「日本式医術」

2019.12.10 Tuesday 09:13
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    「世界各国の人種は、それぞれの特色があって、日本人は日本人、中国人は中国人、西洋人は西洋人としての違いさがあるのである。
    ここでは、日本人と西洋人だけに関して、説明をしてみよう。
    本来、日本人は、霊が主で体が従であり、男が主で、女が従であるのである。
    西洋人はその反対で、体主霊従、女主男従である。
    これが根本をなして、知らず識らずの間に、衣食住は固より、風俗、習慣、道徳等が、成立ったものである。
    しかしながら、ここに注意すべきは、体主霊従の総ては、永遠の存在は不可能であって、霊主体従の道は、永遠に繁栄するものである。
    それは、体主霊従は罪悪と闘争を生み、霊主体従は、愛と平和を生むからである。
    西洋医学は、この体主霊従が基本である。
    それが、物質的手段に依って治癒せんとする方法になったものである。
    故に、外観上、日本人の体格よりも西洋人の方が、優秀に見えるのは、体的のそれが為である。
    従って、病気を治す場合、元来が体が主である西洋人には、物質的治療は、ある程度は奏効するものである。
    それと反対に日本人は、霊が主である以上、体的療法は逆であるから、効果の無い事は当然である。
    この点を認識しない以上、西洋医学では、日本人の病気は治らないのみか、反って悪化するものである。
    近来、日本人の結核や近眼の激増、乳児死亡率の多き、弱体児童漸増等は、これを物語っているのである。
    しかしながら、体主霊従である、西洋人に霊主体従は不可(きか)ないかと言うと、これは、そう言えないのである、森羅万象の法則は、霊主体従であるから、西洋人といえども、これに漏るゝ事は出来ないから、効果は必ずあるのである。
    この故を以て、世界人類すべてを救う医術、それは、霊を主とするところの、日本式医術でなくてはならない。
    本療病術こそ、それであるのである。」 (「明日の医術・新日本医術としての岡田式療病法」より)
     

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    「現代人の短命」

    2019.12.09 Monday 09:35
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      「現在日本人の平均寿命は、四十四歳であるという、元来、百二十歳まで生きらるべき、定命としては、余りに短命である。
      ほとんど、天寿の三分の一しか、生きられない訳である。
      たまたま七十八十まで生きる人は、長命として、大いに祝うのであるが、かような人世へ対して人は何ら、疑問を持たないのである。
      それはその原因も、方法も、発見し得ないから、止むを得ず、諦めて居るので、それがいつしか常識にまでになったのであろう。
      しからば、この短命の原因は、どこにあるのであるか、それを、これから説明してみよう、私が、多くの健康者も、不健康者も、調査してみるにおいて、実に、驚くの外ないのである。
      それは、あらゆる人々の肉体は、ほとんど、膿汁と毒血で充満していると言ってもよい位である。
      故に健康者といえども、いつ、大病が発生するや知れない、危険の状態に、置かれてある事である。
      私は現代人が、よく生を保って居るとさえ、思うのである。
      又、これに気が付かない現代医学も、不思議であると思う、極端に言えば青白い顔は膿汁の為のそれであり、色艶の好い、油切った顔は、毒血の逆上(のぼせ)とさえ、思うのである。
      もし、このままにして進まんか、実に国家の前途に対して、寒心と恐怖に、堪えない次第である。かような、汚穢に満ちた人間が、天寿を保ちあたわぬのは、真に当然である、近来、最も多い、神経衰弱、肺結核等は、膿汁のそれが、原因であり、脳溢血、中風、リョウマチス等は、毒血の多量に由るのである。
      故に、現代人の短命であるのは、その膿毒の為に倒れるので、その膿毒に堪えられないからである。
      たとえば、重い荷を背負って行く、遠路の旅人のごときもので、路半(なかば)にして、疲労と困憊(こんばい)の極、道端に昏倒する様なものである、
      何と情ないではなかろうか、獣類でさえ大方は、定命を保ち得るのに、万物の霊長と誇る人間が、天寿の何分の一しか、保てないと言うに到っては大いに考えざるを得ないであろう、にも係わらず、医学は進歩したというのである。
      この点において、今日の宗教も、無力であると言える、何となれば寿命を延ばしてくれる宗教は、ほとんど無いからである。それは、信仰者も無信仰者も、同じ様に病気に罹り、同じ様に死ぬのを見ても、あきらかであろう。
      現代医学も、現在の宗教も、無病者たらしむる事も、天寿を全うさせる事も、出来ないとすれば、その存在価値を、疑わざるを得ないであろう。
      本療病術とは、汚穢に満ちた人類を、浄化する事業である。国民の延命運動である。
      これは新日本医術の大療法を拡充する事によって、達成されるのである。そうして、人間が汚穢を取除かれたなら、ひとり、肉体の健康ばかりではない。
      霊体合一の理によって精神も健全になるのは、当然である。
      精神が健全になれば、その人の行為は、正しからざるを得ない。
      真の人間としての、道をふむ事になる。
      いわゆる、完全人間に成るのである。
      完全人間が多数になるに従って、国家社会は、健全なる発達を遂ぐるは、必然であろう事である。 (「明日の医術・新日本医術としての岡田式療病法」より)

