「不思議な事実」

2020.08.03 Monday 05:47
0

    次に、五十幾歳の男子、頬に癌の出来る頬癌(きょうがん)という病気で、数年に渉ってあらゆる医療を受け、最後に癌研究所に行き、不治の宣告を受けたのである。それが私の治療二、三ケ月位で全治したのであった。
    しかるに同研究所は患者が同所と離れた後といえども時々病状を問合すのだそうである。
    従って、その人も全治してから一ケ年位の後、同所からの問合せに対し、早速出所し、全治の状態をみせたのである。
    医師は驚いてその経過を訊いたので、本療法によって治癒せる事を詳細語ったのだそうであるが、医家は何らの表情もなく、むしろ不機嫌そうにその場を去ったという事であった。
    次に、四十歳位の婦人、右足の踝(くるぶし)の辺に腫物が出来、数年に渉ってあらゆる医療を受けたが治癒しないのみか、漸次悪化し、遂に歩行すら不可能となり、臥床呻吟する事一ケ年余に及んだ。
    しかるに、本療法によって自由に外出が出来るようになった際、たまたま以前臥床時代診療を受けた医師に往来で遇ったのである。
    医師は驚いて、「どうして良くなったか」と訊いたので「こういう療法で快くなった」と話したところその医師いわく、「アゝそれはお禁厭(まじない)だ」というので、その婦人は、禁厭でない事を説明した所「アゝそれじゃ狐を使うんだ」というのである。
    従って、この医師の言のごときものであるとすれば、現代医学よりも禁厭や狐の方が治病効果が優れているという理屈になるので、その医師の頭脳に驚かざるを得なかったのである。
    右のような例は枚挙に遑(いとま)ない程であるから、他は推して知るべきである。
    又こういう事もある。某博士が自己の手に困難だと思う患者を、私の弟子の方へ廻す事がある。
    勿論、現代医学で治らないものが、本療法によって治るという事を知っているからである。
    そこまで信ずるもなお研究に手を染めないという事も不思議と思うのである。
    それはあるいは、そうする事は、医師会との関係もあり、複雑なる事態の生ずるという懼(おそ)れある為かも知れないが、医家としての使命を考える時、文化の進歩に反するばかりか、人間の生命を取扱うという聖なる使命に背く訳となろう。
    しかし、私は思うのである。本医術に対し、何ら遅疑する事なく、進んで突入し、研究すべきである。
    その結果もし西洋医学よりも劣るか、又は無価値であるとすれば、放棄すればいいであろうし、これに反して私のいうごとき偉大なる医術であるとすれば、大いに医学界に向って推奨すべきであろう。
    それによって人類の病気を解決すべき端緒となるとすれば、先覚者たる栄誉を担い得る事となるであろう。
    要するに、私は医家の良心の問題ではないかと思うのである。
    この意味において私は、良心的医家の、一日も速かに表われん事を切望してやまないものである。」 (「明日の医術 第2編」より)

