「非科学的医学」

2020.03.31 Tuesday 06:30
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    次に、数年前物故した有名な入沢達吉博士の死因は盲腸炎という事である。
    その際各地から恩師の重態を聞いて集った博士は百二拾数名の多きを算したという事である。
    かような多数の博士が頭脳を搾り、大国手自身においても無論苦心されたと思うがそれにも関わらず
    治癒し易い盲腸炎のごとき病気が治癒し得なかったという事は情ないと私は思うのである。
    その時同博士は、次のごとき和歌を一首詠んだという事である。
    「効かずとは おもえどこれも義理なれば 人に服ませし薬われのむ」
    そうして医家が診断に臨んで、過去における関連的事項として、父母の死因や兄弟姉妹の死因又は病気の有無、患者自身の病歴等、実に微に入り細に渉って訊問しそれらを参考として診断を下すのである。
    勿論、慎重を期するという理由からでもあろうが、実は患者の身体だけの診査のみでは、適確なる診断を下せない結果
    やむを得ず右のような手段を採らざるを得ないのであろう。
    故に、私は思うのである。
    本当に進歩した医学とすれば患者現在の肉体を診査しただけで、病原は明確に判明しなければならないはずである。
    しかしながら、その様に簡単にして速かなる診断は可能でありやと言うであろうが、私はその可能である事を明言するのである。
    何となれば、私が治療に従事していた時、そうであったからである。
    又、真の医術とは、その療法がいささかも患者に苦痛を与えない事である。
    むしろ治療の場合快感を伴う程でなくてはならない…と私は思うのである。
    そうして治癒までの期間が速かなる事を条件とし、治癒後において何年経るも絶対に再発しない事の保証が出来なければならないのである。
    そればかりではない。
    予後の健康法を教え、それによって患者は、発病以前よりも健康を増し、再び医師の厄介にならないようにならなくてはならないのである。
    かような理想否空想とも思われる医術が果して生れるであろうか。
    という疑は何人も起るであろう。
    がそれはすでに生れているのである。
    しかるに、西洋医学の現在を見るがいい。
    その余りにも非文化的ではないか。
    にも関わらず、その非文化的である程、反って文化的と思惟する現代人の錯覚と迷蒙は憐れむべきであろう。
    見よ、一寸した病気に対してさえ肉を切り、血液を消耗させ、痛苦を与え、不快に悩まし、しかもそれらに対し、手術料の名の下に、驚くべき高価な料金を費やさしめしかも治癒までに長時日を要し、再発の憂を無くするには、身体の一部を毀損しなければならないのである。
    これらの現実に対し、医学は進歩したというが、それは全く、真の医術なるものを知らないからである。
    今や、この地上には、病気滅消の時が来たのである。私は徒らに大言壮語するのではない。
    真の狂人には非ざる限り、確実なる論拠と実証とを把握し得ないで、かくのごとき言を吐けるであろうか。
    これをたとえていうならば、既成医学は鶏卵である。
    すでに内部にある雛は、時来って小さな嘴(くちばし)を以て、殻を破らんとしているのである。
    今や人類にとって真に役立つ所の生きた雛が呱々の声を挙げんとしている。
    それを私は、一日も速く、我同胞に知らしめたいのである。」 (「明日の医術 第1編」より)

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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