霊憑りに就いて.2

2019.10.09 Wednesday 08:31
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     処がここに注意すべき重要事がある。それは本教信者は自分は御守護が厚いから大丈夫だ、邪神など容易に憑れるものではないと安心しているその油断である。この考え方が隙を与える事になり、邪心は得たり賢しと憑依してしまう。然も小乗信仰者で熱心であればある程憑り易いから始末が悪い。いつも私は小乗信仰を戒めているのはそういう訳だからである。何しろ邪神が憑るや小乗善に尤もらしい理屈をつけて押し拡げ、巧く瞞すので大抵な人はそれを善と信じ切って一生懸命になるのだが、何しろ根本が間違っている以上、やればやる程結果がよくないから焦りが出る。そうなると人の忠告など耳へも入らず、益々深味に嵌ってしまい、ニ進も三進もゆかなくなって失敗する人がよくあるが、こういう人も早い内目が醒めればいいが、そうでないと何が何だか分らなくなってしまい、御蔭を落とす事になるから、小乗善の如何に恐ろしいかが分るであろう。小乗善は大乗の悪なりと私が常に言うのはこの事である。又この点一番よく分るのは小乗善の人は必ず常軌を逸する事で、これが奴等の狙い処であるから、何事も常識眼に照らして判断すれば間違いないので、全く邪神の苦手は常識であるから、私は常に常識を重んぜよというのである。この例は世間に有りすぎる程有る。よく奇矯な言動をよいとする信仰や、同様の主義思想、神憑り宗教などもその類であって、何れも問題を起し、世間を騒がす事などよく見聞する処である。
     そうして右の理は霊的にみてもよく分る。何しろ狐、狸等は動物霊であるから、人間より以下である。従ってこれを拝んでいると、四つ足の居所は地上であるから人間は地の下になり、霊界では畜生道に落ちている訳で、霊界の事は一切現界に映るから、その人は地獄に落ちているのである。世間よく稲荷の信者などは、必ずと言いたい程不幸な運命に陥ってしまうのは、右の理によるからである。勿論霊憑りもそうであって、動物の入れ物になる以上、ヤハリ畜生道に落ち、不運な境遇となってしまうのである。
     併し乍ら同じ狐霊でも、全部が全部悪い訳ではない。稀にはよい狐も有る。それらは改心した狐であって白狐である。白狐は何れも産土神の下僕となり、神の御用に勤しんでおり、中々役に立つものである。というのは狐は霊的には種々な特徴を有っており、悪もそうだが善の場合も中々力があり、よい働きをするものである。併し神憑りにも除外例がある。それは祖霊又は正守護神が重要な事を人間に知らす場合、一時的に憑る事がある。これはホンの僅かの時間と必要だけの言葉で、決して余計な事は言わないものである。ここで序だから正か邪かの判別法を教えるが、神様に関係のある正しい言葉には無駄は決してない。物事の急所を簡単明瞭にお知らせなさるものである。故に邪霊であれば必ず余計な事を喋りたがるもので、よくあるノベツ幕なし立て続けに喋るなどは、狐霊と思えば間違いない。併しこういう場合もある。それは正守護神が言葉で知らせようとする場合、狐霊は人間に憑る事も、喋る事も巧いので、狐霊を使う事もあるが、そういう場合必要以外の事を喋り、地金を現わすから大いに注意すべきである。
     

    category:霊界について | by:mistoshicomments(0) | -
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