    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -

    「不思議な事実」

    2020.08.02 Sunday 06:48
    0

      私はこの問題に対し、参考として数種の実例を挙げてみよう。
      私は先年、四十余年、東京市内の某所で開業している某老眼科医の眼病を治療した事がある。
      それは初め入浴の際、石鹸水が眼に滲みたのが原因で漸次悪化し、どうしても治癒しないので、私の所へ来たのである。
      本人いわく「私の倅(せがれ)は○○大学の眼科に勤務している関係上、そこに数ケ月通い、最新の療法を受けたのであるが、漸次悪化し、現在視力0.1という状態である」との事であったが、私が一回治療したところ、翌日は0.4となり、一週間にして全治したのである。
      従って右の眼科医は、本療法の効果に驚くと共に、本療法を受講修得したのである。
      その後数ケ月を経て私の所へ遊びに来たので、私は「本療法を幾人かに試みたか」ーを訊いてみたところ、いわく、「飛んでもない事です。その様な事をすると、医師会から除名されます。
      故に、極力秘密にしており、妻にも息子にも絶対知らせない事にしています」というので、私は唖然としたのである。
      私が治療時代、ある若夫人(二十四歳)の重症喘息を治療した事があった。
      それは珍らしい猛烈さで、一ケ月の中二十日間入院し、十日間家に居るという始末で、いつ発作が起るか判らないので、その都度、医師に行く事は困難であるから、夫君が注射法を知り注射器を携帯し、常に夫人の側を離れないという状態で、全く注射中毒症となったのである。
      多い時は一日二、三十本の注射をなし、その結果昏睡状態になった事や、瀕死の状態になったりして、幾度となく医師から絶望視せられたのであった。
      しかるに、私の治療によってメキメキ快方に赴いたので、その夫君は非常な感激と共にかような偉大なる治療は医学で応用すべきであるとなし、永い間夫人が世話になった某大病院の某博士に会い説明をしたのであった。
      夫君がそうした事は、今一つの原因があった。
      それはその博士は、喘息専門の権威であり、喘息の研究については寝食を忘れる程の熱心さであったというーその為もあった。
      そうして、その博士は驚くと共に、是非研究したい希望である事をいい、私の所へ面会に来る事になった。
      しかるに、その約束の日には遂に来らずその後数回打合せに行ったが、いつも約束を無視し来ないので、その人は非常に立腹し、医家としてかような素晴しい療法が生れたのに、それを研究しないという事は、医師という使命の上からいっても、人道上からいっても不可解であると強硬に言ったに関わらず遂に徒労に帰したのであった。
       

      category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -

      「不思議な事実」

      2020.08.01 Saturday 06:26
      0

        「私は医家に関し、不思議に堪えない事実に常に逢着するのである。
        それは、本療法によって大病院又は大家が見放した重症が、奇蹟的に治癒した場合、患者は嬉しさの余りと、この様な素晴しい医術によって、いかに人々が救われるであろうかを想って、医家に向って詳細報告する事がある。
        しかるにその場合医家は何ら関心を払おうとしない。
        又医家の家族が本療法によって治癒した場合、ただ驚異するのみで、進んで研究しようという意志の発動がないのである。
        私としては西洋医学とは比較にならない程の治病効果を現実に示すにおいて、まず医師である以上、それを研究すべく積極的態度に出でなければならないと思うが、その様な事は今日まで更にないのである。
        しかるに、西洋の学者が何かを発覚した報告に接するや、大いに関心を払い、直ちにそれの研究に着手するというような事によってみても、日本の医家及び医学者がいかに西洋崇拝の根強く染み込んでいるかという事が解るのである。
        私は思う。日本の医家及び医学者は、医学上における偉大なる発見は、重に西洋人である事と日本人とすれば科学者以外には生み得ないと心に断定しているかのようである。
        勿論今日までの文化の大方はそうであったから、今もなおそうであるという先入観念に囚われているからであろう。
        私は、本医術の卓越せる事を、遍く知らしむべき第一歩としては、前述のごとき医家の狭い視野の是正こそ、何よりも緊要事であると思うのである。
        そうして機械や薬剤等のごとき、複雑なる施設も方法も必要としない、ただ人間の手指の技術によって、その診断と治病力の、卓越せる医術が、日本人の手によって創始せられたという事実を看過するという事は、不可解極まると思うのである。
        いかに驚異に値する効果を目撃するといえども、一顧だもしないという態度は、宗教的でさえあると思われる程である。
        自己が信仰する以外のいかなるものといえども、すべては異端者と見なす態度のごとくである。
         

        category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -

        「医師会に就て」

        2020.07.31 Friday 06:01
        0

          「ここで、医師会なるものについて一言いわして貰いたいのである。
          それは今日までのごとき、西洋医学のみの団結を革(あらた)め、総ての民間療法も抱擁して、相互の特長を研究錬磨し、
          その結果として日本独特の医学を樹立すべきではないかと惟(おも)うのである。
          元来医師会の成立は随分古いものだそうである。
          勿論明治時代、日本が欧米の唯物的文化を無差別的に移入した時代の機構として又やむを得なかったのであろう。
          しかしながら、日本が世界の本舞台に登場せざるを得なくなった今日、どうしても吾々日本人として生を稟(う)けたるものは日本独特の文化を創造し、それによって世界的指導者たるべき使命を課せられたといってもいいのであるから、医学といえども勿論日本独特の医術を創建しなくてはならない機運となった事は勿論である。
          それのみではない。西洋医学の唯物的方法を以てしては、国民の体位も人口問題も結核問題も解決は困難であるという事があまりにも明白になりつつあるという事実である。
          それらによってみても医師会改組問題の速(すみやか)に行われん事を私は提唱するのである。」 (「明日の医術 第2編」より)

