「観音力療病は何故治る乎」

2020.01.28 Tuesday 08:38
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    例えば、皇道は露西亜(ロシア)人には解せまい。ファッショは、亜米利加(アメリカ)には適すまい。
    共産主義は日本には行い得ないようなものである。
    この事に着眼の出来る人は、物象を真に観透す能力者である。
    それ故に、一切が世界的にまでなった今日の時代としては、どうしても世界的救済力と、その宗教が発生されなければならない事である。
    ただしかし、その時と所とが残された問題なのである。
    ここでまず、その時から検討してみよう。
    世界的救済がタッタ今出現したとして、時期は早過ぎるであろうか、という事である。それに対して、否、と言う人は有るまい。
    なぜなれば、現実としての世界人類の苦悩の喘ぎは、最早一日も忽(ゆるが)せには出来ない現状である。
    今にして世界的救済が生れなければ、人類の前途はどうなりゆくであろう。
    あらゆる不健康な人間と不健全な精神と宗教の無力と思想の混乱を見るがいい。
    又、欧羅巴(ヨーロッパ)と亜細亜(アジア)の動向を認識するがいい。
    それは、有史以来類例の無い凄惨時代に向いつつあるではないか。
    実に、これこそいわゆる世界終末の姿ではなかろうか。
    そうして、それを喰止める力、その力の存在はどこにも見当らないのである。
    これらによってみるも、最早世界的宗教が発生し、世界的救済が行われなければならないところの、時の条件は充分に具(そなわ)っていると見るのが至当である。
    実に最早遅疑を許さないまでに、時は迫っているのである。
    次に、所は、どこであろうか。これは即座に日本国であると言えよう。
    それは、古典や聖者の予言を藉(か)りなくとも明かである。
    何となれば、東洋の精神文化と西洋の物質文化とを余す所なく吸収し、咀嚼(そしゃく)し、(中略)しかも、国際正義を遵守(じゅんしゅ)し、常に平和と道義の為、努力を続けている国、それは日本を措いて他には類型が無い事である。
    この点から観ても、所は日本である事に何人も異議は無いであろう。
    故に、時は今、所は日本国に、世界的救済と宗教が生れたとしても何ら不思議は無いはずである。
    しかして今や顕現すべき大宗教と人類救済の委任者は、一体無形の神であろうか、否仏であろうか、又は、有形な人であろうか、という事である。
    無形の神や、偶像的仏体では、この大事業は到底成し得るはずがない。
    何となれば、今日までの救済はそれであったが為に、ついに今日のごとき地獄的世相を実現して、どうする事も出来ない現状ではないか。
    故に、真の救済力を発揮するには、人としての機関でなければ到底出来得ない事は勿論である。
    そうして、その機関として選まれたのが、不肖(ふしょう)、仁斎の肉体である事である。
    私は自称救世主の言葉は嫌であるが、右のごとく説明するより致方がないのである。
    この意味によって、世界人類を不幸と苦悩の檻から、解放させる時が来たのである。
    随って、悪魔の意図から出たところの不正堕落や、暗黒思想、極端に歪められた宗教、狂い切った人間の行為等、それら一切の罪悪の根原を打ち断り、本然(ほんねん)の正しさに還さなければならない。
    と共に過去数千年間滞積の罪穢によって、最早動く事の出来ない万般の行詰りの原因である、一切の汚濁を根本から浄めてあらゆる不幸を除去しなければならないのである。
    かくのごとく、救済を要する人類の数限りない苦悩の中で、何と言っても病苦からの解放こそ、最重要なる救いは他には無いであろう事である。
    それが即ち、観音力療病法となって、まず現われたのであるから、他のいかなる療法も、較べる事の出来ない程の効果と力があるのは当然である。
    罪穢を赦し給う権能を行使さるる御仏こそ、実に慈悲の権化とも言うべき大聖観世音菩薩である。
    そうして、その救世的活動を仁斎の肉体を通して行わせられるのであるから、真の病原である罪穢の払拭されてしまう理由は、まことに瞭(あきら)かな事である。
    その為にこそ、仁斎の肉体から不断に放射する霊光であって、それによって一切の曇は解消されてしまうのである。」 (「新日本医術書」より)

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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