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      「明日の医術」

      2019.12.08 Sunday 08:28
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        「本療病術は、実に、明日の医術である。現代における、西洋医術や、漢方医術と対比してその治病力の絶大さは、到底比較にはならないのである。
        そうして現代医学はあらゆる病原がほとんど不明で、風邪の原因すら今以て不明であるにみても、その大成は、前途遼遠である。
        又治療の方面を見ても、癌腫、盲腸炎等のごとき、膿の溜結が、明かに判明するに拘わらず、その膿の一滴すら、切開手術以外、除去する事が出来得ないのである。
        しかし仮に、除去し得たとしても、再びその患部及び隣接部に、膿の集溜をさせない方法は、絶対に無いのである。
        しかるに、本療法は、一滴の薬剤も用いず、何ら物的器具を用いず、ただ、指頭を皮膚面に触れるだけによって、癌腫も盲腸部の膿結も、全部溶解消失するのである。
        この場合、膿は解溶して、漿液に化するのであると共に、多少の残渣(ざんさ)は、尿又は糞便に混入して排除されてしまう、又、毒血の場合、その毒分は解消して、清浄な血液に変化するので、毒血を除去するのでないから、一滴の血も減少しないのである。
        又、医療によれば、順調の経過を執(と)るとしても、盲腸炎は、一二ケ月の時日と、手術入院料等に数百金を費さざるべからず、しかるに、本療法によれば、盲腸炎は三日以内に、全治し、費用も、数円を以て足りるのである。癌腫に至っては、医学上全治はほとんど不可能とされているに拘わらず、我療法に依れば、瀕死の衰弱者でない限り必ず全治するのである。何となれば余りに衰弱して居れば、癌腫溶解まで、生命が保てないからである。
        又、子宮癌は、二三回ないし五六回を以て全治し、胃癌は、一ケ月以内にて全治するのである。
        その他、肺炎は、一週間以内、赤痢、疫痢等も、五六日にて全治すべくその他、あらゆる病気は、右に準ずるとみて、想像されたいのである。
        いかなる難症的病気にても、罹病後、直に来る者は、大抵数回にて、全治するのであるから実に、百パーセントの治病成績と言っても、決して過言ではないのである。
        もし我療法によるも、時日を相当要するのは、いずれも、誤れる医療等によって、拗(こじ)れたるが故である。
         かくのごとく、偉大なる本療法の発生は、個人の幸福は固より、国家進運の上からみても、量り知れない利益であるは勿論、人類の理想である、病無き世界は、ここに可能となったのである。
        これが普(あまね)く、全般に、知識さるゝに及んで、現代医学は、大革命を起さない訳にはゆくまい。
        そうして、それが、一日早ければ一日だけ速く、全人類は、救われるのである。
         最後に、付加えたい事は、この療法は、習得すれば、何人にも、出来得るという事である。それは、一週間の実地講習と、およそ半ケ年位の、実地経験に依って、博士の持て余した病人が、治療される実績は、幾多の人々が、日々経験し、その奇蹟に驚歎、感謝して居るのである。(「明日の医術・新日本医術としての岡田式療病法」より)

