「科学と迷信」

2020.07.11 Saturday 05:48
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    これについて好適例を書いてみよう。
    これは、有名な元国務大臣を二度までされた某大官の夫人で、永年の痼疾(こしつ)が私の治療によって短期間に全快したのであるから、この治療に対し絶大の信頼をおかれるようになった。
    しかるに、その御子息である帝大出の現在某会社員である御仁がたまたま風邪に罹り、一月余り医療を受けたが更に治癒しないのみか、漸次悪化の傾向さえ見えるので、母であられる右の夫人がすすめて私の治療を受けられたのであった。
    私が最初診査してみると、医師は乾性肋膜の診断であるが、私は、それは誤診で、私の診る所では肋間神経痛であると言った。
    しかるに、その御子息は非常に立腹され、自分が信頼する日本有数の大家の診断に対し誤診であるとは怪しからぬ。
    そんな先生の治療は断じて受けないというのである。
    しかるに夫人は医療では治らない。
    私の療法によらなければ絶対治らないとなし極力奨めるのであったが、御子息は平素は大の親孝行であるに拘わらずこの時は不思議にも、外の事なら親に逆らう意志はないが、今回の病気に対しては、私の治療を受ける事はいかにしても気が向かないという理由で、頑として承知されなかった。
    それで夫人は考慮の結果夫君に応援を求め、両親協同で口説いたので、流石の御子息もついに一週間だけ私の治療を受ける事を承諾する事になったのであるが、面白い事には条件をつけるというのである。
    その条件というのは、病気に関する事は一切言わないで欲しいという事であったが、私はそれを承諾し、その代り一週間の間、医師の診察は差つかえないが、薬剤を使用しないという事の条件を私の方でも提出し、承諾されたのであった。
    その様な訳で御本人は私の治療を疑う所か、それ以上で、むしろ反抗的気分で受療したのであった。
    しかし私は反って面白いと思ったのである。
    何となれば反抗的気分で受療する事と、病気に関する事は言わないという事は、前者は観念的分子の入りようがないという事と、後者は、言語による病気治癒の暗示が出来得ないという訳であるからである。
    しかるに、病状はといえば、毎日発作的に発熱四十度以上に昂り、猛烈な悪寒と滝のごとき盗汗があり、咳嗽が激しいので衰弱日に加わるのであるから、主治医及び応援の某大家とは非常に心配し、相談の結果入院を勧めるのであった。
    しかるに幸か不幸か、選択した病院の病室が満員で、直ちに入院する事が出来ないので、室が空き次第という事になった。
    その時がちょうど四日目位の時であって、後三日で予定の一週間となるのであるから、夫人も私も気が気ではない。
    夫人がいうには、「現在のような状態で入院したら、まず生命は覚束ないと思うし、それかといって、部屋が空いた通知が来れば、直に人院させない訳にはゆかないから、満員を幸い、通知の来ない内に是非共平熱にして欲しい」との要求である。
    これにおいて私も夫人の心情を察すると共に又私の治療の偉効を見せなければならない破目となったのである。
    そうして四十度以上の発熱は、夜中の二時から三時頃という事であったから、その発熱の状態も見たいので、意を決して一晩宿泊する事となった。
    それが、五日目の晩であった。しかるに、六日目はさしたる変化もなく、病院からの通知もなかった。
    遂に最後の七日目とはなったが、幸いなるかな、朝の体温は七度を割って六度八分であるとの報告があったので、私はほっとしたのである。
    その日は最高七度台で八度を超えなかったから医師も入院を取止めにしたのである。
    その後漸次平熱となり、全快したのであった。

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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