          category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -

          「医師の資格」

          2020.07.30 Thursday 05:31
          0

            次に、今一つ私は言いたい事がある。それは病者が治癒、不治癒に拘わらず、同一の費額を払わなければならないという事であるがこれも不合理であろう。
            いうまでもなく医療の価値を定める場合、全治又はその遅速、不全治又は悪化等の価値の差別は大いにあるが実際上適確なる計算は困難であるから、私は現在としては左のごとき方法による事はどうかと思うのである。
            参考までに書いてみよう。
            一、病気全治の場合、現在の診療費の倍額となし、不治の場合、現在診療費の半額とする事。
            二、初診の時、予(あらかじ)め全治日数を定め、その期間、現在診療費の倍額とし、右の日数を越える場合、現在診療費の半額に下げる事。
            三、初診の場合、予め全治までの日数費額を決定し、その全額を支払わしめ、万一予期に反する場合、半額を返却する事。
            しかしてこの方法は、患者の貧富によって増減する事もよいであろう。又等級による事も一方法であろう。
            私は、中国人が医療を受ける場合、初診の際、この病気は幾らで治るかと訊くそうである。
            これに対し嗤(わら)う日本人があるが、私はある意味においてむしろ進歩的であり、合理的であると思うのである。
            何となれば、この方法は患者自身の経済的実情に合致すると共に、医家としても、技能の優劣が公正に酬(むく)いられるからである。
            右のごとき私の案を実行するとすれば、その効果として何よりも顕著である事は、医学が真に治る進歩をするという事である。
            しかしながらこれらの案に対して、医家は尊厳を傷つけらるるごとき感がするかもしれない。
            しかしそれは外形だけの事であって、むしろ私の案を実行する事によって、内容的尊厳即ち心からなる敬意を払わるるであろう。
            何となれば患者自身としては、一日も早く疾患から遁(のが)れる事であり、苦痛が解消される事であり、健康が恢復する事であり、それ以外に何物もないのであるからそれが解決されるとしたら、自ら感謝と敬意が湧き、他の何事をも介意しないであろう。
            徳川時代名医と称せられたる医家は、難病を治療し、それによって名声を博したという事を聞いているが、これらは私の提唱する理論と合致しているのである。」 (「明日の医術 第2編」より)
             

            category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -

            「医師の資格」

            2020.07.29 Wednesday 05:53
            0

              「医師の資格について、ここに見逃す事の出来ない一大欠陥のある事を私は指摘したいのである。
              それは当局が医師の資格を付与する場合現在までの機構においては、学歴、経験、論文の三者による事でこれは遍(あまね)く人の知るところであるが、私は実はそれだけでは、最も緊要なる点を逸していると思うのである。
              それはいかなる点であるかというと病気治療の技能試験である。
              即ち各種の病気に対してより速かに、より良く冶癒せしめ得る技能そのものを第一条件とすべきであろう。
              いかに学歴や経験、論文等が優秀であるとしても、実際に病気を治癒せしめ得る技能手腕がなければ、医師としての資格に欠けているといえよう。
              再三述べたごとく、医学そのものの使命は、病気を治し健康を増進せしむる以外の何物でもないのである。
              勿論、学歴も経験も論文も必要ではあろうが畢竟(ひっきょう)治病目的の為の基礎条件であって、治病の方法そのものでない事は勿論である。
              たとえていえばここに一個の飛行機を製作するとする。その場合、いかに機械や構造の説明が学理的であっても、実際に飛ばなければ意味をなさないのと同様である。
              この意味において、右に述べたごとく治病技能の優劣によって医師の資格を定むべきであって学歴、経験、論文は、付随条件とすべきが至当ではないかと思うのである。
              かくする事によって、はじめて治病医学は真の進歩を遂げるであろう。
              そうして私はその方法として正規の学歴と経験と論文の三者によってまず学士の称号を得させなお進んで博士の資格を得んとするには、前述のごとく治病技能の厳密なる試験を経、その優越を確認する事によって付与すべきであると思うのである。