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        「序論 人類救済の根本」

        2019.12.07 Saturday 08:55
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          「人類救済という言葉ほど、極めて大きく広いー又、温い響を与えるものは無いであろう、昔から、人類救済の為に尽した聖者賢哲は、無数であって、そのいずれもが多少の貢献と、相当の功績を遺(のこ)した事は、否めない事実である。
          しかしながら今、私が言わんとする事程絶大な救の事業はあるまいと思うのである、それは何か、他でもない、人類から病苦の悩みを、除去しようとする事である。
          いかなる人が、いかなる批判を下すとしても、病気を治すという事程、素晴しい救は無いであろう、宗教でも、医学でも、いかなる方法でもいい、病気を無くする事が出来れば、それは、未だ曾(か)つて地上に顕われた事のない絶大な功徳である。
          飜(ひるがえ)って今日の社会を凝視してみる時、何と悲惨なる世相ではなかろうか、今仮に一人の難病者が出来たとする、大抵は入院をする、手術をする、少くとも、それに数百金は要するであろう、それで全治すればよいが、なかなか治らない、遂に一年二年三年にも及ぶ時、最早、数千金を費消し尽されてしまう、その際、子女なら未だしも世帯主である場合、勤先は馘(くび)になるのは、知れ切っている、又、妻女である場合、家政婦か下女を、傭(やと)わなければならない、それやこれやで長年の貯蓄や積立金も費消し尽して、なお、病気は治らないという例は余りにも多いのである。
          そうして病長びけば、生活の心配や、煩悶により、益々衰弱悪化するのは当然である…金は使い果し、職は失い、借金は出来、家賃は滞り、進退全く、ここに谷(きわま)るという悲惨な例は随所に見受くるのである。
          そうしてこの場合、兄弟親戚知人等も連帯責任の止むを得ない場合が、往々あるのである。
          又…その勤先の会社、又は主家に迷惑をかける場合もあろう、間接には、国家社会に対しての損失も蓋(けだ)し、すくなくはないであろう、又万一の場合もあれば、本人のそれまでの教育費や、修業の損失も少くはないであろう…子女である場合…養育費の損失も、相当なものであろう。
          従って一人の難病者が出来た事によっての個人的苦悩と社会的損失は、蓋し軽々ならぬものがある。
          そうして、幸にして全治されたとしても、その時は既に、金は無し職は無し、債鬼には責められ、新に職業を求めようとするも、それは一大難関である。
          又相当な資産家であっても、二三人の難病者…又は、死亡者を出す事によって酷い零落をした実例も、よく見るのであって、折角、大学まで入れた子息も、女学校へ通っていた娘も、涙を揮って、退学の余儀なきに至る事もよくある。
          広壮な家から見窄(みすぼ)らしい家に、転落した気の毒な人も、幾度となく、私は見たのである。
          これらの実例は、世間到るところに、今、有過る位であって、珍らしくもないのである。
          故に当局も、社会政策上、これらを救おうとして、生命保険、健康保険、済生会、実費診療所等…相当な犠牲を払ってはいるが、容易に所期の効果は挙げ得ないばかりか、あるいは…漸増する傾向さえ見らるるのである。
          これら今日、余りにも多数に起りつつある、不幸の原因は、そもそも何が故であろうか、それは一言で言えば、西洋医学の「治病能力」が、余りにも薄弱であるからと言えるのである、医学がドシドシ迅速に病気を治してくれたら、それで解決して不幸にまでは到らないはずである…
          又、この事について既成宗教においても、そうである、最早神力や仏力がないから、病気は更に治らない「治らないから」病苦のまま諦めさせようと努力するのみである。
          そうしてそれが、正しい信仰と錯覚してしまっているという実に情ない状態になっている…故に、医学と同じく、宗教も解決してはくれないのである。
          しかるにここに我療法による時、いかなる難症といえども、発病後直ちに、ツマリ医師に掛ろうとする時来るならば、それは容易に治癒されるのである。
          まず、速きは二三回、重症でも十回以内と見ればよい、そうして、予後、ほとんど再発が無い事である。
          従って…費用も時日も、実に僅少であるから、不幸者が出来ようはずが無いのである、これ程の「大医病力」が創成されたるに係わらず、今日まで…余りにも治らない西洋医学の現実性が、頭に染着いている現代人は、容易に信ずる事が出来得ない、それらの人達へ対して本療法を受ける気にならせることは、療病よりも困難であるとさえ思う事が…よくある、しかし、新しい運動には例外なく有るべき、困難事ではある事も、吾々は覚悟している。
          とは言うものの難病苦が全癒されたばかりか、永久…不幸の発生が無いという…確信を得たところの体験者が、日に激増しつゝそれらの人々が自分と同じである、多数の不幸者を熱心に導くその事は貴い事で…何よりも喜ばしく思うのである。
          次に最近、社会局の調査によれば、都会の小学児童の四割までは、結核性虚弱児童であるという、実に寒心すべき報告であって、国家の前途に対し実に由々しき大問題である、しかるに、これらも、本療法を行えば、一ケ月以内の時日に依(より)て、生れ更った様な健全児童に変ってしまう事は常に実験しているところである。
          故にもし、この驚くべき治病の事実が、一般に知れ弥(わた)った時、いかに大いなるセンセーションを起すであろう…それと共に、いかに多くの病者が殺到する事であろう、随って、その時に応ずる為の治療士も養成しつつあるのである、無論、この療法が、世界的にまで発展する事は、火を睹(み)るよりも瞭(あき)らかであるが「その時代」我「療病術の偉力」を知った…彼ら白人が、いかに随喜し拝跪(はいき)するであろう事は、今から、想像に難くないのである。 (岡田仁斎)」 (「明日の医術・新日本医術としての岡田式療病法」より)

