「霊と血と正しき信仰」

2020.02.03 Monday 09:27
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    「そもそも、人体の構成原素を大別すれば二種の原素から成立っている。
    それは、精霊と肉体とである。しかるに、今日までの科学は、肉体あるを知って精霊あるを知らなかったから、半分だけの認識であったのである。
    それは、科学が進歩したといっても、精霊の実在を測定なし得るまでに到らなかった為である。
    しかして、再三述べたごとく、病気の根源は、精霊に最初発生するのであって、その順序として精霊の曇りが血液の汚濁となり、血液の汚濁が肉体への病気となるのであるから、血液なるものは、実は精霊の物質化であるとも言えるのである。
    その証拠には、人間の死後忽(たちま)ちにして血液は凝結するので、血液の量積は何百分の一に減少する訳である。
    即ち、血液を全身的に流転活動させつつあったそのエネルギーの脱出である。
    しからば、そのエネルギーは何であるか。その召海柔採遒修諒である。
    故に、死は精霊の脱出である。
    いわば、最早使用に堪えなくなった肉体を精霊は捨て去ってどこへか行ったのである。
    別な意味から言えば、精霊を繋ぎとめるとしては、余りに肉体が破損し過ぎてしまったのである。
    宛(あた)かも壁は落ち、軒は傾き、雨露を凌(しの)げなくなったから、止むを得ず、その破家を捨てて永年住んでいた住居人が引越して行ったようなものである。
    故に、人間の健康上最も緊要なのは清浄なる血液である。
    しかるに、この血液を浄化する方法は、今日まで絶対に発見されていなかったのである。
    薬剤も、光線も、電気も、この力は無いのである。それは、血液なるものは精霊の物質化である以上、血液を浄めんとすれば、どうしてもまず精霊を浄めるのが先である。
    しかし、精霊の実在を知らなかった科学は、血液浄化法を発見されなかった事は当然な訳である。
    しかし、この隠れている力である精霊なるものは、肉体以外の全部ではない。
    実は、精霊は外殻であって、その中に心なるものがあり、その又中心に魂なるものがあるのであって、魂こそ実に人間五体の支配者であり、主である。
    そして、この魂なるものこそ、神から付与せられたる最貴重なるもので、実に良心の根源である。
    故に、この魂の発動が意思となって心を動かし、その心が精霊を動かし、精霊が肉体を動かす順序である以上、魂から出発した良心の命ずるままに動けば、不正はないから、決して失敗はないのであるが、ここに厄介なのは、精霊には種々の動物霊が憑依する事である。
    この様な事を言えば、現代人は嗤(わら)うであろうが、私は嗤う人達を嗤いたいのである。
    何となれば、事実は厳然として否定すべくもないからである。
    その動物霊とは、狐狸、天狗、蛇、犬、猫、馬、蛙、鳥類等が主なるものであって、これらが精霊内に在って、伸縮自在、無碍(むげ)に活動しているのである。
    普通は一個体であるが、人により二個体以上憑依の場合もある。
    いかなる人といえども、一個体は必ず憑依しているのであって、この常憑者の外に、臨時に他霊が憑依する場合もあり、人間の死霊が憑依する事もあるのである。
    しかして、これら憑霊は、一切の悪の根源である。
    故に、神から付与の内奥部の魂から発する善と、外部から憑依した動物霊から発する悪とが、絶えず心を専有せんと闘争しているのである。
    随って、この中間に挟まっているところの心は、内からの魂に組せんか、外からの憑依に組せんかと、絶えず動揺し、昏迷しつつあるのが、現在における人間の想念の状態である。この理さえ解れば、信仰に対しての正邪の区別が判然するのである。
    正しき信仰は、主の神が中心である。主の神は太陽神たる天照大神であるから、絶えず太陽の光明に照らされるのである。
    この太陽の光明に人間が照らさるる時は、憑依している動物霊は畏縮して、自己の活動力が衰弱するので、本来の悪の活動力が鈍り、悪を以て心を捉える事が不可能となるのである。
    悪の誘引が弱れば、心はどうしても魂、即ち良心に組しない訳にはゆかなくなるのである。
    この状態になった人こそは、真の信仰を把握し、魂の磨けた有徳者になったのであるから、ここまでに成った人間は、病気、失敗、不幸からは全く解放されて、一身一家は栄えゆくばかりで、法悦を味い得るところの光明の生活者である。
    これらの完全人間を造るのが我観音運動であって、この力は観音力より外には無いのである。
    酒を好むのも、姦淫をするのも、争を好むのも、皆この憑霊が本来の悪を以て、その人の心を専有した結果である。
    しかるに、今日までのいかなる宗教といえども、この憑霊を畏縮さすべき光の力が無かったのであるから、光明生活者たり得る者が無かった訳である。
    その証拠には、病者、飲酒家、姦淫者、争等の全く無い宗教団体は在ったであろうか。
    遺憾ながら否と言わざるを得ないのである。
    我健康協会会員には、病者、飲酒家、姦淫、争は無いと言ってもよいのである。
    ただしかし、新しく入信したての者は、過渡期の現象としての右の残跡あるは止むを得ない事ではあるが、時日の経過と共に、一歩一歩より向上しつつ、ついに全く完全人間、光明家庭を作り得るのである。」 (「新日本医術書」より)

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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