「哲学的に観たる本医術」

2020.07.16 Thursday 06:17
0

    「今日まで、本療法によって偉効を奏した場合、これを批判するその観念が非常に誤っている事である。
    それは何であるかというと、薬剤も機械も使わないという治病方法であるから、現代人としては永い間唯物療法によらなければ病気は治らないと固く信じている結果どうしても精神的に因る効果と想い易いのである。
    従って、治療で治ったのではない。
    信ずるという精神作用によって治癒したというのである。
    特に、第三者の場合そう思い勝である。
    しかるに、事実はその反対であるから面白いではないか。
    今日、本療法は勿論、ある種の民間療法に受療に来る患者は、ことごとくといいたい位、一種の疑惑を抱いている事である。
    勿論それは、機械も薬剤も用いないで治るという事は不思議に堪えないという観念である。
    しかしながら、人から偉効を説かれ、又は近親者等の偉効を見せられているにおいて信疑相半ばすというのがそのほとんどである。
    しかるに、医療を受ける者は、治るという既成観念に強く支配されている事は勿論である。
    しかも大病院や博士号等は、特に信頼を強めさせられる。
    又、医学の素晴しい進歩という先入観念も、より一層の信頼を強めさせられているという訳で、病気治癒に対する精神的信頼は民間療法とは比較にならないものがある。
    その証左として、医療を受けつつ数ケ月に及んで、いささかの効果がなくとも信頼は衰えない。
    否一、二年に及び病症が漸次悪化するといえども、何ら信頼に変りはないのである。
    実にその信頼の強き事驚くべきものがある。
    従って、ある場合誤診誤療によって悪結果を喫するも、多くは疑惑を起さないのである。
    又注射によって致死するも、手術の過誤によって重態となり不幸な結果を来すといえども同様である。
    そうして医学の大家が、あらゆる最新の療法を施すも漸次悪化しついに不幸の結果を来す場合大方は善意に解釈し、あれ程の大家が、あれ程努力しても、かような結果になったという事は全く命運が尽きたのであると諦め、いささかの悔も不平も漏さないのである。
    しかしながら、たまたま医家の誤療が余りにも明かであって、その為不幸な結果に終った場合、告訴の提起など称えるや周囲の者は、今更とやこういうたところで死んだ者が生きかえるはずはないからという自利的解釈が勝を制して、そのままとなる事がほとんどである。
    右のごとき医学に対する絶対的信頼はいかなる訳であろうか、私の観察によれば、現代人は事物を観察する場合、事実よりも外形・理論・伝統等を重んずるという傾向が、あまりにありすぎる為と思うのである。
    これについて私は若い頃哲学に興味を持ち、特にフランス人の有名な哲学者アンリー・ベルグソンの説に、憧憬した事があった。
    それは、同氏の哲学中に、私の心を強く捉えたものがあったからである。
    それは直観の理論と万物流転という説であった。

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
    Comment