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          「日本医術に依る健康法の提唱(三)」 

          2019.12.06 Friday 09:12
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            「これから説く栄養食は日本人を基礎としたものである。
            今、人間の食物を二大別すると植物性食餌と動物性食餌とである。
            今この植物性食餌から説いてみる。
            肉体の血になり、肉になる栄養素は、植物性食餌即ち穀類野菜であって、単に肉体を養うだけの意味から言えば、植物性食餌のみで充分なのである。
            しかし人間は、社会生活の必要上、ただ生きる以外智慧元気発展向上心、あらゆる欲望それらがなくてはならない、そういう意志想念を湧出するに力あるのが、動物性食餌の役目である。
            故に都会生活者はその必要から動物性食餌を多く摂るという事は、実に、自然によく出来ているのである。であるから、一度病気に侵された時は、野菜食を多く摂るのが合理的である。
            病気に罹れば、智慧を揮い元気や欲望の必要がないので、反って病気の為めの熱や苦痛の、肉体的養素が、衰弱消耗するを以て、それを補給する必要上、野菜食に限ると言ってもいいのである。
            魚は陽であり、野菜は陰で、鳥は陽であり、魚は陰である。
            これらをよく考えて、その人々の生活に当はめてゆけば間違いないのである。
            男子は外へ出て、智慧や元気を揮うのであるから、動物性食餌と植物性食餌と半々位がよく、婦人は内に居て体的活動が多いのであるから、植物性七分、動物性三分位が最もいいのである。
            近来、上流婦人にヒステリーが多くなったのは動物性を多く摂り過ぎる為めなのである。
            しかるに病気に罹るや反って平常よりも肉食を多く摂らせるのは、病気に依る肉体消耗へ拍車をかける様なもので、大に謬(あやま)っているのである。
            天地間、森羅万象あらゆる物の生成化育は陰陽の理に外れるものはない。
            昼と夜、夏と冬、天と地、火と水、男と女という様な訳であって、食物にも又陰陽があるのである。
            穀類で言えば、米は陽にして、麦は陰である。
            人種から言えば、日本人は陽で、西洋人は陰である。
            日本人が米を食い西洋人が麦を食うのはこの理によるのである。
            故に日本人は米を主食とするのが本当であるから、もし止むを得ざる時は、米より麦の方を少く食えば差支えないが、麦の方を多くするという事は不可である。…
            又、植物性食餌を陰陽に分ければ、穀類が陰で、野菜類が陽である。
            野菜の中にも陰陽があって、根とか実とか、白色、赤色、黒色とか言うものは陽であり、菜の類、葉の類、すべて、青色の物は陰である。
            大根の白い根が陽であり青い葉が陰である。故に理想から言えば、その時と場合に応じて陰陽を、按配(あんばい)よく摂取するのが理想的である。」

