栄養の喜劇.2

2019.05.07 Tuesday 09:11
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     此の理によって美味である程栄養満点であって、美味であるのは食物の霊気が濃厚であるからである。新鮮なる程魚も野菜も美味という事は霊気が濃いからで、時間の経つに従い味はいが減るという事は霊気が発散するからである。
     茲で栄養剤に就て説明するが、抑々体内の栄養機能は如何なる食物からでも必要な栄養素即ちビタミンでも何でも自由自在に恰度よい量だけ生産されるのである。つまりビタミンの全然ない食物からでも栄養機能の不思議な力は必要だけのビタミンを生産するのである。此の様に食物中から栄養素を生産するというその活動の過程こそ即ち人間の生活力である。早く言えば未完成物質を完成させるその過程に外ならないのである。
     此の理によって栄養剤を摂るとすれば、栄養剤は完成したものであるから体内の栄養生産機能は活動の余地がないから、自然退化する栄養機能が退化する以上、連帯責任者である他の機能も退化するのは当然で、身体は漸次弱化する事になるのである。之についてニ三の例を挙げてみよう。
     以前アメリカで流行されたフレッチャーズム喫食法という食事法があった。之は出来るだけよく噛み食物のネットりする程よいとされている。之を私は一ヶ月厳重に実行したのである。処が漸次体力が弱り力が思うように出なくなったので驚いてやめ、平常通りにした処体力も恢復したのであった。そこでよく噛むという事が如何に間違っているかを知ったのである。それは如何なる訳かというと、歯の方でよく咀嚼するから胃の活動の余地がないという訳であるからすべて食物は半噛み位がよいのである。
     故に昔から早飯、早糞の人は健康だと謂われるが、此の点現代文化人よりも昔人の方が進歩していた訳である。
     又消化薬を服むと胃の活動が鈍るから胃は弱化するから又消化薬を服む、又弱化するという訳で、胃病の原因は胃薬服用にある事は間違いない事実である。長い胃腸病患者が消化の良いものを喰べつつ治らなかった際、偶々香の物で茶漬など食い治ったという例はよく聞く処である。
     前述の如く未完成食物を喰い、完全栄養素に変化させるその活動こそ人間生活力である、という事を機械製造工場に例えてみよう。
     最初工場に原料資材を搬入するとする。工場は石炭を焚き機械を動かし、職工が活動し、漸次完成した機械が作られる。その過程が工場としての存在理由である。之を反対に完成した機械を工場に搬入するとすれば工場は労作の必要がないから石炭も焚かず機械も動かさず職工も必要がないと言う訳で工場は閉鎖するより仕方がない。
     以上の如く私は出来るだけ判り易く説明したつもりであるが、此の理によって考えれば、栄養剤という何等の味もない物に多額の金銭を費し、反って身体を弱らせるというのであるから喜劇というより評しようがないであろう。之が珍表題を付けた所以である。
     

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