              category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -

              「医学の神聖化」

              2020.07.28 Tuesday 05:18
              0

                前述のごとき国島医博の言のごとく、百年以前と今日と比べて、いささかの進歩もないとすれば、医学に携わる多数者の労力及び資材等の消耗が、人類にとって何らの稗益する所がない訳である。
                私をして忌憚(きたん)なく言わしむれば、右のごとき大消耗によって得るところのものは、福利に非ずして人類の健康を弱め、病者を氾濫させ、生命を脅かすというのでありとすれば驚かざるを得ないのである。
                私は、医学に携わる多くの人達が目覚めなければならない時が、必ず近き将来に来るべき事を信ずるのである。
                その時いかにすべきやという事も考慮しなければならない問題である。
                しかしながら、相当経験をもち、堪能である医家にして、西洋医学の行詰りに対し目覚めている者の相当多い事も私は知っている。
                従って、ある時期に至れば本医術を肯定し、この医術によって国民の健康を解決すべきであるとする医家の続出する事も、私は充分信じて疑わないのである。
                ただしかし、現在としては医家としても行掛りや地位や経済問題等の種々なる障碍の為、遅疑する人達もある訳であるが、これら良心的医家の決意を促したいのである。
                ここで一番困る事は、西洋医学を絶対無上のものと盲信し、それ以上の優れたる医術はないとし、又生れるべくもないと確(かた)く定めている医家の未だ多数ある事である。
                これらの人達の啓蒙こそ、今後における最も努力を要する問題であろう。
                しかしながらあらゆる事物の転換期に当っては、いかなるものといえども大勢に抗する事は不可能である事を知れば問題はないであろう。(「明日の医術 第2編」より)
                 

                category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -

                「医学の神聖化」

                2020.07.27 Monday 05:48
                0

                  医博国島貴八郎氏の著書「結核と人生」の中にこう出ている。
                  「彼のチブスが、百年前も全治に四週間を要したが、今日でもやはり四週間を要し、肺炎も同様でやはり一週間を要するという訳であるから、治療医学の進歩はいささかも認め得られないのである」というにみても明かであろう。
                  そうして神聖化されたる医学によって、たとえ、医療の結果、医家の言のごとく快方に向わざる場合といえども、その理由を訊(たず)ねる者は滅多にないのである。
                  又誤診誤療によって不幸に陥る場合、相当の疑をもちつつも何らの抗議も苦情も言われないのである。
                  それは医学の神聖を冒涜するかのように見られ、又医術を施行する上に支障を及ぼすという理由で、法的にも不問に付するという傾向である。
                  注射後即時に死亡したという例も吾らは余りに多く聞かされている。
                  チブスの予防注射後反ってチブスに犯されたという例もすくなくないようである。
                  そうして学問至上主義の弊(へい)は、ここにも現われている。
                  それは研究の為として、かなり大胆と思われるような手術や新薬の応用である。
                  それによって幾多の尊い人命が犠牲になっているであろう。
                  もしこれら隠れたる事実が明かにされたら人々はいかに驚くであろうか。
                  しかし、それは神秘の殿堂を覗く由もない機構となっている以上致方ないのである。
                  医学者は言うであろう。たとえ一人の生命を犠牲にしても、万人の生命を助ければいいではないかと、それに対し私は、万人を殺しても一人も助け得られないではないかと思うのである。
                  又こういう原因もある。いうまでもなく現在の日本の医学は独逸(ドイツ)医学である。
                  独逸医学を学ぶ最初の頁には「もし病原の判らざる場合まずメスを以て皮膚と肉を切り開いてみるべし」と出ているそうである。
                  忠実なる医家はこの教を丸呑みにして手術をするのであろう。
                  切り開いて病気が無かったという事実は、よく聞く所で、その犠牲になった患者はまことに気の毒なものである。
                  しかし、切り開いて何も無かったから元通りに縫い、疵(きず)は癒えたとしても、全体の健康にすくなからず悪影響を及ぼす事は、私の多くの経験によって知らるるのである。
                  再三言うがごとく、西洋医学はまっしぐらに邪道を進んでいるのであるから、進歩する程人類に対する危険率は増加するという結果にならざるを得ないのである。
                  しかるに、人類は全く西洋医学に盲信してしまって、誤謬の片鱗だも観破し得られないから、まことに歎かわしいのである。