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            「日本式健康法の提唱 (二) 」

            2019.12.05 Thursday 09:12
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              「今日の医学衛生について特に、この食餌と営養程謬って居り活眼を開いて貰わねばならない事を専門学究に向って言いたいのである、
              それは余りに学理に偏して実際と隔離し過ぎておりはすまいか、なぜなれば余が十数年に渉っての刻苦研鑚の結果は不思議にも、今日の営養学とは、全然相反する結果を生んだのである、それをこれから、私自身の体験から出発して述べてみよう。
              私自身は、十五六年以前は大の肉食党で、夜食はほとんど洋食で偶(たま)に中国料理を混ぜるという具合で、今日のいわゆる営養学上から言えば、理想的とも言わるのであるが、何ぞ知らんその当時の私は、三十代で体重十三貫をどうしても越えないという情ない状態ばかりか、二六時中風邪と胃腸の悪くない事はないと言う位で、お医者の厄介にならない月は一ケ月も無かったのである、そういう訳であるから、どうかして健康になりたいものと、深呼吸、冷水摩擦、静座法等と当時流行の健康法を片っ端から行ってはみたが、いずれも多少の効果は、あるにはあるが、体質改善というところまでは到底行かなかったのである。
              それがどうだろう肉食の非を知って日本人的食餌即ち魚菜本位に転換した結果、メキメキ体重を増し二三年にして、実に、十五貫五百から、六貫位を往来する程となると共に、段々風邪に罹らなくなり、その上胃腸の苦悩は、全く忘れて、始めて健康の喜びにひたり、爾来十余年頑健なる肉体を以て、活動しつつあるのである。
              これらの体験を得た私は、子供六人をもあわせて十数人の家族に思うまま実験をしたのであるが、勿論皆好成績で私の家から、病魔の影は全く見ないという幸福を享有したのである、特に面白いのは六人の子供に、非栄養食を施してみた、即ち家内及び家政婦に命ずるに、子供等には、特に粗食を与えるように命じたのである、米は七分搗きとし、野菜を多量にして、魚は塩鮭目刺(めざし)等の卑魚を稀に与え、香の物に茶漬、又は香の物に塩結び、自製海苔巻等営養学上からみれば、まず、申し分のない営養不良食を多く与えるようにしたのである、しかるにその成績たるや驚くべし、小中学とも体格は甲、営養は普通又は佳良等にて十六歳の長女を頭に四歳の男児に至るまで、未だ重病と名づくべき病気せしもの、一回も無く、無欠席の賞は毎度頂戴すると言った工合である。
              それらの実地から得た尊い経験を私が八年前からやっている病気治しについて、数百人の患者に試みたる結果、例外なく、好成績を挙げ特に肺肋膜等の患者に対する野菜食が、いかに効果あるかは、世の医家に向って大いに、研究されん事を望みたいのである。
              簡単ではあるが、以上の事実に徴してみて今日大いに発達せるごとくに見ゆる、栄養学がその根本において、一大誤謬のあるということは、私は、断言して憚(はばか)らないのである。
              この事は国民保健上、大問題であるが故に、敢然起って、…警鐘を鳴らし、斯界の学究諸賢は固より、一般世人に向って、一大警告を発するゆえんなのである。
              私が提唱する、この新栄養食が、一般に行われるとすれば、国家経済上からみても一大福音と言うべきである、彼の我邦の農民が、労働に耐久力のあるのは、全く卑食であるからであって、もし肉食的の栄養食を摂ったとしたら到底、あれだけの労働は出来ない事を私は保証するのである。」
               

