「明日の医術 第一編 序論」

2020.02.18 Tuesday 08:28
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    「この書を読む人の為に前以て断っておきたい事はいかなる読者といえども、今まで読んだところの書物否今日まで全世界で出版されたあらゆる書物といえども、恐らく私のこの著書位想像もつかない驚愕すべき説は無いであろうと思うのである。
    あるいは異端邪説視する人もあるかも知れない。
    それは、十六世紀の初め彼の地動説の始祖ポーランド人コペルニクスが、その天文学革新の説を著書として出版しようとしたが本国では到底許さるべくもないので、弟子である独逸(ドイツ)の一青年に託して独逸国で出版しようとしたが独逸でもそのままでは危いので、冒頭に「作り話」と書いて辛くも出版し得たという事や、又その後継者ともいうべき自然科学の泰斗ガリレオが、地球の自転説によってローマ法皇庁に喚(よ)ばれ拷問の刑に遭ってやむなく自説を飜えさゞるを得なかったのは、それは彼が七十歳の老齢で拷問に堪え得なかったからだという事であった。
    その当時ガリレオが作った望遠鏡を人々は悪魔の道具であるといって近寄るのを恐れたという今日から観ると真実とは思えない程の滑稽事さえあったという事である。
    かようにその時代にあって、既存の説を覆えすような新しい説や、人々の予想もしない新発見は、誤解と狂人扱される例は少くないのである。
    そうして私は、過去弐拾数年間医学でない病気治療に従事している中、実に驚くべき事実を発見して愕然としたのである。
    恐らく今日まで世界の誰もが発見したという事を聞かない悲しむべき一大事実である。
    しかし、私は考えた。この真実を発見し得たというその事は大いなる理由がなくてはならない。
    その理由とは何ぞや。それはこの事を遍(あまね)く人類に知らしめなくてはならない「危機の時」が来たという、神の意志でなくて何であろうと思ったのである。
    ここで、平凡な私の経歴を書かして貰おう。私は学問は極めて低い、ただ画家を志して美術学校の予備門に入り、眼疾の為半途退学をしたのである、それから実業家たらんとして一時少し成功したが、ついに大失敗をして失望懊悩の結果と生来の病弱を解決したい一念も手伝って宗教方面に趨(はし)り、霊の研究に趣味を持ち全身を打込んだのであった。
    それから「病気と霊との関係のある事」を知って、なおも研究に耽(ふけ)りつつついに独特の治病法を創成したのであるが、それよりも病気とその原因とが想像もつかない意外な所にあるのを知ったのである。
    そうしてそれは、はっきり知れば知る程、現代医学の理論と反対であって、西洋医学を基本としている今日の政府の政策とは全然喰違うので病気治療を廃(や)めてしまったのである。
    しかしながら、私の治療に従事している時の治癒率は当(まさ)に驚くべき程で、その治癒率は九十パーセントは確かであった。
    常に門前市をなしどうにも身体が続かなくなったというその事も廃める理由の一つであった。
    治病率九十パーセントなどゝいうと何人も本当にする者はあるまい。
    特に専門に従事する人はなおさら信じ難いであろう。
    しかしながら私が治療に従事している時に、こういう事を言ったらそれは宣伝の具に使うと思われるかも知れないが、今は廃めてしまって閑日月(かんじつげつ)を送っている境遇でそんな宣伝などは何ら必要はない訳である。
    そうして右のごとき恐らく世界に類例のないであろう治病率を挙げ得たという事は何が為であるか、それは病原の真実を知ってそれを衝いたからである。
    しかも医薬も機械も使用しない、ただ手指と掌の技術によってである。
    今一度断わっておきたい事は、私のいう右の効果がいささかの誇張もないという事である。
    今日医学は実に驚くべき進歩を遂げつゝありとされている。
    そうしてあらゆる文明国人がいささかの疑もなく信じ切ってしまって、各国の政府も国民もこれを基礎として、それぞれその国民の保健政策を樹てている。
    そうして未来観としてあらゆる病原は一つ一つ解決されてゆき、その治療法は確立され、人間の寿齢は延長し、体位は向上すべく、先進文明国が伝染病や結核が漸減しつゝある事実に観て社会衛生の進歩の結果とされているのである。
    しかるに何ぞしらん伝染病や結核が理想のごとく漸減し、寿齢が緩慢ながら延長し、死亡率も漸減しつゝあるのであるから
    人口はどうしても増加しなければならないはずであるに係らず現実はその反対であって、各国共人口低減の防止に必死となっているという事は全く不合理極まる事というべきである。
    又、我日本においての結核や虚弱児童の増加一般体位の低下等は周知の事実である。
