「薬 毒」

2020.03.27 Friday 06:17
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    次に、今一度私の事を言わして貰おう。
    元来私自身は、生れながらにして頗る虚弱者であったから、四拾歳位までは、人並以上の薬剤崇拝者で、ほとんど薬びたりという程で、それまでは、健康時より罹病時の方が多かったのである。
    しかるにたまたまある動機によって薬毒の恐るべき事を知り、断然廃めたのであった。
    それから年一年健康に向い、二拾数年後の今日では、実に壮者を凌ぐほどの健康体である。
    又私の家族十数人も、今日稀(まれ)にみる健康体の者ばかりである。
    その他私の説を信じ、それを実行している人達は例外なく、年々健康になりつつあり、健康家族が造られつつあるに察(み)ても、疑う余地はないのである。
    私はここで、今一つ重大な事を述べなくてはならない。
    それは薬毒保有者は、左のごとき悪影響を受ける事であって、それが多量ほどはなはだしいのであるが、世人は全然気が付かない事である。
    一、常に不快感のある事。
    二、頭脳の活動が鈍くなる事。
    三、身体の動作が弛緩する事。
    右の三項目について詳説してみよう。
    一、の不快感は、薬毒集溜個所に微熱があるから、局部的又は全身的に悪寒があるので、常に普通以上寒がるのである。
    又、何事を為すにも億劫(おっくう)がり、寝る事を好み物に倦(あ)き易く長く一つ事に携わる事が出来ないのである。
    そうして物事の解釈はすべて悲観的となり、常識を欠き、陰欝を好み、従って、晴天の日より雨天の日を好むのである。
    又腹立ち易く、はなはだしいのは自暴自棄的になったり、又常にクヨクヨとして、いささかの事も気にかかり、ヒステリー的ともなり、自分で間違っている事を知りながら、どうする事も出来ないという状態で、又それを煩悶するという事になり、最もはなはだしいのは厭世的となり、廃人同様となる人さえある。
    一家にこういう人が出来ると、他の者まで影響を受けて、家庭は暗く、争いの絶間がないので、人生の幸福を得る事は到底期し難いのである。
    二、現代人は非常に頭脳が鈍くなっている。
    従って、記憶の悪い事も夥(おびただ)しい。
    故に、今日重要なる地位にある人の講演が、ほとんど原稿なしではやれないというようになっているが以前は原稿を持つ事は恥のようにされたという事を聞いている。
    幕末期、彼の杉田玄白や高野長英等の人々が蘭学を翻訳するに当って、参考書も碌々(ろくろく)ないのにともかくやり遂げたという事は、余程頭脳が良かったに相違ないと思う。
    現代人にはそういう人はほとんどないであろう。
    又弁慶が安宅(あたか)の関において、白紙に向って勧進帳を詠んだごとき、稗田阿礼(ひえだのあれ)があれ程浩瀚(こうかん)な古事記全巻を記憶していたごとき実に日本人の頭脳の優れている事は、世界無比であろう。
    又、現代人は簡単明瞭な所説では、充分頭へ入らないようである。
    くどくどしく、微に入り細に渉り、又種々の例証を挙げて説かなければ、会得が出来ないようである。
    本来、頭脳の良い人は、一言でその意を悟り得るのである。
    昔の諺に「一を聞いて十を知る」という事があるが、現代人は「十を聞いて一を知る」のが関の山であろう。
    又、実際よりも理論を重んずる傾向があり、その為に、医学なども理論に偏し、実際を無視したがるのである。
    又、政府が新しい施設や政策を行う場合、国民に対してラジオや新聞やポスター等、これでもかこれでもかと宣伝に努力しても、国民が速かに理解し実行しないという事実は全く今日の国民全般の頭脳が鈍くなっているからであると惟(おも)うのである。
    三、現代人の動作の遅鈍なる事は、またはなはだしいのである。
    これは、国民の大部分がそうであるから気が付かないのである。
    特に、都会人の歩行の遅い事は驚く程である。
    これは身体が鈍重である為である。
    昔の武士や武芸者等が、咄嗟の場合、飛鳥のごとく身をカワしたり、又飛脚屋が一日二十里を平気で日帰りしたりしたというような芸当は、現代人には到底出来得ないであろう。
    元来、日本人は、外国人に比べて非常に身が軽く、動作が敏捷(びんしょう)であるのである。
    日本人の飛行家が特に優秀であるのは、何よりの証拠であろう。
    従って、人間の不幸も争いも、その根本は、薬毒にあるといっても過言ではないのである。
    故に、薬毒のない人間の社会が出現するとしたらいかに明朗であるかを私は想像するのである。
    全く薬毒が無くなった人間は、頭脳明晰で、爽快感に充ち、生々溌剌としているのである。」 (「明日の医術 第1編」より)

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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