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              「日本式健康法の提唱(一)」

              2019.12.04 Wednesday 08:45
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                「近来医学衛生が益々進歩しつつあるに拘わらず病患者の逆比例に増えるのは、何を物語っているのであろうか、これに対し、社会が余り留意しないと言う事は、実に遺憾と言わなければならない。
                今や、世界に雄飛せんとする新興日本は、日本人は、第一に健康問題を忽(ゆるが)せには出来ない、病者と犯罪人の多い事程、国家の進運を阻害するの大なるものはあるまい。
                私は病人の無い日本、罪人の無い日本にしたい念願の下に、観音運動なるものを起したのである。
                それが又、観世音菩薩の大悲願であらせられるのである。
                元来私自身が、稀なる弱体者であったのが、現在稀なる健康者になっている。
                それは今日の西洋式衛生の大誤謬を悟り、日本式衛生を独創実行したるが為であって、それらの体験を基礎とし、観世音菩薩の霊告を真髄とした健康法を大成し、ここに日本式健康法の名に依って、社会に提唱しようとするのである。」
                一、日本人と白人との相違
                「今日の医学衛生はあらゆる点において、白人の肉体を基準として研究され来ったのである。
                ところが、日本人と白人とはその根本において非常なる差異ある事を知らなければならない。
                彼は祖先以来、獣肉と麦とを主食とし我は祖先以来野菜と米とを、主食とし今日に至ったのである。
                彼は肉体的に優れ、我は精神的に優れている。
                たとえて言えば、同じ小禽であっても、カナリヤと鶯との様なもので、カナリヤは菜と稗と水で健康を保ち、鶯は、魚や虫のごとき生餌を多食しなければ、健康を保ってゆけない。
                獣にしても、馬は、藁と豆で生き、虎や狼は生物を食わなければ、生きて行けない道理である。
                次に、もう一つたとえてみよう、ここに、濁った水の中で棲息している鮒がいるとする。
                これを見た人間が、余り汚い水だから衛生に悪いだろうと、綺麗な水の中へ入れ換えてやると、豈(あに)計らんや、その鮒は、反って弱ったり死んだりするようなものである。
                人間もそれと同じ事で、祖先以来、その土地に生れ、そこの空気を吸いその里で収れた穀物魚菜を食って、立派に健康を保ち、長生をして来たのであるから、今更、何を好んで仏蘭西(フランス)のオートミルや諾威(ノルウェー)の鰯や、加奈陀(カナダ)の牛肉の缶詰等を食う必要があろうか、これらを深く考えて見る時、もう目が醒めてもいい時機になっているのではないかと思うのである。
                つまり、人間はその土地に湧いた虫のようなもので、四辺海で囲まれ、平原の少い我国としては、米魚野菜を食べておればよい様に、神が定められたのであって、ちょうど、大陸の人間が獣肉を食うべく、自然的条件が具備しているのと同じ理由である。
                私は拾余年以前に、その事を識ったので、大の肉食党であったのが、魚菜主義に転向した結果、俄然、健康を取戻し、参貫目も目方が増えるし、頭脳は明晰になり、仕事をしても根気が強く、飽きると言う事が無くなったのである。
                もう一つ驚く事は、冬の寒さが肉食時代よりも、ずっと耐えよくなった事で湯婆子(ゆたんぽ)が無くては寝られなかった者が、冷い寝床へ入って気持よく寝られるという様に変った事等は実に意外な事と言わねばならない。
                以下、各項目に渉って悉(くわ)しく述べる事にする。」

