「人口問題」

2020.02.21 Friday 09:05
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    以上二つの人口の減損を併せてみれば近代戦がいかに人口増加に影響するかということと、この人口の欠損を速かに埋め合せることがいかに重大であるかは明瞭であろう。
    事変下わが国の出生死亡の変動即ち人口動態にも程度の差こそあれ同様の影響を認める事が出来る。
    昭和十三年においては前年に比べて二十五万余の出生が減少し戦病傷死を除いて五万余の死亡が増加し、その結果三十万以上の自然増加の減少を示している。
    かように戦争によって自然増加の一部を失う事は誠にやむを得ないところであるが今日自然増加の一部を失う事は近き将来において父たり母たる者を失うことであって人口増加の将来に永くその影響をとゞめることをも深く考えねばならない。
    更に重要なことは戦争が人口増加のいかなる時期に起ったかによって大いにその影響する程度が異なるという事である。
    一般に出生と死亡の変動の状態によって文明国の辿った人口増加の時代を四つに分けることが出来る。
    即ち死亡率が絶頂に達して低下に転ぜんとし、出生率が上昇して自然増加の増大する時代これを第一期とする。
    第二期は出生率が低下し初めるが死亡率が一層急速度を以て減退しその結果自然増加率が益々多くなる時代である。
    第三期においては死亡率低下の速度が漸次緩やかになり遂には停滞状態に達し、出生率の減退がようやく著しくなって遂には釣瓶(つるべ)落しの状態となってくる。
    この状態が進むと出生率は死亡率と交叉して死亡率以下に下ってしまう。
    一方死亡率は徐々に高まってくる。もはや人口は増加するどころかかえって減退しはじめる。
    この時代が即ち第四期である。第一期に起った戦争の人口に対する影響は比較的容易に埋め合わされる傾向があるが、第二期の終り以後に起った戦争の影響はそう容易には快復され難い。
    それどころか出生減退に一層の拍車を加えるのである。
    ドイツは第二期の終りで世界大戦に遭遇し驚くばかりの出生減退を惹起し、彼の大がかりなナチスの人口増加政策は一度下がった出生率を恢復するのが容易な業でないことを如実に物語っている。
    第三期で大戦に参加したフランスは今日ではもはや第四期に入った。
    この度の戦争においても人員の配置にいかに苦慮しいかに人員の損耗を恐れていたかはドイツのスカンジナヴィヤ作戦以来独軍のパリ無血入城に至るまでの戦闘の経過が明らかにこれを示している。
    フランス華(はなや)かなりし頃欧州をかけ廻ったナポレオンは一八○七年二月アイラウの戦の夕少なからぬ兵力の損害を打眺めて「パリの一夜は総てこれを補うであろう」と豪語したということである。
    それに引かえ世界大戦当時フランスのある将軍は、マルヌの戦線において今少しの壮丁があらばフランス軍は独力を以てラインの彼岸に独軍を追撃し得たであろうと慨歎したという話である。
    フランスの出生減退、人口増加の停滞はさきの世界大戦によって遂に決定的となった。
    フランスは今日ドイツに屈伏した。
    それは前大戦以後におけるフランス人口の動向に徴すれば恐らくフランスの免れ得ない運命でもあったろう。
    ロシヤ帝国の帝国主義の魔手が我が国に迫って来た時、決然として我国は日露戦争を戦い、白人帝国を打ち破って有色人種に歓呼の声を挙げしめたのであるが、その時の我国人口は正に第一期の中葉に該当していた。
    しかし現在我国の人口状態は後に述べる様に既に第二期の終に近づいている。
    今次事変と日露戦争とその規模において格段の相違のあることはいうまでもないが、人口の時代を異にしていることをも忘れてはならない。
    わが国人口増加の将来に関し事変下の今日大いに戒心すべき要ある理由の一つは正にこの点に存するといわねばならない。
    次にわが国を囲繞(いにょう)する諸民族特に大東亜共栄圏内の出生率について比較しなければならない。
    世界人口の五分の一を占める支那民族の出生率は不明であるが、少くとも人口千につき四○以上であることを推定すべき根拠がある。
    二億に垂(なんな)んとする人口を擁するソ連の出生率は四○に近いと推測することが出来る。
    三億五千万の人口を包含する印度は三五、フィリッピンは三七、海峡植民地三八という著るしい高率を示し、これらと比較すれば我が国の出生率は正に最低である。
    もっともこれらの民族においては死亡率も極めて高く自然増加率は出生率の高いほど著しくはないのであるが、以上の出生率はその潜在的増殖力のいかに著しいかを示すに十分であって一度治安が確立され経済生活の安定向上が確保されるにおいては驚くべき増殖力を確保すべきは推測に難くない。
    次に昭和十六年二月十二日発行の情報局週報にこう出ている。