    しかも明治三十年代の兵役壮丁者の胸部疾患が百人に付二人であったものが、昭和十二年には百人に付二十人という実に十倍という増加である。
    その他幾多の事実が医学の進歩とおよそ逆比例しつつあるのは何故であろうか、これは要するに何らか未だ発見されない所の大いなる原因が潜んでいるのではなかろうか。
    これをたとえていうならば樹木の葉の色が悪くなって新芽の出方が年々少くなるというので葉や枝や幹に原因があるのではないかと研究しているようなものではなかろうか。
    何ぞ知らん、原因は誰も見えない所の根にあるのだという事それに気が付かないのではなかろうか。
    私は、病原はこの根にあるという事を発見し得たのである。
    そうして、私の説が真理として肯定される事も、実行に移さるゝ事も、容易ならぬ事であろう。
    それは現在まで幾世紀の間築き上げられた西洋医学を基本として、あらゆる制度や施設が作り上げられている現状だからである。
    といってこのままではいよいよますます統計は悲観的方向を指すであろう。
    これ故に末梢的方策をいかに行ったところで、一時的ある程度の効果はあろうがその原因に触れざる限り大勢はいかんともなし得ないであろう。
    事は、国家の興隆民族存亡に関する重大問題である。地動説のように、それが肯定に百年遅れてもあえて危機には関わらないが、これは焦眉の急を要する大問題である。
    私はこの著書を以てまず警鐘たらしめようとするのである。
    近代文明は、科学の進歩によって築き上げられた事は今更論をまたない所である。
    科学の功績によって、人類の福祉がいかに増大されたかは、けだし、量り知れないであろう。
    これ故に、現代人がいかなる事物といえども、科学によって解決なし得ないものはないと思うのも無理からぬ事である。
    勿論人間の病気も生命も科学の力によって漸次解決されてゆくとするのも当然であろう。
    しかしながら、あらゆる事物が、科学によって解決なし得るものと、科学では解決なし得ないものとの区別が自らあるという事も知らねばならない。
    又こういう事もいえると思う。現代科学の進歩そのものは、原始時代からの歴史と相対的に観ての事であって、今後数百年又は数千年後の人類が二十世紀の科学を批判する時、その余りに幼稚であった事を嗤(わら)うであろう事は、ちょうど吾々が原始時代の文化を嗤うと同一であると想うのである。
    彼の中世紀におけるアリストテレスや基督教一派が唱えた地球中心の説を、その時代の人々は無上の真理としていた事や、又その時代の占星術が今日の科学のごとく崇拝され、占星術を知らない医師は名医とはいわれなかったという史実も今日からみれば馬鹿馬鹿しい位のものである。
    従って私は人間の生命は、現代程度の科学での解決は不可能であると言うのである。
    しかしながら停止することを知らない科学の未来は、ついに人間の生命をも解決為し得る時代が来るであろう事も想像されるのである。
    従って、私の所説は、人間の生命に関してのみ、現代科学の理念では解決出来得ないと言うのである。
    それにも係らず解決なし得るとしている。そこに根本的誤謬の発生があるのであってその誤謬の発見こそ、この著書となったゆえんなのである。
    そうして、私のこの所説こそは、実は未来の科学と思っている。
    故に、現代科学に慣れている読者は先入観念にとらわれる事なく飽くまで頭脳を白紙にして臨まれん事である。
    専門家はいうであろう。医学を学んだ事のないいわゆる素人輩に何が判るか。おこがましいにも程があると、しかしながら私はいう。
    私が医学を知らなかったからこの大発見が出来たのである。それは偉大なる発明が専門家でない一介の無名人が為し得た事や大鉱山が鉱物智識のない者が発見したという事実など少くないことは、誰もが知る所であろう。
    ここで、発明発見について、私の所見をいわして貰いたい。
    今日までの偉大なる発明や発見においてそのほとんどが学者や専門家ではないということである。
    彼の蒸気におけるワットや無線電信のマルコニー、電気のエジソン、飛行機のライト兄弟等々にみても明かである。
    そうしていわゆる素人が根本原理を発見し、学者がそれの進歩改良を遂げるというそういう経路によって発達し来ったのが、あらゆる文化の現実であろう。
    又今日世界を動かしつゝある偉大なる人物として彼のヒットラー、ムッソリーニ、スターリンのごときも、学問は極めて低いという事である。

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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