「罪穢と病気」

2020.10.13 Tuesday 05:19
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    「この問題を説くに当って断わっておきたい事は、ある程度宗教的に思われ易いのであるが、私の説く所は宗教的ではなくむしろ道徳的と思うのである。
    しかし、罪穢という言葉そのものは宗教家がよく用いるが、それは仮説でもなく作為的でもない、全くの事実である事は、以下私の所説を読めば肯かるるであろう。
    前項に述べたごとく、人は悪を想い、悪の行為を重ぬるに従って、それだけ霊体に曇が増量し、漸次その濃度を増すのである。
    しかるに、右の濃度がある程度に達すると、自然的解消作用が起るのである。
    勿論、厳とした霊界の法則であるから止むを得ないので、いかなる人といえども免るる事は出来得ないのである。
    そうして右の浄化作用の多くは病気となって現われるものであるが、時としては、その他の形となって現われる事もある。
    しかるに病気の場合いかに医療をつくすといえどもいささかの効果もないのは、それは霊的原因に対するに器械や薬などの物質で解決しようとするからで、全然見当違いであるからである。
    又この場合神仏に祈願を籠(こ)める人もあるが、それは多少の効果はあるものである。
    勿論神仏の本体は霊であるからその霊の恵みによって幾分の曇は軽減するが長年積み累(かさ)ねた罪穢であるから神仏といえども否正しい神仏であればある程公正であるから、軽苦では済まされないのである。
    これをたとえていえば国家の法規に触れた者は、いかに悔悟歎願するといえども全然赦さるるという事はあり得ない。
    ただ改悛の情顕著なる者が罪一等を減じ得らるる位である事と同様である。
    しかしながら、自然浄化作用が発生するより以前に浄化作用が起る場合がある。
    その際は比較的曇が濃度に到らない為浄化作用が軽く済むのである。
    これはいかなる訳かというとある動機によって悔改めるという場合である。
    右の動機とは、宗教的説話や聖書のごときもの、又は先輩や名士の経験談や言説、偉人の伝記等によって精神的に覚醒する事である。
    この意味において人間の魂即ち良心を喚び覚すべきものとして、良き書籍及び講演、良き映画や演劇等の必要なる事は言を須(ま)たないのである。

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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