「純日本医学の建設 緒言」

2019.11.26 Tuesday 08:34
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    「今日まで千数百年以来、我国において行われ来りたる医学そのものは、実にみな外国医学にして、即ち人も知る西洋及び漢法医学なり。
    しかるに両医術共、長年月に渉り、あらゆる研究実験を以てしても、その進歩の遅々たる、到底人類が安心して身を托するに足らず。
    病気の不安より解放さるるの日は、なお前途遼遠(りょうえん)の感無くんば非ず。
    人あるいはいわん、輓近(ばんきん)医学は非常なる進歩をなせしと。されど学理のみに偏して治療方面は更に進歩の跡無きに非ずや。
    溢るるばかりの病者と病院の満員なるに見ても、証して余りありというべきなり。
    しこうして人生の幸福はいかなる条件完備するとも、まず健康にして完(まった)かざれば何ら価値無きは論をまたず。
    バイブルにいわく、「爾(なんじ)世界を得るとも、生命を失わば奈何(いかん)せんや」と。
    宜(むべ)なる哉。この言や実に永劫の真理なり。
    しかるに余は観世音菩薩の功力(くりき)と、長年月の研究と相まって、あらゆる病源とその療法を識り得たり。
    識るに及んで現在の洋漢いずれの医学も、根本において大いなる誤謬あるを発見して驚愕せり。
    この誤謬を革正するに非(あら)ずんば、今後何百年を費すとも真の医学は確立さるる道理なし。
    これにおいて余は純日本医学建設の名において、この空前なる大創見を順次発表せんとす。大方の専門家諸彦(しょげん)虚心宜しく余の真意を汲まれ、熟読、実験、参考に供せられ、真の医学を完成せられ、人類の不幸を殲滅(せんめつ)せられん事を冀(こいねが)いてやまざるものなり。
    その前提としてこの発見の動機と、観世音菩薩との関係等に渉り、ここに述べ置かんとす。」 (「純日本医学の建設(一)」より)
     

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -
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