日本人種の霊的考察.6

2019.04.19 Friday 09:02
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     その後、戦乱が続いたので、平和的文化の方は、相当期間鎮滞状態であったが、彼の豊臣秀吉が天下を平定するに及んで、俄然として平和文化の躍進となった。面白い事にはヨーロッパの文芸復興期と略々時を同じゅうしたのも一種の神秘と言えるであろう。当時名人巨匠雲の如く輩出したのは人の知る処で、絵画に於ては宗達の独創的技術や、蒔絵、楽焼、書に於ける光悦、茶道の利休、建築、庭園、華道の小堀遠州等々、所謂桃山時代の芸術として今尚燦として輝いている。その後約二百年を経て元禄時代となり、茲に桃山期に次いでの絢爛たる平和文化の再現となった事で、彼の光琳、乾山等の巨匠の出たのもこの時である。その後に到って絵画の名人としては、抱一及び栖鳳を私は推奨したい。
     茲で陶工について、聊かかいてみるが、日本に於てはそう古くはない。鎌倉期頃からで、尾張の瀬戸、九州の有田等に始められ、その後京都にも移ったが、この地で不朽の名作を残したのは彼の仁清である。又朝鮮陶器を範として成った楽焼の祖としての長次郎も逸する事は出来ない。他は余りみるべきものはないが、珍什銘記の蒐集保存整理に功績を残したのは松平不昧公であろう。
     以上は、極大体であるが、右の外名人巨匠も相当あるにはあったが、それらを茲にかかないのは理由がある。というのはこの文の主旨は民族的批判であるから、支那を範としたものはわざと避けたので、今までかいた人達は、日本独特の芸術家を選んだのである。
     次に、天孫族と出雲族を詳しくかくべきだが、これは歴史上余りにも知れ渡っているから略す事にしたのである。言うまでもなく、有名な武将は殆んど両族から出たので、只天孫系には多くの学者が出た。勿論漢学者であるが、面白い事には勤皇家に学者が多く維新の鴻業に大いに役立った。それというのは天孫系が出雲系に圧迫され、危うくなったのを救わんが為であったのは勿論で、右の漢学者に対し、和歌の如き仮名書き文学は大和民族系と思えばいいのである。併しこの方は戦争に無関係であったため、武人のように華やかな存在ではないから、注意をされなかったのである。
     最後にかかねばならないのは、仁徳天皇、応神天皇、光明皇后、光明天皇は大和民族の御系統である。次に土匪の系統であるが、この種族こそ、祖先が神武天皇に征服された為その怨恨が今も尚残っており、この種族が彼の共産主義者である。終戦前共産主義者が天皇に対し如何に反感を抱いていたかは、右の因縁によるので、従って天皇制時代には、天皇の直属である軍人や官吏に対しても、従順でなかったのはその為である。又誰も不思議に思う事は、日本に生まれ、日本の米を食み乍ら、外国であるソ連に忠誠であり、祖国である日本に悪意を抱いているという一事である。これも右の因縁を知れば成程と頷くであろう。彼らにとってはロシヤこそ祖国であるからである。
     今一つ知っておくべき事は、日本人中にも特に天皇に対し、極めて忠誠である分子と、割合薄い者とがあるのは、前者は真の天孫系であり、後者は出雲系であるからである。これに就いて最も近い例としては、彼の二・二六事件である。この事件をよく吟味すれば、その傾向が著しく現れていた事が分るが、これは何れ詳しく書くつもりである。
     最後に、霊統と系統との区別をかいてみるが、世人は霊統も系統も同じように思っているが、決してそうではない。即ち霊統とは魂の繋がりを言うので、これは永久不変一貫して変らないが、系統はそうではなく、いくらでも変るのである。変るとは所謂混血である。
     従って日本の四民族と雖も長い間にどの位混血して来たか判らないが、実は混血する程いいのである。何となれば、種々の性格が混る以上、聡明な人間が出来る訳である。丁度人間で言えば色々な苦労をし、世の中の経験を多く積んだのと同様の意味である。故に世間では純血を貴いとしているが、これは反対で、昔から婚約の相手は遠く離れた程いいとしていたり、血族結婚を不可とするのは、その為に他ならないのである。
     又白人特にアメリカ人に優秀な人間が多く出るのは、混血が東洋人よりもずっと多いからである。これを最も分り易くいうと、機のようなもので縦糸が霊系で動かないが、緯糸は体系であるから左右へ動くのと同様である。
     次に四民族の数に就いていえば、天孫系が一番多く、出雲系がその次で、ずっと減っているのがコーカサス系であり、大和民族は最も少く、先ず私の推定では百人中一人位とみればよかろう。

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