「医学とは何ぞや」

2020.04.27 Monday 06:05
0

    まず、西洋医学の価値を実証する上において最も有力であるべき事は、さきに説いたごとく、医家自身の健康と家族の健康をして、一般世間の水準よりも高くあらしめる事である。
    しかるに今日実際を見るにおいて、むしろ一般人よりも水準の低下を疑わしむるものがある。
    それはまず医学博士の短命と、医家の罹病率の多い事。
    その家族の弱体であり、しかも医家の子女にして結核罹病者の割合多い事である。
    勿論医家自身としても、自己の生命を守る上には、常に細心の注意を払うであろうし、又、家族の罹病者に対しては、早期診断以上の良処置を執(と)るであろうから、手後れなどありようはずはあるまい。
    しかるに事実は右のごとくである以上、近来唱うる予防医学なるものも無意味であるといえよう。
    何となれば医家自身において、予防困難である事の実験済みであるからである。
    故に私は、西洋医学が真に進歩したという事を社会に示すとすれば、何よりも医家とその家族の健康が、世間一般の水準よりも遥かに高きを示す事であり、それを見る世人をして、全く西洋医学の進歩を確認しない訳にはゆかないようにする事であるが、それは恐らく不可能であろう。
    しかるに、当局者も専門家も、口を開けば一般衛生知識の不足を言い、又注射その他の方法を強制的に行おうとするのである。
    それらに対し、国民中それを忌避する者や、関心を払わない者も相当あるという事実であるが、これは全く国民が西洋医学に対し、全幅的に信をおかない証拠であろう。
    故に当事者としては、まずこの事を考慮しなくてはならないと思うのである。
    いかに大衆といえども、人命の尊い事は知っている。
    前述のごとく、医家及びその家族の健康が不良であったり、窒扶斯(チフス)等の注射によって、稀には即死する者もあり、ジフテリヤの注射によって瀕死の状態に陥るというような事実も相当あるのであるから、それを知る大衆としては、一応は危懼(きぐ)の念を抱くのは当然であろう。
    又手術の過誤によって生命を失うという事実もすくなくない事である。
    私は先年、外科の某博士が他人である患者の手術は好んでするが、家族や親戚の疾患に対しては、決して手術を行わないという事を耳にした事がある。
    これは手術の過誤を懼(おそ)れるからであろう。
    これらは全く、西洋医学が実証的に効果を示さないからである。
    否、効果を示し得ないからでもあろう。
    この結果として、近来灸点や民間療法が繁昌するのもやむを得ないであろう。
    そうして今日患者の趨勢をみるに、理論を重んずる者は医学に迸(はし)り実際を重んずる者は民間療法に趁(はし)るという傾向は否めない事実である。
     

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
    Comment