「非科学的医学」

2020.03.29 Sunday 06:43
0

    「今日、いかなる人といえども、西洋医学を以て科学である事を信じない者はないであろう。
    しかし私は、西洋医学は科学とは思えないのである。
    本来、自然科学とは、あるがままの自然の実体を掘り下げて、その法則を知る事である。
    そうしてそれによって文化の進歩向上に役立たせる事である。
    従って、真に自然の法則を把握するにおいては一定の規準なるものが生れるはずである。
    しかしながらそれは人間以外のものであって、たとえば動植物は固よりあらゆる無機質類に至るまで、科学する事によってその本質を把握し、法則を、基準を知り得る事は明かである。
    右のごとく科学は、人間以外のすべてに対して神秘を暴き、福利を増進せしめ得るので、その功績に幻惑し、人間をもそれと同一であると思惟し、科学し続けているのであるが、その事自体が一大誤謬である事を私は発見したのである。
    私の言わんとする所はその点であって、人間なるものは一切とは別の存在で、他の一切の範疇には入らない事である。
    即ち人間は現代科学では絶対解決出来得ないという事をまず知る事が人間を科学する法則の第一歩である。
    そうして、人間以外の一切を科学する方法がことごとく機械によっている。科学と機械とは分離出来得ない事実である。
    従って、人間の生命をも機械によって解決しようと企図したのが西洋医学の根本理念であった。
    右の意味を端的にいえば、本来唯心的である人間に対し、唯物的に解決しようとする…それが根本的誤謬である。
    何となれば唯心的である人間に対しては唯心的に解決すべきでそれが真の科学的法則であろう。
    勿論人間は肉体を有ってはいるが、その肉体といえども、人間においては唯心的に解決され得るので、それが根本原則であらねばならない。
    そうして唯心とは精霊であり、唯物とは肉体であるが、その関係は別に詳細説くつもりである。
    これによって、真の意味における人間科学を知り得るであろう。
    勿論、非人間科学と人間科学との隔たりがいかに大きいかという事も知り得るであろう。
    これを識るにおいて、現在の唯物的科学を以て人間に対する時、それは非科学的になる事である。
    以上の意味によってモルモットや二十日鼠をいか程研究して人間に応用しようとしても、それは意味をなさないのである。
    又第一人間と他の動物とを比較してみるがいい。その思想感情や、その形体動作、体質、食餌、生活等あらゆる点において人間との異いさの余りにも大きい事である。
    彼は足が四本あって尾があり直立して歩けない。
    全身の厚皮、硬毛は勿論、言語も嗅覚も聴覚もすべての異いさはこれ以上書く必要はあるまい。
    その位異う動物を研究したとて、人間に当嵌まる訳はないのである。
    故に一言にしていえば、形而下的理論と方法を以て、形而上の問題を解決しようとしているのが、現在までの医学である。
    この意味において、医学上進歩したと思惟し、発見し得たと喜ぶあらゆる方法は、実は真の解決ではなく、一時的非科学的解決でしかないのである。
    しかもその一時的解決とその方法が、反って、その方法施行以前よりも悪結果を及ぼすという事に想い到らない…その短見である。
    故に、医学は進歩したというに拘わらず実際において、病気が治らない。病人が増える体位が低下する。
    結核の蔓延、人口の逓減等々の逆効果の顕著なるのは、やむを得ない事であろう。
    以上は全く、私の言う、非科学的医学の進歩による逆効果に外ならないのである。
    そうして、現代人の中にも、西洋医学の余りにも無力であるのに対し、漢方医学や鍼灸や民間療法に趨(はし)る者が、日に月に増えつつあるのも周知の事実である。
    又、医学専門家の中にも、漢方医学を研究したり、灸点を応用しているという話も往々耳にするところである。
    しかしながら一般人としては、西洋医学の無力と不合理を疑いつつも、誤謬の一部をさえ窺知し得ないが為、それに生命を委するより外、途がないというのが、現在の社会状態である。
    彼のロックフェラー研究所の碩学アレキシス・カレルのノーベル賞を貰った名著「人間と未知なるもの」の要旨を一言にしていえば、現代科学は「人間については何も知らない」…ということである。

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
    Comment