「明日の医術 第一編 序論」

2020.02.19 Wednesday 08:15
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    この不思議な現象はいかなる訳であるかということを述べてみよう。
    元来、学問とは、前人によって作為されたところの事物、法則の歴史であって、過去の知識である。
    未来の分野に対する開拓的知識であるよりもただ基礎としての価値である。
    言わば、既成的定型的知識である。従って、未来の夢を現実にしようとする場合むしろ学問が邪魔になる事さえあるのである。
    その固性化したところの定型的理念がその夢を否定しようとするからである。
    しかるに、偉人とは、すべてその企図や行動が型破りならざるはないのである。
    既成の型や過去の知識の否定によってこそ新しい物が生れるのである。
    そこに飛躍がある、昨日の文化は明日の文化ではない。
    勿論、いかに新しい発見や発明といえども無から有を生ずる魔法ではない。
    永い間前人が築き上げた歴史の土台の上に打ち建てられるものには相違ない。
    そうして学問は、既成の型を絶対の真理として信奉する結果、それが往々有用なる発見や発明を阻止し、否定しようとするのであって面白いのはその役目をその時の有識者がする事もあるのでせっかく人類に役立つ立派なものが一時押えつけられるという例もよくあるのである。
    そうして一体、医学の目的は何であるか。いうまでもなく医学の為の医学ではない。
    病気を解決せんが為の医学であらねばならない。
    それは、あらゆる病原を闡明(せんめい)し、あらゆる病気を治癒し、健康を増進せしむる事である。
    即ち病気のない人間病人のない家庭を作る事である。
    人口増加が旺盛で、これに関して政府の施設など要しない国家たらしむる事である。
    結核療養所も精神病院も漸減し、体力管理も健康診断も不必要になる事である。
    以上のような方向に少くとも一歩一歩近づくというそうなる事が、医学の進歩であって、そうならせる力それが真の医学であると私は思うのである。
    しかるに何ぞや、現在の状態を見るがいい。右に述べた事とおよそ反対の方向に進んでいるではないか、それはいかなる訳であろうか、これらの現実に対して、専門家は勿論の事、政府も国民も何ら疑問を起さないのである。
    実に不可解極まる事と私は思うのである。この不可解極まる世紀の謎は、この著書によって明かになるであろう。
    しかし、飜(ひるがえ)って省察する時、それは理由がある。
    現代医学のその容装の何と絢爛たる事よ、顕微鏡の進歩は細菌の発見となり、解剖学やレントゲン等によって人体内部はますます闡明され、各般に渉っての分析は微に入り細に渉って幾多の発見となり、薬物光線その他の療法はいよいよ種類を増し、手術の技巧は巧緻を極め機具や設備や消毒法等は実に完璧とさえ思われる程である。
    これらによって、医学がすばらしい進歩を遂げつゝありと思うのも無理はないのである。
    そうして、文化民族が私のこの理論を肯定するか否定するかによって、その運命は決定するのである。
    もし、肯定を遅疑し、又は否定するとすればそれは滅亡への前進を速めるばかりである。
    しかし、反対に肯定するとしたら、それは永遠の光明と繁栄への道へと進むのである。
    従って、医学専門家の一人でもいい、私の説による「医学の創始」に着眼せられたい事である。
    それは確かに医学の革新であり、明日の医術への出発であり、未来の科学の創建への第一歩となるであろう。
    又、今日まで医学として、真の意味における日本医術はなかったと私は惟(おも)うのである。
    帰する所、西洋、支那、印度等において創始された医術を日本化したまでであって日本独創の医術ではない。
    しかし、私の提唱するこの医術こそ、それは真の日本医術として永遠に誇るに足ると惟うのである。
    又、私は常にこういう事を思うのである。今日本が、中国や南洋の占領地帯ヘ、宣撫班を派している、そうして宣撫班の主点は何といっても医療によって、彼らに日本の文化の発達を示しその恩恵を知らしめる事である。
    しかし、一歩進んで考える時こういう結果になるのではなかろうか、それは、その医療が効果のあった場合、日本人の優秀を信ずるよりも、まずその医学の創始者である西洋人の優秀性を感ぜずには措かないであろう。
    そうして、日本人の偉さは、西洋人の作品に対し、その模倣の巧妙さを讃えるというそれ以上には出でないであろう事である。
    この意味において私のこの医術を以て彼らを救う場合、西洋医学より効果の大であればあるだけ心底から日本人に服するという事は自明の理である。
    しかも機械も薬剤も何も要らないのであるから、いかなる僻地といえども容易に実行し得らるゝのである。
    今日の社会において、あらゆる不幸の最大原因は何であるかというと、まず病気そのものであるといえよう。
    ここに一人の病人が出来たとする、たまたまそれが結核とかそうでなくとも何とか名のつく病気とする。
    それは誰しも直ちに医師又は病院に診察を乞い、治療を受けるのが常識である。
    しかるに、医療においては少し重い病気はまず安静を第一とする。
    次いで、服薬、注射、氷冷、湿布等々複雑多岐なる療法を行う。
    しかるに、容易に治癒しない。やむを得ず患者は、医師又は病院を替える。
