「腎臓及び糖尿病・病患と医学の誤謬」

2020.05.26 Tuesday 05:25
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    「次に、最も多い病気に腎臓病がある。これは急性と慢性とあるが、世間、腎臓病と称するものはそのほとんどが慢性であって、急性は極稀である。
    急性の症状は、四十度前後の高熱を出し、背面腎臓部の左右両方か又は一方が激痛を伴うのである。
    この場合激痛の為、腰を動かす事は不可能で、多くは身体を彎曲させて呻吟している。
    そうして蛋白は多量に尿と共に排泄さるるのである。
    これは自然治癒によっても、一、二週間にて順調に治癒するのである。
    慢性腎臓病の症状は、人も知るごとく尿と共に蛋白の排泄及び浮腫、腰痛、疲労感等である。
    そうして浮腫のある場合、尿量は減ずるのである。
    医家は蛋白の排泄ある程、病気昂進と解釈し、蛋白を無からしめようとして、塩分摂取の禁止をなし、又は牛乳の多量飲用をすすめ、薬剤としては利尿剤を用うるのであるが、これらの方法はことごとく誤謬であって、私の発見による原理を次に述べてみよう。
    腎臓疾患において、なぜ尿と共に蛋白が排泄せらるるかという事は、医学上未だ明かでないようである。
    それでは蛋白とは何であるかというと、実は然毒又は尿毒、薬毒が、背面腎臓部に凝結し、それが体温計に表われない程の微熱(掌を宛てれば良く判るのである)によって溶解し、一種の液体となって腎臓内に浸潤し、尿と共に排泄せらるるのであって勿論浄化作用の為である。
    故に、蛋白が排泄せらるるだけ病気は軽減するのである。
    その証左として、私が多くの腎臓病患者を治療の際その溜結毒素の溶解施術を行うや、微熱が発生して、一時は蛋白の排泄が非常に多くなるのであるが、漸次少量となり、終に全く無蛋白尿となって完全に治癒するのである。
    私が治療した腎臓病患者はいずれも同様の経路をとって完全に治癒したのである。
    しかし、ここに大いに注意を要する事がある。
    それは無蛋白尿であっても、腎臓の疾患がある事実である。
    医家は蛋白のみによって腎臓疾患の有無を断定するのであるから、無蛋白の場合は腎臓疾患はないというのである。
    故に、無蛋白で浮腫のある場合、その浮腫の原因が不明で診断を下す事を得ない実例を、私は度々聞かされている。
    これは医家も常に経験するところであろう。では、無蛋白腎臓疾患とは、どういう訳かというと、背面腎臓部に凝結せる毒素の浄化作用がおこっていない為である。
    故に、かような無蛋白尿患者は、有蛋白尿患者よりも悪性である事は勿論である。
    そうしてこの症状である患部は必ず無熱である事で、無熱であるから、凝結毒素が溶解しないから、蛋白が無いのである。
    ここで、注意しておきたい事は、腎臓部の凝結毒素が、いかなる悪作用をするかというにこの凝結毒素は、腎臓を圧迫するから腎臓が萎縮する。
    即ち萎縮腎となるのである。それが為、腎臓の役目である尿の処分が完全に行われ得ない。
    即ち全尿の処分が困難となるから尿の幾分は、腎臓外へ浸潤するのである。
    そうしてその余剰尿は、全身あらゆる方面に滞溜凝結するので、その最も凝結するのは肩部で即ち「肩の凝り」がそれである。
    又、腹膜部に溜結する事も多いので、これが腹膜炎となり、盲腸炎、胃病、喘息、肋膜炎、いわゆる肺結核、淋巴腺炎、歯槽膿漏、首筋の凝り、眼病、脳疾患等は勿論の事、あらゆる疾患の原因となるのである。

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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