「医学は退歩したか」

2020.02.10 Monday 08:14
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    故に風邪こそ実に、最簡便なる天与の万病離脱法である。
    しかるに昔から、風邪は万病の因などというが、これは全く誤りであって、実はその反対の万病を免れ得る最も最善の方法であって、実に創造神が作為されたいとも巧妙なる保健法である。
    にも不拘(かかわらず)、それに盲目である医学は、風邪に罹る事を非常に恐れ、飽くまでこれを避けんとするのである。
    それが為万が一罹病した時、発熱を懼(おそ)れて飽くまで下げようとするのである。
    その結果折角の浄化は不能となって、ついに汚濁はそのまま残存し、時日の経過と共に固結してしまうのである。
    この汚濁固結こそ、実に結核的弱体化のそもそもの原因である。
    そうして、頸部及び肩部付近に溜積せる水膿固結は、解熱剤、安静療法その他によって一旦解熱し、鎮静を得るといえども、それは一時的で真の治癒ではないから、再び自然浄化作用に因って風邪に罹るのであるが、医療は再び浄化防止を行うので、その結果として膿の固結は漸次加重されていく訳である。
    かくのごとき事を繰返すにおいて、膿の固結は益々増加するから、当然の結果として自然浄化に因る発熱は解熱剤を以てしても容易に鎮静しない程に執拗となるのである。
    その必要となった発熱の為に溶解した膿が喀痰となって排泄する。
    その為に咳嗽が起り、それが連続的となるのである。
    又、今一つの症状を見逃す事は出来ない。
    それは、不断に頸腺及び肩部に集溜しようとしつつある全身の汚濁は、右の部に溜積した長時日の膿の固結に遭ってその部への集溜は不可能となるので、止むを得ずそれ以下である胸部の上辺から、乳及び腋の下の肋骨膜に溜積固着するのである。
    その固着部が乳及び腋の下辺である訳は、勿論、人間が両腕を絶えず使用するという、その為の神経集中によるからである。
    そうしてこの症状が胸部であるによって、医家の診断は肺結核又は肺浸潤とするのであるが、実はこの際は肺には何ら異状はないのである。
    何となれば、右は肋骨の内部症状ではなくて肋骨の外部であるからである。
    しかし、何分発熱とラッセルとレントゲン写真に雲状を顕すにおいて、肺患と誤診するのは無理もないのであるが、これは全く否である。
    故に、この症状は余の治療に依れば、一人の例外なく全治するに見ても、肺に異状のない事が明かであろう。
    次に、肺患悪化の原因として、特に消化不良の一事である。
    そうして、この原因の大部分が謬れる医療の為である事は言うまでもない。
    それは、肺患と知るや、医療は絶対安静を行うのである。
    この為運動不足による胃弱は著しいものであるのと、今一つは消化薬を服用させる事であるが、事実において胃を強め、食欲を増進させようとするその目的とは反対の結果となるのである。
    なぜなれば、一時は胃薬によって消化は旺盛となるが、日を経るに従い、胃自身の活動力は漸次衰退するのである。
    それは薬剤が消化してくれるから、胃は活動の必要がないから衰耗するのは当然な理である。
    その結果として、胃薬の効果が漸次薄弱化し、食欲不振となるから、いよいよ胃薬を服用させるという循環作用によって、胃はついに睡眠状態となるので、それが病勢を悪化さす事は、実に致命的でさえある。
    現在頗る多数に上りつつあるという胃疾患の原因も、これで肯けるであろう。
    その他、下痢、喀血、盗汗(ねあせ)等の原因及び療法等の誤謬も、右と大同小異であるから略する事とするが、要するに以上に依っても判明さるるごとく、現代医療は驚くべき錯覚の道を歩んでいるのである。
    これを一言にして言えば、人体に病気が発生するや、それを治癒しようとするその方法が治療の妨害となる事であって、特にその妨害の最も根本ともいうべきが解熱剤と氷冷である。
    故に、忌憚なく言えば、人体自身の治癒工作と治癒をさせまいとする医療との闘争で、その結果としての結核増加である。

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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