霊線に就いて.2

2019.09.19 Thursday 09:32
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     この説明に当たって人間再生の原理から説かなければならない先ず簡単に説明すれば、人間は死後霊界に往く、即ち霊界に生まれるのである。仏教で往生というのは「生まれ往く」とかくが霊界から見ればそういえる訳である。然るに霊界は、その人が現界に於て犯した種々の罪穢に対し浄化作用が行われ、或程度浄化された霊から再生する。然るに前生に於て悪人であった者が、刑罰やその他の事情で死に際して悔悟し、人間は悪い事は決してするものではない、この次生まれ変わった時は必ず善人になろうと強く思うので、再生するや大いに善事を行うのである。この理によって現世生まれ乍らの善人であっても、前生は大悪人であったかも知れない。そうして人間は生前に死後の世界在るを信じない人が多いから、死後霊界に於て安住が出来ず、生の執着によって浄化不十分のまま再生する。その為に罪穢が未だ残存しているから、その残存罪穢に対し現世に於て浄化作用が行われる。浄化作用は苦しみであるから、生まれ乍らの善人であり乍ら不幸であるのは、右の理に由るのである。又生まれ乍らにして不具者がある。例えば盲目とか聾唖、畸型とかいうのは、変死に因る死の為、その際の負傷が浄化半途にして再生するからである。この再生に就いて今一つ顕著な事実をかいてみよう。嬰児が出産するや、その面貌が老人の様なのがよくある。これは老人が再生した為で、ニ、三ヵ月経ると初めて赤児らしき面貌になるもので、これは経験者は肯くであろう。
     次に親の不正な心が兄弟の一方に反映して悪人となり、親の良心が反映して善人となる事もある。又こういう例もよくある。親が不正の富を積んで資産家になった場合、祖霊はその不正の富を蕩尽しなければ一家の反映は覚束ないから、その手段として子の一人を道楽者にして、金銭を湯水の如く使わせ、終に無財産にまでするのである。この場合道楽息子に選ばれた者は、実は一家を救うべく立派な役をしている訳で、それを知らない人間は親の財産を潰した怪しからぬ奴と看做すが、寧ろ気の毒な訳である。
     霊線は人間に於ては生きている近親者のみではない。死後霊界に於ける霊とも通じており、正神に連結している霊線もあり、邪神に連結しているそれもある。正神は善を勧め、邪神は悪を勧める事は勿論で、人間は常に正邪何れかに操られているのである。そうして霊界に於て或程度浄化されたるものが守護霊に選抜され、霊線を通じて人間の守護をする。即ち危難の迫れる現界人に対し、危険信号を伝えて救おうとする。この例として汽車などに乗車せんとする場合、時間が間に合わなかったり、故障があったりして乗り損ね、次の汽車に乗る。すると乗り損ねた汽車が事故に遭い、多数の死傷者が出る等の事があるが、これ等は守護霊の活動に因るのである。守護霊は現界人の運命を前知し、種々の方法を以て知らせようとする。
     霊線は人間の階級に従って数の多少がある。数の多い人、例えば一家の主人なれば家族、使用人、親戚、知人。会社の社長ならば社員全部。公人ならば村長、町長、区長、市長、知事、総理大臣、大統領ー国王等、何れもその主管区域や支配下に属する人民との霊線の繋がりがあり、高位になる程多数となる訳である。この意味に於て、各首脳者たるべき者の人格が高潔でなければならない。首脳者の魂が濁っていれば、それが多数に反映し多数者の思想は悪化するという訳であるから、一国の総理大臣などは智慧証覚に富むと共に、至誠事に当たるべき大人格者でなくてはならないのである。然るに国民の思想は悪化し、道義は廃れ、犯罪者続出するが如きは、為政者の責任となる訳である。特に教育者の如きは、自己の人格が霊線を通じて学徒に反映する事を知ったなら、常に自己の霊魂を磨き師表として恥ずかしからぬ人とならなければならないのである。

    category:霊界について | by:mistoshicomments(0) | -
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