「惟神医術」

2020.04.30 Thursday 05:45
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    即ち人間は何が故に生れたかという事である。
    勿論、神がこの土を経綸する上の必要から生れさせられたのであって各人それぞれの特徴を具えているのは、そういう意味からである。
    故に、生命の命は、命令の命の字である。
    故に、生命のある間、神の命を奉じて生き活動すべきで、その命を疎かにしてはならないのである。
    死ぬ…即ち生命が亡くなるという事は、命令を解かれる事である。
    従って、人間は神の受命者であるから身を浄め心を清めて使命遂行に精進しなければならないのである。
    昔から人は神の子とか神の器とか、神の宮とかいうが、右の意味に外ならないと思うのである。
    しかるに、神の最高の受命者ともいうべき人間が、健康を害ねるという事は、大自然即ち神意に背いているからである。
    従って、いかなる点が反自然であるかを発見すること、それが根本問題である。
    しかしながら、人間の悲しさ、それを発見する事が不可能であるが為、止むを得ず、機械や薬剤を以て、病気を治癒しようとしたのであるから、一時的効果より以上に出でなかったのである。
    そうして、前述のごとき惟神、即ち自然のままという事は決して難しい事ではない。まことに簡にして単である。
    即ち健康についていえばまず人間は生れた以上、幼時は母の乳を呑み、生育するに従って普通食を摂るので、それは大自然は人間の食物として五穀、野菜、魚鳥なるものを、人間の嗜好に適するよう千差万別の形状、美観、柔軟、五味、香気等を含ませ造られてある。
    故に人間は、その土地において生じたるもの四季それぞれの季節に稔ったる物を楽しんで食せばいいのである。
    そうして各自に与えられたる職域を遂行し、教育勅語を範として実践躬行(きゅうこう)、これをつとむるにおいて、不健康など有り得べきはずはないのである。
    又、大自然は、天地間あらゆる物に、浄化作用なるものを行うのである。
    この事は、大祓(おおはらい)の祝詞中にあるごとく、祓戸四柱の神の担任せられ給うところであって、たとえていえば、地上に汚穢(おわい)が溜れば風に吹き払い、雨水によって洗い浄め、天日によって乾燥させるのである。
    また一軒の家においても、塵埃が溜ればそれを払い掃き水で洗い拭き清めるので、それらの事は人間においての病気、即ち浄化作用と同様である。
    従って、この場合、自然に放置すれば治癒するのは当然である。
    又浄化作用の期間中、発熱や痛苦等によって労務に耐えなければ休養すべきであり、食欲がなければ食わなければいいのである。
    それが自然である。
    そうして人間の浄化作用は人間自身の体が行ってくれるから、まことに都合がいいのである。
    故に、この意味において私の提唱する医術と健康法は飽くまで自然を本とし、自然に準(なら)うというので、惟神医術という所以(ゆえん)なのである。」 (「明日の医術 第2編」より)

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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