「医師の資格」

2020.07.30 Thursday 05:31
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    次に、今一つ私は言いたい事がある。それは病者が治癒、不治癒に拘わらず、同一の費額を払わなければならないという事であるがこれも不合理であろう。
    いうまでもなく医療の価値を定める場合、全治又はその遅速、不全治又は悪化等の価値の差別は大いにあるが実際上適確なる計算は困難であるから、私は現在としては左のごとき方法による事はどうかと思うのである。
    参考までに書いてみよう。
    一、病気全治の場合、現在の診療費の倍額となし、不治の場合、現在診療費の半額とする事。
    二、初診の時、予(あらかじ)め全治日数を定め、その期間、現在診療費の倍額とし、右の日数を越える場合、現在診療費の半額に下げる事。
    三、初診の場合、予め全治までの日数費額を決定し、その全額を支払わしめ、万一予期に反する場合、半額を返却する事。
    しかしてこの方法は、患者の貧富によって増減する事もよいであろう。又等級による事も一方法であろう。
    私は、中国人が医療を受ける場合、初診の際、この病気は幾らで治るかと訊くそうである。
    これに対し嗤(わら)う日本人があるが、私はある意味においてむしろ進歩的であり、合理的であると思うのである。
    何となれば、この方法は患者自身の経済的実情に合致すると共に、医家としても、技能の優劣が公正に酬(むく)いられるからである。
    右のごとき私の案を実行するとすれば、その効果として何よりも顕著である事は、医学が真に治る進歩をするという事である。
    しかしながらこれらの案に対して、医家は尊厳を傷つけらるるごとき感がするかもしれない。
    しかしそれは外形だけの事であって、むしろ私の案を実行する事によって、内容的尊厳即ち心からなる敬意を払わるるであろう。
    何となれば患者自身としては、一日も早く疾患から遁(のが)れる事であり、苦痛が解消される事であり、健康が恢復する事であり、それ以外に何物もないのであるからそれが解決されるとしたら、自ら感謝と敬意が湧き、他の何事をも介意しないであろう。
    徳川時代名医と称せられたる医家は、難病を治療し、それによって名声を博したという事を聞いているが、これらは私の提唱する理論と合致しているのである。」 (「明日の医術 第2編」より)
     

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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