「霊波と霊衣」

2020.10.10 Saturday 07:06
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    「私はさきに、治病光線として霊波の文字を用いたが、これは近時ラジオ等で用いる音波の文字からとったのである。
    人間は誰しも霊衣即ち西洋でアウラという一種の光波を保有しているのである。
    これは、読んで字のごとく、霊体の外殻に放射している白色の一種の光線であって、ちょうど霊衣をまとうているようなものである。
    人により厚薄があって普通人は一寸位の厚さである。
    病人は薄く、病気が重症となるに従い漸次薄くなり、死の直前には全然無くなるのである。
    世間よく影が薄いなどというのは、この霊衣の簿い為の感じである。
    又、右と反対に健康なる者、善徳を積める者ほど厚く、英雄、偉人、聖者などは特に厚く三四尺位あるものである。
    又何世紀に一人というような大偉人に至っては、霊衣は相当大きなものであろう。
    そうして一般人にあっては、その時の精神状態及び行為によって差別が生ずるのは勿論である。
    その訳は、善を想い善事を行う時は厚くなり、その反対である悪を想い悪事を行う時は薄くなるものである。
    霊衣とは大体右のごとくであるが、まれには、これを視るを得る人もあり、又普通人であっても心を潜めて凝視する時、一種の光波の存在を感知し得るものである。
    そうして霊衣の厚薄は人間の運命に大関係がある事を知らねばならない。
    それは霊衣の厚薄によって幸不幸の運命がわかれるからである。
    即ち厚い程永遠の幸福を得るに反し、薄い程常に不幸であるのである。
    しかしながら薄い人といえども、たまたま幸運に見舞われる事があるが、それらは永続性がないから、間もなく本来の不幸者となるのである。
    又 霊衣が厚く一時幸運であっても、その幸運を利己的の具となし又は社会に害毒を流し、人を殃わざわいするような行為があるとすれば霊衣は薄くなり、再び元の木阿弥となるので、かような例は世間少くはないのである。
    右のごとく、霊衣の厚薄によって、幸不幸があるという事は、いかなる理由であるかを説いてみよう。

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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