「結核問題とその趨勢」

2020.03.05 Thursday 07:51
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    次に「結核予防の実際運動」として当局の採りつつある方策は次のごとくである。
    警視庁は「結核巡回予防班」というものを管下各所に進出させることにしている。
    これは四班に分かれ、各班に一台ずつレントゲンその他簡単な治療器具を装備した自動車を配置、医師、看護婦、書記等が乗り込んで一月の半分はきまった場所で健康相談に応じ、残る半分は各家庭に赴いて患者には治療知識を、家族には予防知識を授けることを目的としている。
    又療養設備は市府私設団体ならびに公私病院の結核病床を合せて僅かに三千六百九十床という情ない現状である。
    しかも更に憂慮すべきはなるべく早く隔離し、治療すべきであるのに、東京市療養所を例にとるならば入院後六ケ月以内に死亡する者が実に六割四分、いかにギリギリ一杯まで自宅にいるかが知られる。
    現在東京市内には十二人の家族が六畳四畳の二間の家に住み三人は重症の患者小学児童が三名というのや、八人の家族が二間合計十一畳の家に住み、至急入院を要する患者二人が十六を頭に四人いる子供と雑魚寝(ざこね)しているというような例がある。
    かくのごとき悲惨かつ危険極まりない実例は全国いたるところにすくなくはあるまい。
    次に、各国における古来から現在に到る療法の概略を説いてみよう。
    結核というものが初めて医学史上に現われたのは極めて古いことであって、即ち西暦紀元前四百年にギリシャの医聖ヒポクラテスは肺癆(はいろう)を説き、紀元前後の頃にはその療法としてチェルズス(ケルスス)は海浜気候、プリニウスは林間居住を唱え、ガレン(ガレノス)は山嶽及び牛乳療法を主張したのであるが、今より約百八十年前に到って始めてドイツのへルマン・ブレーメルが一定の療則を定めて療養所を創設し、今日のサナトリウム療法の基礎を築いたのである。
    その間我国においても永観二年 丹波康頼(たんばのやすより)は「医心方」(いしんほう)を著して肺結核を伝屍(でんし)病として論じ、文化二年 橘南谿(たちばななんけい)は肺結核に伝染と遺伝とあるを説き、本間玄調はこの病毒が伝染毒なることを専ら論証したのである。
    西暦一八八二年(明治十五年)にロベルト・コッホが結核菌を発見してから初めて結核病の本態が判明し、同一八九○年にコッホは有名なツベルクリンを造ったのである。
    しかしこの療法は病竃を刺戟して抵抗を増させる事実は認められるのであるが、これが病症のいかんに係わらず応用されたために重症者の悪化するものが続出し、我国においても内務省からこれの使用を制限する旨の告示が出された程で残念ながら成果を収めるに到らなかった。
    このツベルクリン療法に刺戟されてその後夥多(かた)の免疫化学両方面の真摯(しんし)な研究が続けられたのであるが
    いずれも臨床上確実なる効果を有する方法が発見されず、ここに至って再びブレーメルの自然療法が結核療養の本道として認識されるようになったのである。
    現在世界に有名な米国のトルウドウ療養所、スイスのレーザン療養所同じくタボス療養所等はいずれもこのブレーメルの自然療法に影響されて設立したものであってこの自然療法は栄養療法と共に結核治療に不可欠のものとなったのである。
    次も医学の解釈である。
    抵抗力ということを判り易くいうと、我々の人体には侵入して来るすべての有害物に対して自然の防禦作用が備わって居る。
    その中で最も重要なのは人体中に入りこんだ黴菌を溶解し殺菌しその毒素を打消す抗菌物質があることである。
    それと一般によく知られている白血球の喰菌作用(白血球が黴菌を自分の体内に包み込んで殺してしまう働き)などであるが、これらの力を総称して抵抗力というのである。
    現在ブレーメルの自然療法や栄養療法が療養上不可欠なものとして叫ばれるのも、結局体内に栄養を充実して抵抗力を強め、自然治癒を図るを目的としたものであって、いわゆる「自己の病気を治すものは自己の力以外にない」という信念を具体化したものである。

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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