                  category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -

                  「医学の神聖化」

                  2020.07.26 Sunday 05:41
                  0

                    「私は現代医学の構成について、常に不可解に思っている事がある。
                    それは何であるかというと、医学に対し、専門家以外の者、即ち第三者をして一歩も容喙(ようかい)せしめないようになっている事である。
                    臨床上において特に然りである。即ち病気や健康、衛生に関するあらゆる部面に、第三者の容喙する事を以て危険とさえされている。
                    その著るしい現われとしては、素人療法は危険であるとか、民間療術者を非医者なるが故に擯斥(ひんせき)しようとする傾向も多分にあるようである。
                    かように西洋医学以外のものを危険視し、価値を認めないという態度はいかなる訳であろうかを考えてみるに、多分その理由としては、科学に立脚していないからというのであろう。
                    従って、そのものの効果いかんは全然問題にしないというのが実情であって、その独善的なる、ほとんど医学を神聖化してしまっているかとさえ思えるのである。
                    しかるに吾々としては「病気は治ればいい」と言うのである。
                    「病気が治って完全健康体になる」ただそれだけである。
                    それ以外に何を求め、何を望む必要があるであろうか。
                    吾々の生命も肉体も、その保健は現実の問題である。
                    この現実を破壊する学理も科学もあり得ない。
                    この意味において私は、病気が治ればそれは真の医学であり、治らなければ非医学だと思うのである。
                    故に、治る医術を信ずる事が正信であり、治らざる医学を信ずる事が迷信である事はいうまでもない。
                    又病原を徹底的に説明し得られ、現実といささかの矛盾も来さないものが真の医学であり、病原は不明として説明し得ず、現実と齟齬(そご)するという医術は非医学である。

                    category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -

                    「見えざる力」

                    2020.07.25 Saturday 06:14
                    0

                      そうして今一つ注目すべき事は、現代人は何事に対しても理論を重んじ過ぎる結果、理論に捉われ、事実を第二義的に見るという欠点である。
                      社会政策や法規や、医学衛生その他何々等の問題に対し、専門家達が智嚢(ちのう)を集め、理想案として成ったものをいよいよ実行に移すといえども、それが数年あるいはそれ以後に予期のごとき成果が挙がらなかったり、反って失敗となったりする例がよくあるが、それらの事実を深く検討する時、その根本原因としては全く物を重視し、見えざる力を軽視した結果に外ならない事である。
                      その最も好適例ともいうべきは、彼のルーズベルトが樹てた天文学的数字の軍備が予期のごとき成果を挙げ得ず、結局失敗に終るとさえ見らるるのは、物のみを主とした方策に頼り過ぎる結果でしかない事は勿論であろう。
                      故に私は率直に言うのである。
                      現代の日本人が物の力を過大視し、見えざる力を軽視し勝なのは、全く唯物的猶太(ユダヤ)教育に患いせられたそれが未だ多分に頭脳に残存している為であろう。
                      しかしながら、時代の急転換しつつある今日、この事に最早飜然として目覚めなければならない事は勿論であり、それの自覚に後れる人こそ、時代的敗者となるより仕方がないであろう。
                      ここで再び注意しておきたい事は、私といえども物の力を決して軽視するものではない。
                      ただ私は、人間の生命と健康に関する限り、物のみの力では、絶対解決なし得ない事を力説するのである。
                      この意味において、見えざる力によっての医術、即ち唯心的医術を推奨するゆえんである。」 (「明日の医術 第2編」より)

                      category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -