「医学の神聖化」

2020.07.27 Monday 05:48
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    医博国島貴八郎氏の著書「結核と人生」の中にこう出ている。
    「彼のチブスが、百年前も全治に四週間を要したが、今日でもやはり四週間を要し、肺炎も同様でやはり一週間を要するという訳であるから、治療医学の進歩はいささかも認め得られないのである」というにみても明かであろう。
    そうして神聖化されたる医学によって、たとえ、医療の結果、医家の言のごとく快方に向わざる場合といえども、その理由を訊(たず)ねる者は滅多にないのである。
    又誤診誤療によって不幸に陥る場合、相当の疑をもちつつも何らの抗議も苦情も言われないのである。
    それは医学の神聖を冒涜するかのように見られ、又医術を施行する上に支障を及ぼすという理由で、法的にも不問に付するという傾向である。
    注射後即時に死亡したという例も吾らは余りに多く聞かされている。
    チブスの予防注射後反ってチブスに犯されたという例もすくなくないようである。
    そうして学問至上主義の弊(へい)は、ここにも現われている。
    それは研究の為として、かなり大胆と思われるような手術や新薬の応用である。
    それによって幾多の尊い人命が犠牲になっているであろう。
    もしこれら隠れたる事実が明かにされたら人々はいかに驚くであろうか。
    しかし、それは神秘の殿堂を覗く由もない機構となっている以上致方ないのである。
    医学者は言うであろう。たとえ一人の生命を犠牲にしても、万人の生命を助ければいいではないかと、それに対し私は、万人を殺しても一人も助け得られないではないかと思うのである。
    又こういう原因もある。いうまでもなく現在の日本の医学は独逸(ドイツ)医学である。
    独逸医学を学ぶ最初の頁には「もし病原の判らざる場合まずメスを以て皮膚と肉を切り開いてみるべし」と出ているそうである。
    忠実なる医家はこの教を丸呑みにして手術をするのであろう。
    切り開いて病気が無かったという事実は、よく聞く所で、その犠牲になった患者はまことに気の毒なものである。
    しかし、切り開いて何も無かったから元通りに縫い、疵(きず)は癒えたとしても、全体の健康にすくなからず悪影響を及ぼす事は、私の多くの経験によって知らるるのである。
    再三言うがごとく、西洋医学はまっしぐらに邪道を進んでいるのであるから、進歩する程人類に対する危険率は増加するという結果にならざるを得ないのである。
    しかるに、人類は全く西洋医学に盲信してしまって、誤謬の片鱗だも観破し得られないから、まことに歎かわしいのである。

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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