    それでも治らない。その場合、余裕のある人程治りたい一心で、費用や時間に構わず何個所も病院を更(か)える。
    ちょうど病院遍歴者である。
    しかし、いかに焦っても治るはずがない。
    何となれば、何軒歩いた所で西洋医学という一つの根本理論から成立っている療法はどこへ行っても大同小異であるからである。
    故に、最初の医師で効果がなかったものは、同様の学歴によって修得した次の医師も左程異るはずがない。
    たゞ医師によりその才能の特に優れた人は、診断、技術、精神的方面等綜合して良い結果を生むという例はない事はないが、それらは一般には当嵌(あてはま)らないのである。
    そうして何程病院通いしても入院しても治らない。
    患者は煩悶懊悩(はんもんおうのう)する。
    そういう頃になると大抵な人は貯金は費い尽し、しかも、主人である場合、長い間職業を放棄しているので、収入は減少又は杜絶して借金は出来る、勤務先からは馘になり進退ここに谷(きわま)るという、いとも悲惨な状態は今日随所に見らるゝ事実である。
    又患者が妻女又は子女である場合、病気が数年に渉るにおいて一寸した財産は蕩尽してしまうであろう。
    そうしてその結果生命を失くするというに至っては、それまでの多額の費用はほとんど無駄に捨てたも同然である。
    即ちその莫大なる費額の代償として得たるところは長日月間の苦痛と「死」そのものである。
    噫(ああ)、あわれなるものよ!「汝の名は現代の人間である」と言いたい位である。
    まず二、三人の子女を次々右のごとき病気の経路と死を繰返すにおいて、大抵な財産は蕩尽され、老後の希望も楽しみも消失して絶望の極(きわみ)、敗残者のごとき生活に陥ってしまったという不幸な人の例も、私は余りにも多く見たり聞いたりしたのである。
    かくのごとき高価なる犠牲を払って、かくのごとき不幸なる結果がその代償であるという事実は何を物語っているのであろうか、その理由は簡単である。
    現代医学は、病気を解決するには余りにも無力であるという事である。
    この著書においての主眼とする所は、人口問題であって、それは文化民族の増加率が低減するという事が、その帰結として、ついに滅亡への運命を示唆していることである。
    彼の独逸の人口統計学者として知られているブルグドエルファー氏の推計した所によると今から約百十年を経た西暦二○五○年頃になると、独逸の人口は二千五百万人になってしまうという事である。
    これは今日の独逸の人口六千七百万人に比ベるとほとんど五分の二に近い数に激減してしまう事になる。
    又、イギリスのエニッド・チャールス女史の研究によるとイギリスの人口が、これからも今までと同じ様に出生率と死亡率とが一緒に下ってゆくとすれば、イギリス今日の人口は約四千六百万人位であるが、今から百年後にはその十分の一以下の四百四十万人になってしまうというのである。
    しからば我日本における統計はどうであろうか。
    我国統計学の権威中川友長博士の推算によると、昭和十五年の現在数七千三百九十三万九千二百七十八人が今日までの割合で推移するとして六十年後の昭和七十五年には一億二千二百七拾四万一千七百七十七人となり、これを極点として減少し始め、それより二十年後の昭和九十五年には一億一千五百四十六万五千三百八十六人になるという事である。
    右の計算を以てすれば独逸は五百五拾年後にはただの百六十万人となり、英国は向後二百年にして四十四万人となり、日本は四、五百年にして零になるという計算になるのである。
    右は統計を基礎としての予想である以上相当の信をおいてよかろう。
    実に、この問題に直面する時何人といえども恐怖と戦慄に襲われない訳にはゆくまい。
    私はこの大問題こそ、東亜共栄圏の問題よりも、世界新秩序の問題よりも、幾層倍、否幾十倍もの大なる問題であり、絶対的解決を要すべき問題であると思うのである。
    以上のごとく十九世紀から二十世紀にかけて、この人口減少という恐るべき現象が起ってきたのはなぜであろうか、そうしてこの不思議な現象は十八世紀以前には無かったと思うのである。
    何となればもしいつの時代かに始まっていたとすれば少くとも今日までに文化民族は滅亡か、あるいは滅亡に近い運命になっていなければならないはずであるからである。
    そうしてこの人口低減という二十世紀の謎の本体は何であるか。
    読者よ驚くなかれ実に医学の進歩そのものであるという事である。
    嗚呼歴史あって以来かくのごとき意想外極まる問題はあったであろうか。
    私は文化民族が三、四、五百年にして全滅するという統計を示したのであるが実は私の観る所ではもっと速くあるいは二、三百年以上は困難ではないかと思うのである。
    何となればその原因が医学の進歩による逆効果である以上医学が益々進歩するとすれば現在程度の医学で樹てた予想よりもより悪い結果を来すべきは当然の帰結であるからである。
    しからば右の逆効果という意味はいかなる訳であろうか。
    これを徹底的に露呈闡明し真の日本医術を創建し、滅びゆかんとする人類幾億の精霊を救済せんとする一大本願がこの著書となったのである。」

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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