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                「脳溢血及び脳充血」

                2019.12.03 Tuesday 09:31
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                  「この病気は、近年益々増加の傾向があって、高血圧の人などは、非常に恐怖を抱いて居るが、これは少しも驚くに足りない。
                  余のところへ来れば、雑作なく治癒して、絶対脳溢血は起らない事を保証出来るのである。
                  この病気がなぜ多くなったかと言うと、現代日本人は、肉食を多く採り、無暗に薬剤を服用するから、血液は混濁する計りである。
                  その上、頭脳を過度に使用するから、ちょうど脳溢血を製造して居るようなものである。
                  前述のごとく、この病気は、血液混濁が原因であって、動脈硬化と同じ訳である。
                  血液中の混濁は、不断の浄化作用に依り、その残渣(ざんさ)とも言うべき毒血は、主に後頸部、延髄付近に集中溜結するものである。
                  そして、これは必ず、右か左か一方に限られており、診断の場合、左右いずれかを指圧すれば、はっきり分るのである。
                  しかるに、この毒血の溜結が益々増量して、ある程度を超ゆる時、毛細管を破って、小脳部へ溢出するのである。
                  これを称して脳溢血というのである。
                  そしてこの溢血が多量による悪性を脳充血というのである。
                  この病気の特長として、一時、人事不省に陥り、軽症は一昼夜位、重症に到っては二週間位を、そのまま持続するのである。
                  幸いに覚醒するや必ず、左右いずれかの腕、及び脚部麻痺してブラブラとなり、一時は、全然、知覚を失うもので、特に重症においては、覚醒するや舌の自由を失い、言語不能となるのである。又病気発生の場合、鼻血、涎(よだれ)、嘔吐等を伴うものである。
                  この病気は、前兆としては、血圧の昂騰(こうとう)、頸部及び肩の凝り、手足の一部的麻痺、言語の不明晰等で、かくのごとき症状のある場合、余の療法を施せば、普通二三回ないし五六回にて全く治癒するのである。
                  不幸にして、発病するとても、直に浄血療法を施せば、一週間ないし二週間位にて、大体快癒し、言語は、大略(たいりゃく)平常のごとく、腕は自由となり、歩行も可能となるのである。
                  しかし、何分一時ながらも、麻痺したる後なるを以て、全く平常通りになるには、一箇月位を要するのである。
                  しかるに一般世人は、医療に依って回復せんとするのは止むを得ないが、医療によっての治癒は、なかなか困難で、医学的には療法がないとさえされている。
                  しかし、症状に依っては二三年にして自然に治癒するものもあるが、悪性のものは十数年に渉っても離床する能わずして、ついに死に到る者もあって、この病気位、人により、重軽のはなはだしいのはないのである。
                  従って、治癒の時日を予定する事の困難なのは勿論である。
                  中には悪性でなくも、誤れる療法を持続せられし為の障害によって早く治るべき症状も、長日月を費さねばならなくなった患者も、すくなくはないのである。
                  そして、痛みのある症状ほど治癒し易いのは、経験によって瞭(あきら)かなところである。 (岡田仁斎)」 (「日本医学の建設(三)」より)

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                  「日本医学の建設 三 脳疾患」

