより1000年前に生まれた。それが再臨するわけである。キリストは救い主で、罪の赦し主がメシヤで、日本でいう国常立尊である。(3356)
                  キリストは…「再臨のキリスト」ということも、予言されてますがね。これは黄金の国ですね。つまり日本ですね。黄金の国に再臨するという事になっている。
                   いま言っているキリストは、イエスですね。イエスとキリストは違うんですがね。…キリストはイエスが出るよほど前に出ているんだから、再臨するというのは、その方が再臨するというんですね。(5269)
                   素盞鳴尊は私に御詫びしなければならないことがある。素盞鳴尊は一人ではない。御詫びしたのも、しないのもいる。神素盞鳴尊は私の先祖に対し、ひどく罪がある。(4091)
                   キリストも観音様も同じ事ですよ。キリストは西洋の観音様、観音様は東洋のキリストです。だから、あんたの娘さんが洋服を着たり、和服を着たりするのと同じだと思えばいいんです。(2094)
                   ミカエルの意味は、言霊学上からいうと、身を変える、すなわち応身ということであって、つまり、私の働きであるからである。(5448)

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                  ユダヤ医学と物質文化.6

                  2019.11.01 Friday 08:53
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                     そこで仏というのは神の化身です。化身ということはインドは大自在天が支配していた時、バラモンというのがインドですから、そこに仏教を弘めなければならないというので、最初稚姫君尊と素盞鳴尊が行って仏教の基礎を作った、そこに伊都能売神皇が行った。それを化仏化神と言う。そのとき天の八人のお子さんで五男三女と言う、これが八大龍王になる。なぜと言ってそのとき五男三女というのは、自分はインドに行くのは嫌だと言ってどうしても日本にいると言う。仏はいずれ仏滅の世になると言うので龍神になってそれを待たれた。日本の近海ですね、越後と佐渡の間だとか、東北の方にもあるし、房州と関東の間の海、九州の有明、そういう所に飛び込んで時を待った。それが八大龍王です。そうして総大将が伊都能売神様ですね。それが日本に帰ろうと思ったところ、いま読んだように帰れないので霊で日本に来て自分も仏滅まで隠れていると言うので、先にも言った通り近江の琵琶湖に入り琵琶湖のそこに龍神となられて、これが金龍ですね。それで霊でも霊と体がある。霊の体の方は木花咲爺姫(このはなさくやひめ)で、そうして富士山に祀られている。それから琵琶湖の方が伊都能売金龍として隠れている。このことは先に書きましたが、そうして時を待たれた。そうして約三千年、本当言うと二千六百年ですが、これが最初三千年のつもりだったが神様の方で力を強くしたんですね。…大本教のお筆先にありますが、「遅き速きはあるが一度神の申したことに違いはないぞよ」…もう一息ですね。(4025)
                     国常立尊が閻魔大王で3000年の間霊界で観ていられた。それが今度出たお筆先に、「今度は国常立尊が此世の閻魔になり世の立替を致すぞよ」というのがあり、立替とは審判です。だから今度は俺を使って国常立尊が審判をするんだと思った。(4027)
                     観音様が出世されて光明如来様になり、また出世されて日月地大御神様になる。出世というのは世に出ると書くでしょう。これが本当の出世になる。神様が表面に出るというのですね。(4057)
                     伊都能売神は観世音となり、観音は大日如来となると、御教えいただいておりますが、『信仰雑話』には大日如来は天照大神とございます。…
                     そうです。伊都能売神が天照大神を御守護しているわけですね。つまり、伊都能売神の中に火の働きが入っているわけです。伊都能売神というと、火と水になる。火の方が天照大神になるというわけですね。水の方は月読尊になるわけです。(4195)
                     この花姫には二色あり、兄花咲耶姫と木花咲爺姫である。兄花は一番先に咲く梅であり、木の花は桜で観音…仏界のお働きであり、神界のお働きは兄花咲耶姫である。(3348)
                     花の王は梅で、花の兄である。「三千世界一度に開く梅の花、開いて散りて実を結ぶ」とお筆先にある。大本は重要な役目をもって出た。
                     国常立尊はメシヤであられ、閻魔大王であられる。「神は此世の閻魔と現われるぞよ」ともある。(3349)

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                    ユダヤ医学と物質文化.5

                    2019.10.31 Thursday 09:08
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                       ここに伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子供で五人としてあるがもう一人ある。もう一人というのは伊弉諾尊という神様は国常立尊になるんですね。息子に国武彦尊(くにたけひこのみこと)というのがありそれが一番長男になる。当時大将軍と言い勇猛でかなり勝手な事をやっていたその罪によって、言わば地獄に行かれたようなことになる。一番末が初稚姫尊(はつわかひめのみこと)と言い、これが天理教祖の中山みきとなる。そういうように幾度も生まれ変っている。大将軍の妹になる。そこで霊界で地獄と言っても普通の人間と違います。修行するんです。修行した結果、大いに世の中のためになろうと言うので天理教祖の中山みきに憑った。それで中山みきに最初憑ったのはその大将軍が憑ったんです。そういう因縁なんです。そこで最初のうちは力がありますから病気治しもさせたが、その力によって良く病気も治った。それで最初は病気治しで世の中に出たんです。それからもう一つ日本民族の霊的考察のなかにありますが、そこにもっていってそれを出雲系…素盞鳴尊が利用した。利用して、そうして盤古神皇に取って代わろうとしたわけです。それが徳川家康の系統なんです。…それからもう一つ書こうと思って止した事があるいまの稚姫君尊(わかひめぎみのみこと)ですね。これがこの次に書きますがお釈迦さんですね。ですから釈迦、阿弥陀というのは伊都能売神皇がインドに行かれて観自在天というお名前になられ、霊は釈迦と阿弥陀となった。阿弥陀は素盞鳴尊です。そこで稚姫君尊は釈迦になる。そこで釈迦は変性女子(へんじょうにょし)と言われたというのは稚姫君尊だから女になる。それで弥勒三会にあります「鐘の音」というのがありますが、三人の弥勒というのは釈迦が報身(ほうしん)、報いるという字です阿弥陀が法身(ほっしん)弥勒、観音は応身弥勒、これが三尊の弥陀になる。ところが弥勒三会というのは大本教になる。大本教はその為に出た宗教です。大本教祖出口なおと言う方は釈迦の稚姫君尊です。大本教のお筆先にあるが「直の御霊は半分は国常立尊、半分が稚姫君尊である」というのはそういうことです。出口王仁三郎聖師様この方が阿弥陀になる。それで自分は月の神様で、瑞月という名前をつけたんですね。だから寂光の浄土と言いますね。月の天国と言うんですね。そんなようなわけで、大本教の教祖さんが釈迦になる。そうして聖師さんが阿弥陀となる。そこの二人に生まれたのが私です。私が応身弥勒ですね。この三人が合った。これは誰も知らない。…分ったら大変だからね。そんなようなわけで応身の弥勒と言うのは観音です。そこで観音会をつくった。観音を芯にしてやっていたからね。つまり大本教は天理教と姉妹教になる。それで大本教では天理教の教祖を祀ってやっている。教祖さんの出口なおの妹になる。で、その親が伊弉諾尊…国常立尊になるわけですね。なかなかここのところは不思議です。すっかり分ればなんでもないが、なかなかね。(4024)
                       

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