「人口問題」

2020.02.23 Sunday 06:12
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    (五)出生減退とその増加の方策
    右に述べたように人口の増加をはかるには出生の増加を基調としなければならない。
    ではこの出生の増加を計るにはどうすればよいか。
    わが国の出生率が前の世界大戦の直後のころを転機として急激な低下の勢いを示してきたのは、結婚の年齢が遅くなってきたということとその結婚した夫婦の子を生むことがすくなくなってきたということの二つの原因にもとづいている。
    たとえば大正十四年から昭和十年までの十年の間に出生率が人口千につき三四・九二から三一・六三になっているがこのために出生児の減った数は大約(おおよそ)四十万人の多きに上っている。
    これは大正十四年の当時の有配偶率で、結婚している有配偶者の子供を生む割合が当時と同じであったとしたならば、昭和十年にはこのくらい生れるであろうという数を算出してそれを昭和十年に実際に生れた出生児の数とくらべて算出したものであるが、そのなかで結婚年齢が遅れてきて若い年齢の者の有配偶率が低くなってきたために減ったと認められる数が約二十三万人、結婚をした有配偶者の子を生む率が低くなってきたために減ったと認められる数が約十七万人ということになっている。
    人によるとわが国において出生率が低くなってきているのはすべて産児制限の結果であるというようにいう人があるけれども、しかし右の事実は産児制限のほかにも結婚の年齢がだんだんに遅れてきたために若い人達の有配偶率が低くなってきたということが出生率減退の大半の原因となっているということを証拠立てている。
    また有配偶者の子を生む割合が減ってきたということも、それをすべて産児制限の結果であるというようにみることは早計である。
    有配偶者の子を生む割合が減ってきたというのは、産児制限もその一つの原因になっているにちがいないが、そのほかにも種々の原因で婦人の妊孕力(にんようりょく)そのものが衰えてきたということも想像されることである。
    したがって出生の増加をはかるには産児制限の風潮を一掃することがもちろん必要であるが、ただそれだけでは所期の目標に達することはできない。
    それには、結婚の年齢を早くして若い人達の有配偶率を高めることが必要である。
    また結婚した有配偶者の子を生む割合を大ならしめることにつとめなければならない。
    しかしこれらの出生増加の目標に達することは実はなかなか容易なことでない。
    それにはまずその基本的な前提として産児制限や個人本位の風潮を極力排斥して健全なる家族制度の維持強化をはからなければならない。
    健全な家族制度は人口増加の起動力であるからである。
    また結婚の年齢を早くして若い人の有配偶率を高めるには、団体や公営の機関などをして積極的に結婚の紹介斡旋指導をさせることが必要である。
    結婚費用の徹底的軽減をはかるとともに婚資貸付制度を創設するということも必要である。
    また学校制度の改革については特に人口政策との関係を考慮して、余り長い間学校に行かなければならないために結婚がおくれるようにすることなどもぜひ改善することが必要である。
    (六)人口減少と資質増強の方策
    人口の増強をはかるには、出生の増加につとめることがまず第一に必要なことであるが、
    しかしそれと併せて死亡の減少に努力することが必要であることはいうまでもない。
    そしてこのたびの人口政策確立要綱ではその人口増加の目標を達するために、一般死亡率をこれから二十年の間に概(おおむ)ね三割五分引下げることを期しているがこれもまた出生増加の場合と同じくなかなか困難なことである。
    わが国の死亡率がドイツやイギリスなどのヨーロッパの諸国にくらべてなお余程高いということは前に述べたが、
    しかしそれをもう少し詳しくしらべてみると、そのなかでも特に乳幼児の死亡率と主として二十歳前後の青少年者を斃(たお)す結核の死亡率とが格段高い。
    ただし、このなかの乳幼児の死亡率はわが国でも前の世界大戦のころを境として近頃では非常な勢いで低くなってきている。
    すなわち大正七年におけるわが国の乳児死亡率は出生千につき一八八・六人同八年におけるそれは一七○・五人同九年におけるそれは一六五・七人であった。
    この当時には生れた子供が初めてのお誕生日を迎えるまでの間にその二割近くまでが死亡してしまったわけであった。
    しかるにそれがそれから後は年とともに低くなって昭和十一年におけるわが国の乳児死亡率は出生千について一一六・七人昭和十二年のそれは一○五・八人になっている。
    しかしわが国の乳児死亡率は今日でもヨーロッパの諸国にくらべるとそれでもなお余程高い。
    昭和十一年におけるイギリスの乳児死亡率は出生千につき六一・九人ドイツのそれは六五・八人フランスのそれは六七・○人にすぎなかった。
    またわが国の第六回生命表によると十万人の出生児があった場合に、そのなかで五歳になるまで生き残る者は男児ではわずか八万一千七百八十八人女児でも八万三千二百二十九人しかないことになっている。
    これは生れてから五歳になるまでの間にそのなかの二割近くが死亡してしまうという驚くべき事実を示している。
    わが国の死亡率を引下げるには何よりもまずこの乳幼児の死亡率を引下げることが肝要である。
    また結核死亡率についてはこれまでは何かそれを文化の進歩に伴ってさけることのできないいわば文明病とでも名づくべきもののごとくに思っていた人があったけれどもしかしそれは大きな間違いである。
    わが国における結核死亡率はほとんど低くなる傾きをみせていない。
    かえって近頃ではそれが高くなる傾きをみせているくらいである。
    すなわち大正九年における我が国の結核死亡率は人口一万につき二二・四人であったが、
    それが一時はやや低くなって昭和七年には一八・○となったがそれがそれからは再び高くなって昭和十三年には二○・七となっている。
    これは結核による死亡率の高まることが文化の進歩につれてさけることのできないものであるという意見を裏書しているようにもみえるが、
    しかしこれをヨーロッパの諸国とくらべてみるとたとえばドイツのそれは五・五人濠州のそれは三・八人ニュージーランドのそれは三・六人になっている。
    これは結核死亡率を引下げることがその努力のいかんによっては文化の進歩にかかわらず必ずしも不可能でないということを立証している。
    この度の人口政策確立要綱では、それ故に死亡率を引下げるときの中心目標をこの乳幼児の死亡率を改善することと、結核による死亡率を引下げることとにおくことにしている。」 (「明日の医術 第1編」より)

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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