                  2019.12.02 Monday 08:48
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                    「脳病には、大体数種あるが、まず、脳貧血から説明する。脳貧血とはその名のごとく、脳の貧血であっていかなる原因かというに、元来、人間の血液は、心臓に依って浄化される事は、今日までの医学上の解釈であるが、実は、心臓ばかりで浄化するのではない、血液自体が循環運動をする、その運動そのものによっても自然浄化をするのである。
                    浄化の結果は、循環の速度を増すのであって、それが健康を増す事は、医学で説明の通りである。
                    しかるに、血液浄化に因ってその不純物が、自然滞溜する場所があるのである。
                    その場所は主に頸部の周囲及び肩胛部なのである。
                    頸部一帯特に、延髄に、汚血滞溜する時は、身体より頭脳に送るべき血液通路である血管が圧迫さるるを以て、頭脳が要すべき、血液の量を送る能わず、従って血液に不足を来すのである。
                    これが即ち、脳貧血であって、症状としては頭痛及び、頭脳の圧迫感、眩暈(めまい)、耳鳴り、蓄膿症、眼の翳(かす)み等の外、反射作用による胃の不快と嘔吐感、陰欝、世に、神経衰弱と称する症状である。
                    大体以上のごとくであるが、これは、余が浄血療法に依る時は容易に快癒するのであって、その治療日数も、普通は一週間位、重症にて二三週間もあれば、確実に全癒するのである。
                    長年の神経衰弱が二面の治療にて、全癒せし事も屡々(しばしば)ある。」 (「日本医学の建設(三)」より)

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                    「日本医学の建設 二 胃病」.2

                    2019.12.01 Sunday 08:26
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                      近来、医家において消化薬を極力制限する傾向を見るのはまことに喜ばしい事である。
                      前述のごとく、消化薬達続服用と、消化良き食物摂取の結果、胃は睡眠状態に陥り、ついに弛緩する事となる、これを胃下垂というのである。
                      次に、今一層恐るべきは、消化薬の連続作用による胃壁の破壊である。
                      元来、消化薬はその食物を消化良く、柔軟化するばかりでなく知らず識らずの裡(うち)に胃壁も共に柔軟化されてゆくものである。
                      その軟化された胃壁に偶々(たまたま)固形食物が接触すれば、その個所が破壊される。
                      それが、胃の激痛となり、又出血もするのである。
                      これが胃潰瘍である。又こういう事もある。それは、最も緩慢に胃壁が柔軟化され、極小破壊又は胃壁を血液が滲出する事がある。
                      そういうのは激痛と出血がないから胃潰瘍とは気が付かずに、時日を経てゆく、そういう血液の溜積が古血となって便通に交り、又は嘔吐の中に見る事によって始めて胃潰瘍を知る事が能くあるのである。
                      故に真の療法としては、積極的に胃の強力化を図らなければならない。
                      その理から推すとどうしても消化薬は不合理であるから出来得るだけ避けて食物においても可及的普通食を摂らせるのである。
                      そうすると、胃の抵抗を強め活動を促すから、水膿溜積を反対に、胃自身の力によって積極的に外部へ向って圧迫し、排除する事になる。
                      往年、食物医者の石塚某氏が流動食同様の物を摂取し居る患者に対し、直に沢庵と塩鮭の茶漬を奨め意外なる、効顕を奏した事を聞いた事が度々あったのはこの理に合っているからである。
                      随って、胃の初期患者には、積極的胃の強健法を、奨めなければならないのである。
                      それには第一出来得る限りの運動と場合に依り一回又は一日位の絶食も良し、食餌に日本食が最も適当であって、就中(なかんずく)、菜の類の香の物で茶漬等が非常に効顕ある事は、余が実験上保証したいのである。
                      もっとも香の物は、酸味の多い古漬が最もよく、まず一日の中一食位の、香の物、鮭、干物等の茶漬を食うのが、初期患者に最も良いのである。
                      水膿溜積を溶解するに、医療電気を応用するのは相当効果がある様である。 (仁斎)」
                       

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