祖霊と死後の準備.1

2019.09.27 Friday 09:04
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     抑々死に際し霊体離脱の状態は如何にというに、これに就いて或看護婦が霊視した手記が相当よく書いてあるから記してみよう。
     これは西洋の例であるが、人によって霊の見える人が西洋にも日本にも偶々あるのである。私は詳しい事は忘れたが要点だけは覚えているがそれはこうである。「私は、或時今や死に垂んとする病人を凝視していると、額の辺から一条の白色の霧の様なものが立上り、空間に緩やかに拡がりゆくのである。そうする内に、雲煙の如き一つの大きな不規則は塊りの様なものになったかと思うと、間もなく然も徐々として人体の形状の如くなり、数分後には全く生前そのままの姿となって空間に立ち、じっと自己の死骸を見詰ており、死体に取りついて悲嘆にくれている近親者に対し、自分の存在を知らしたい様な風に見えたが、何しろ幽冥所を異にしているので諦めたか、暫くして向直り窓の方に進んでゆき、いとも軽げに外へ出て行った」というのであるが、これは全く死の刹那をよく現わしている。
     右手記は一般人の生から死への転機の状態であるが、西洋の霊界は平面的であり、東洋の霊界は立体的である。これは日本は八百万の神があり、大中小、上中下の神社があり、社格も官幣、中幣、県社、郷社、村社等種々あるによってみても、如何に階級的であるかが知らるるのである。これに反し西洋はキリスト教一種といってもよいのであるから、全く経と緯の相違である事は明らかである。故に前者は多神教で後者は一神教というのである。 次に人の死するや、仏教に於ては四十九日、神道に於ては五十日祭を以て一時打切りにするが、それはその日を限りとして霊界へ復帰するのである。それまで霊は仏教にては白木の位牌、神道にては麻で造った人形の形をした神籬(ひもろぎ)というものに憑依しているのである。ここで注意すべきは、死者に対し悲しみの余りなかなか忘れ得ないのが一般の人情であるが、これは考えものである。何故なればよく言う『往く所え往けない』とか『浮かばれない』とかいうのは、遺族の執念が死霊に対し引止めるからである。故に先ず百ヵ日位過ぎた後はなるべく忘れるように努むべきで、写真なども百ヵ日位まで安置し、その後一旦撤去した方がよく、悲しみや執着を忘れるようになった頃又掛ければよいのである。
     次に仏壇の意義を概略説明するが、仏壇の中は極楽浄土の型であって、それへ祖霊をお迎えするのである。極楽浄土は百花爛漫として香気漂い、常に音楽を奏し飲食豊かに諸霊は歓喜の生活をしている。それを現界に映し花を上げ、線香を焚き、飲食を饌具するのである。又鐘は二つ叩けばよく、これは霊界に於ける祖霊に対し合図の意味である。これを耳にした多数の祖霊は一瞬にして仏壇の中へ集合する。併しこの事は何十何百という祖霊であるから、小さい仏壇の中へ如何にして並列するか不思議に思うであろうが、実は霊なるものは伸縮自在にして、仏壇等に集合する際はその場所に相応するだけの小さな形となるので、何段もの段階があって、それに上中下の霊格の儘整然と順序正しく居並び、人間の礼拝に対しては諸霊も恭しく会釈さるるのである。そうして飲食の際は祖霊はそのものの霊を吸収するのである。併し霊の食料は非常に少く、仏壇に上げただけで余る事があるから、余った飲食は地獄の餓鬼の霊に施すので、その徳によって祖霊は向上さるるのである。故に仏壇へは出来るだけ平常と雖も初物、珍しき物、美味と思うものを一番先に饌具すべきで、昔から孝行したい時には親はなしという諺があるが、そんな事は決してない。寧ろ死後の霊的孝養を尽くす事こそ大きな孝行となるのである。勿論墓参、法事等も祖霊は頗る喜ばれるから、遺族又は知人等も出来るだけ供養をなすべきで、これによって霊は向上し、地獄から脱出する時期が促進さるるのである。

    category:霊界について | by:mistoshicomments(0) | -
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