伊都能売神(いずのめのかみ)と素盞鳴尊(すさのうのみこと)

2019.10.18 Friday 09:23
0

     観音様は観音菩薩で、仏教の方では観は見る、客観的に脇で見ることで、音は世間の音、即ち世の音を見るのだと言ってますが、おかしなものです。これではまるで目の中に耳があるようですね。コジツケですよ。観音様は昔インドに渡って補陀洛(フダラク)山に登って住まわれた。日光にオダケ観音がある。二荒山(フタラサン=男体山の別称)は補陀洛山のことで、その因縁による。補陀洛山は海岸に近く、南に海があり、その山の上に寺のようなものを作り、またその庭に金剛法座を設けて説教した。経文に二十八部衆を従え、観自在菩薩南海大師として善財童子らに説法したとある。当時インドは大自在天が支配していた。観自在菩薩とは大自在天の世を見るという意である。此ゆえに観世音という。菩薩とは一番下の位で尊者と同じようだ。インドでは如来より天が上だろう。何々天とはインドの位になる。
     華厳経に、補陀洛山に観世音菩薩あり、善財童子等大慈悲教を説かれるのを聞いて居られたが、その中に既に沢山の弟子が居られ、中にも侍者として二十八部衆在り、大弁財天、大梵天王、帝釈天王、金色孔雀、毘沙門天、阿修羅王等の外、ナーラヤナ金剛、ワーデラバーニ金剛の兄弟二人(此二人を仁王尊という)等の諸天が居られたとあるのを見ても、御釈迦様は観音様から御教を受けたことがよく判ります。
     日蓮の曼荼羅にも大自在天がある。天照大神は下のほうに小さく書いてある。ここにもいろいろ意味がある。伊都能売(いずのめ)の大神はネ、日本に居られた時迫害を受けてお逃げになった。そのとき姿を隠すため頭巾をかぶり身を包んだ、そのお姿が絵に描いてある。「古事記」には世を浄める神と出ている。で、日本を脱出して支那からインドに渡り庵を作り観自在天となられた。観音様は日本人ですよ。だから釈迦や阿弥陀は頭の毛が縮れているが、観音様は縮れてないんです。何故逃げたかというと、それは素盞鳴尊に命をとられようとしたからです。素盞鳴尊の奥さんは乙姫、また弟姫(素盞鳴尊は天照大神の弟)、オトヨの姫ともいう。素盞鳴尊は朝鮮の蘇尸茂梨山(そしもりさん)…「古事記」にありますが…に下り、日本に来て実権を握った。これが出雲朝の始めです。
     伊都能売大神は天照大神の頃かそれ以前の神様です。素盞鳴尊は世界へ出て行きユダヤへ行ってユダヤ人の祖先となった。で素盞鳴尊の代わりになったのは乙姫だ。観音とは、乙姫…音姫を観ていることを意味する。そしていずれは日本に帰り、素盞鳴尊の実権を取り返そうとする時期を待っておられた。千手観音がそれです。今までは乙姫が財宝を握っていた。神様の話は虚々実々だがマンザラ作り話でもないんです。乙姫は物質に執着して龍になり、丹後の竜宮海という海に沈んだ。時期が来ると三寒三熱の苦しみに遭いついには国常立尊に御詫びするようになる。国常立尊とは以前世界の実権を握っておられたが、節分の夜鬼門の方に押し込められ艮(うしとら)の金神となられた神様です。国常立尊が伊都能売大神になる。国常立尊は霊界で閻魔大王になり、裁きの役をやるが、それが苛(きび)しくてかわいそうだという事から半分は閻魔大王に半分は観音になる。神は厳格だが仏は慈悲だから、伊都能売大神は、仏界で観音様になったんだ。即ち善悪無差別の慈悲である。本地垂迹説も今までのは間違いで、日本へ再び帰ってこられて衆生を救うことの意味である。神様は霊的に分裂する。 
    伊都能売大神は龍神になり霊は富士山頂に(兄花咲耶姫の守護神久須志神社)、体は琵琶湖で時期を待っておられた。龍神というのは力が強いんです。で、大神も悪魔の邪魔に対抗する為龍神となられたんです。

    category:日本とユダヤ | by:mistoshicomments(0) | -
    Comment