善と悪.1

2019.09.16 Monday 08:50
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     世の中は善悪入り乱れ、種々の様相を現わしている。即ち悲劇も喜劇も、不幸も幸福も、戦争も、平和も、其動機は善か悪かである。一体どうして善人もあれば悪人もあるのであろうか。この善悪の因って来る処の何か根本原因がなくてはならないと誰しも思うであろう。
     今私がここに説かんとする処のものは、善と悪との原因で、之は是非知っておかねばならないものである。勿論普通の人間であれば善人たる事を冀い、悪人たる事を嫌うのは当り前であり、政府も、社会も、家庭も、一部の人を除いては善を愛好する事は当然であって、平和も幸福も悪では生まれない事を知るからである。
     私は分り易くする為、善悪の定義を二つに分けてみよう。即ち善人とは 「見えざるものを信ずる」 人であり、悪人とは 「見えざるものは信ぜざる」 人である。従って 「見えざるものを信ずる」 人とは、神仏の実在を信ずる、所謂唯心主義者であり、「見えざるものは信じない」 という人は唯物主義者であり、無神論者である。その例を挙げてみよう。
     今人間が善を行う場合、その意念は愛からであり、慈悲からであり、社会正義からでもあり、大きくみれば人類愛からでもある。そうして善因善果、悪因悪果を信じて善を行う人もあり憐憫の情止むに止まれず人を助けたり、仏教でいう四恩に酬いるというような報恩精神からも、物を無駄にしない、勿体ないと思う質素、倹約等、何れも善の現われである。又人に好感を与えようとし、他人の利便幸福を願い、親切を施し、自己の天職に忠実であり、信仰者が神仏に感謝し、報恩の行為も、神仏の御心に叶うべく努める事も、悉(みな)善の現われである。まだ種々あろうが、大体以上の如くであろう。
     次に悪事を行うものの心理は、全然神仏の存在を信ぜず、利欲の為人の眼さえ誤魔化せば、如何なる罪悪を行うも構わないというー虚無的思想であり、欺瞞は普通事の如く行い、他人を苦しめ、人類社会に禍いを及ぼす事などは更に顧慮する事なく、甚だしきは殺人さえ行うのである。そうして戦争は集団的殺人であって、昔からの英雄などは、自己の権勢の為、限りなき欲望の為、大戦争を起し、「勝てば官軍」 式を行うのである。「人盛んなれば天に勝ち、天定まって人に勝つ」 という諺の通り一時は華やかであるが、必ずと言いたい程最後には悲惨な運命に没落する事は歴史の示す処で、勿論動機は悪である。

    category:霊界について | by:mistoshicomments(0) | -
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