「栄養学」

2020.04.09 Thursday 06:34
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    明主様御教え
    「右のごとく、その説明は詳細を極め、一見まことに感心されるので、一般人が信するのも無理はないのである。
    しかしながら、いかに詳細を極めたる説明といえども、それは死体の解剖や食物の分析、排泄物の試験等によって得たる
    医学者の推定的想像の範囲を出でないと思うのである。
    何となれば、人体の組織機能とその活動によって表われるところの生活力なるものは、現在科学の水準よりも進かに高度であり、深遠であるからである。
    従って、今日人間の健康に対し栄養学的に解釈し得たとしても、それは煙突内から天を仰いで天の大きさを知ったと言うに等しいものであろう。
    又名画の価値を定むるに当り、紙代と絵具代と労銀によるようなものであろう。
    これを要するに、神秘霊妙なる人体とその生命を知悉せんとするには、現代科学は未だ余りに水準が低いという事を認識しなければならないのである。
    勿論科学の進歩はいずれの日かはそれを知り得る程度に達する事も予想されるのであるが、私は科学者ではないから、科学的に説明はしないが、実際と経験によって、真の栄養学はいかなるものであるかという帰納的論理を以て説くつもりであるから誤謬はないと思うのである。
    そうして、今日栄養学といえば、カロリーやビタミン説に捉われ、それによってすべて律しているが、私は断言するのである。
    ビタミンが全然無い物を食ってさえも、人間は立派に生きてゆかれる事である。
    そうして医学においての研究なるものは、食物の方にのみ偏して、人体内における消化機能や栄養製産機能の作用を無視しているのでその点に根本的誤謬がある。
    元来人体内のあらゆる機能なるものは実に偉大なる化学的製産者であって、あらゆる食物を自由自在に変化させるのである。
    しかるに、医学においては、この変化力という意味が未だ知られていないのである。
    しからば、この変化力とはいかなるものであるか。
    例えば、米飯や菜葉や芋や豆を食っても、それが消化機能という魔法使によって変化し血液となり、筋肉となり、骨となるという事である。
    しかるに米飯や菜葉をいかに分析しても、血素の微粒、肉素の一粍(ミリ)だも発見し得られないであろう。
    ただそれを食する事によって、体内で自然に各素が製出されるのであって、全く神秘偉大なる変化力である。
    故にビタミンの全然ない食物を摂取しても、それを幾つかの機能の端倪すべからざる活動によって、ビタミンのAもBもCもアミノ酸もグリコーゲンも、その他未発見のあらゆる栄養素も製出さるるのである。
    従って、右の理によって考える時、こういう疑問が起るであろう。
    即ち血液素の全然無い物を食う事によって血液が出来ビタミンの絶無である物を食ってビタミンが製出されるとしたなら、
    栄養と称して血液を飲んだりビタミンを摂取したりしたら、それはどういうことになるであろうかという事であるが、それはこういう結果になるのである。
    即ち、血液やビタミンが入るとすると、それらを製出すべき機能は、活動する必要がないから休止するのである。
    従って、それら体内の一部の機能といえども休止する以上相互関係にある他の機能も、休止又は退化するのは当然である。
    卑近な例ではあるが、彼の牛が草や藁を食う事によって、彼の素晴しい牛乳という美味な栄養汁が出来るが、これは牛の体内の消化機能の活動による変化力のためでこれを今日人間がいかに機械力を以てしても、草や藁から牛乳を製出する事は不可能であろう。
    右の理によって、ビタミン等の栄養素を摂取すればある期間結果は好いとしても、その後に到って漸次機能が弱り、全身的弱体化するのは当然である。
    恰(あた)かも車に乗れば一時は楽であっても漸次足が弱るというのと同様である。
    故に栄養食を摂れば一時は身体は肥え、血色は良くなり、統計的にも好成績は表われるがある期間を過ぎれば弱体化するのである。
    故に、今日栄養食実験の結果、一、二年の統計に表われたる好成績に幻惑されて、栄養食奨励の策を樹てるのであるが、実に困ったものである。
    故に、右の意味において人間の生活力を旺盛ならしむるには、栄養機能の活動を促進させなければならないのである。
    それには栄養の少い物を食って、体内の栄養製産機能を働かせるようにする事である。
    勿論運動の目的もその為である。故に実際上昔から農民は非常な粗食であるが、粗食をするから彼丈(あれだけ)の労働力が湧出するのである。
    もし農民が美食をすれば労働力は減少するのである。
    又、満州の苦力(クーリー)の生活力が強靭なのは有名な話であるが、彼らは非常な粗食であって、しかも三食共同一な物を食っているというのに察(み)ても私の説は肯定し得らるるであろう。
    しかるに今日の栄養学においては、種類を多く摂る事を推奨するがこれらも実際に当はまらない事は言うまでもないのである。
    又、今回の大東亜戦争において、米英蘭の軍隊を敗退後調査したところによると、彼らの食物は日本兵と比較にならない程、贅沢であったそうである。
    この事実によってみても、美食である敵兵よりも粗食である日本兵が強いという事は全く私の説を裏書しているのである。
     

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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