観世音菩薩.1

2019.04.02 Tuesday 09:07
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     前項迄に観世音に就ての因縁を色々な面から説いて来たが、そうなられる迄の根本といえば全く素尊の暴厭(あつ)が原因であった事は既に述べた通りである。処が伊都能売神去り給いし後の日本はどうなったかというと、其弟神であったのが彼の天照天皇であった。此天皇は惜しくも何の理由もなく俄に崩御され給うたので止むなく其皇后を立てて御位に即かせられたのが、彼の女性である天照天皇であった。今も尚天照大御神が日の神であり乍ら女神として祀られているのは、そういう訳なのである。又以前私はかいた事があるが、素尊は日本の統治権を得んとして余りに焦り目的の為に手段を択ばず式で力の政治を行った結果、人心は紊れ収拾すべからざるに至ったので、茲に父君である伊邪那岐尊の御勘気に触れ譴責の止むなき事になったというのは、素尊は本来朝鮮系統の神でもあったからである。而も其後悔悟の情なく依然たる有様なので最後の手段として日本を追放される事になったのである。此時の事を古事記には斯う出ている。素盞鳴尊の素行や悪性に対し、伊邪那岐尊の御尤めを蒙り神譴にやらはれたとあり其行先は黄泉の国との事であるが、黄泉国には母神である伊邪那美尊が在わすので罪の赦される迄母神の許にいて暫くの間謹慎すべく思って出発の前、天に在わす姉神天照大御神に暇乞いをせんとしたのである。此の事を古事記には斯うかいてある。
     素盞鳴尊は忽ち山川響動(どよも)し天に昇らんとした処、それを知った天照大神は大いに驚き、さては弟素尊は自分を攻めに来たのではないかと疑心暗鬼を抱いていた処へ素尊は天に上り、天照大神に面会された処、どうも姉神の様子が普通でないので之を見てとった素尊は姉神は私を疑われているようであるが、自分の肚は何等の邪念はない。此通り潔白であるから今其証しを御目にかけると言い、素尊は剣を抜き天の真奈井の水に注ぐや忽ち三女神が生れた。即ち、市杵島姫命、湍津姫命、田露姫命である。すると天照大神は、では自分の清い心も見せようと申されて胸に掛けた勾玉を外し同じく水に注ぎ揺らがした処、五男神が生れた。即ち天忍穂耳命、天穂日(アメノホヒ)命、天津彦根(アマツヒコネ)命、活津彦根(イクツヒコネ)命、熊野樟日(クマノクスヒ)命である。勿論之は比喩であって、実際は其時素尊は三人の息女、天照大神は五人の重臣を呼んだのである。というのは此時両神は右の五男三女を証人として一の誓約をされようとしたからで、其誓約とは近江の琵琶湖一名、志賀ノ湖、又右の天の真奈井(アメノマナイ)もそうであって、此湖水を中心として東の方を天照大神、西の方を素盞鳴尊が領ぐという約束をしたのである。つまり今日で言う平和条約である。之によって兎も角一時小康を得たが、其後素尊は相変らず謹慎の色が見えないので、茲に本当の追放となったのである。此時の事を八州河原の誓約と言われているが、今日でも琵琶湖の東岸に八州河原という村があるのは此地点であったのであろう。
     

    category:経綸について | by:mistoshicomments(1) | -
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    お初にお目に掛かります。
    岡田茂吉研究をしている、場末の予言屋と申します。

    岡田茂吉の教典のアップお疲れ様です。
    この度、岡田茂吉の教典を予言の立場からまとめた
    「2048年神々の設計図」を出版しましたが
    こちらのブログも参考にさせて頂きました
    有難う御座います。

    概要の柱は、岡田茂吉の行った神業が
    70年の歳月を掛け現界に移写する事です。
    宣伝のメールで大変失礼ではありますが、
    少しでも興味がありましたら
    アマゾン キンドルの電子出版をご検索下さい。
    では、失礼させていただきます。
    • 場末の予言屋
    • 2020/07/23 2:00 PM