    日本の人口が支那事変の始まるころまで年々百万人に近い増加をつづけてきたということは、一見すると日本民族の限りなき発展を約束しているように思われる。
    しかし実はこれは大きな錯覚である。日本の人口が年々百万人に近い増加をつづけてきたということは疑う事の出来ない事実であるが、それは必ずしも日本人口の悠久の発展と増加とを約束しているという楽観的に考えることはできない。
    人口の増加というものは、死ぬ者よりも生れるものが多い場合におこる事である。
    そこでその毎年の生れる者の数をその年の人口に割り合わせて出生率を算出してみると日本における人口の出生率は明治の初年から大正九年までの約五十年間は年とともに上昇の勢をつづけてきたが、それが、このときを境としてにわかに急激な落勢に転じてきた。
    すなわち明治三十二年の出生率は人口千について三一・三三、明治三十三年のそれは三一・六九であった。
    そしてそれが大正九年には人口千につき三六・一九となってこの期間に我が国の出生率は人口千について、四・八六を増したことになっているが、それから後は年とともに出生率が低くなって昭和十二年にはついにそれが三○・六一となっている。
    これは大正九年からかぞえてわずか十六年の短時日の間にわが国の出生率が人口千について六・五人も少くなってきたという勘定になる。
    これは日本人の子を産む力が短時日の間にそれだけ衰えてきたということになる。
    日本人の子を産む力が、かように大正九年を境として急に衰えるようになってきたにもかかわらず、その増加力がそれ程衰えないでなお年々百万人に近い増加をつづけることが出来たというのはなぜであるか。
    その原因は一に全く死亡率が出生の低下にともなって低くなってきたということにある。
    日本の死亡率は出生率の場合と同じく明治の初年から大正九年の頃までは年とともに高まって来たが、それがこのころを境として急激に低下の勢いに転じている。
    即ち明治三十二年の死亡率は人口千について二一・○五、明治三十三年のそれは二○・三一であったが大正九年には二五・四一となって、この約五十年の間は死亡率が千について五・一を加えているがそれがそれからは出生率の場合と同じように急激な低下の勢に転じて、昭和十二年には一六・九五となっている。
    そしてこのわずか十六年の間にわが国の死亡率は人口千について八・四六も低くなっている。これはまことに驚くべきことである。
    日本の出生率が前の世界大戦を境としてにわかに急激な低下の勢いを示してきたにかかわらず、その人口増加の勢いがそれ程に衰えないで年々百万人に近い増加を続けてくることが出来たのは全くかように死亡率が低下してきた結果である。
    出生率と死亡率とが相ともなって低くなってくるということになるとその結果として人口の将来はどういうことになるか、これはヨーロッパの諸国ではすでに経験ずみのことである。
    出生率と死亡率とが低下の勢いに逆転した結果ヨーロッパの国々の人口はどういうことになったか。
    その第一の結果はこれらの国々では人口そのものがだんだんに少くなってついには民族そのものが自滅してしまうようになるということを心配しなければならないということになってきた。
    出生率と死亡率とが一緒に低下するようになった場合にその人口が将来において自滅の運命をたどることになるというのはなぜか、そのわけは出生率の低下する勢いには際限がない。
    極端な場合には出生する者が一人もなくなるというようなことすら想像することが出来るけれども、死亡率の低下の勢いには一定の限度があってそう無やみに低下するものではないからである。
    むかしの人がかつて空想したように不老不死の秘薬や妙法でも発見されるということにでもなればそれはまた別のことである。
    今日までに世界の人類が経験したところでは死亡率を人口千について一○以下に引き下げることはなかなかむずかしいことである。
    世界のうちで死亡率のもっとも低いのは、今日では濠州とニュージーランドである。
    そこでは死亡率がすでに二十年も前から人口千について一○以下になっているが、これは世界の最低率である。
    ヨーロッパの文明国のうちでもっとも低いイギリスでもその死亡率は人口千につき一一・六(昭和十三年)ドイツでも一一・七(同年)になっている。
    これらはおそらく人類の到達することの出来る最低の死亡率を示しているものとみなければならないであろう。
    それでこれまでのように日本でも出生率と死亡率とがヨーロッパの諸国におけると同じになるまで急激な低下の勢をつづけて行くことになるとすれば、その結果はどういうことになるか。
    わが国でもそれらのヨーロッパの諸国におけると同じように民族の自滅することを心配しなければならない時がくるに違いない。

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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