右進左退と左進右退.1

2019.10.21 Monday 09:29
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     悪の必要があって、神は悪を許されたのであります。もし悪がなければ戦争とか、争闘がなく種々な発明等なかったに違いない。…
     これまで発達すれば、大光明世界が出来る条件が備わった。もうここいらでよそうというのが神様の思し召しなんであります。実にありがたい時期になったものであります。物質文明の発達は逆でなければならぬ。それで悪を上にし善を下にしたんであります。これをさすために、ユダヤ人を使って悪で発達せしめたんであります。で悪の役をしたのがユダヤ人で、ユダヤ人の本体は素盞鳴尊で素盞鳴尊の本体は伊邪冊尊(いざなみのみこと)であります。(1047)
     邪神界の方では2000年前以前から大きい野望をしてる。それがフリーメーソンであります。新しい宗教とか新しい思想とかが起ると、すぐにそれを狙う。そして、これもご承知のことですが、将来世界を自分のものにしようという為に、ユダヤ人は今以て国家を形成していない。キリスト教は表面ああなっているが、実権はユダヤ人が握っている。彼は最後にならなければ表面にならない。で、ロシアなどはまだ本当に表面に出ていない。奥の奥で操っている。フリーメーソンは各宗教へ働きかけている。そして世界の人間を残らずフリーメーソンの会員にしようとしている。そのため、金はみんな自分の方へ吸い取ってしまうという行り方で…(1073)
    三千年の桃の実とは西王母のことにして、現界の歴史である。仏教では胎蔵界という。弥勒の出現の時まで五六七(ミロク)を胎蔵していたのである。西王母は聖王母とも書く、伊邪那美尊の御経綸である。伊邪那美尊は西の経綸である。
     西王母より生まれて、いよいよ桃太郎となる。千手観音は桃太郎の事である。たくさんの宝を取るのは、千手観音の手にたくさんの宝を持っている。あれは今までの世界のものはすべて鬼が島の鬼が支配しておったのを取り返した事となるのであって、いままでのあらゆる権力を鬼が持っていたのである。今後鬼が改心する事となるのである。桃太郎に出られては迚(とて)もかなわないと言って降参するのである。
    今までの支配権は(支配権といっても霊的である)鬼が持っていたのを奉還するのである。尉(じょう)と姥(うば)とで世界の大掃除をいたすことである。黄泉比良坂(よもつひらさか)の戦いは鬼と桃太郎の戦いである。…
     桃太郎は最勝妙如来である。必ず勝つのである。桃は三月三日に咲いて五月五日に実る。五月五日の鯉のぼりの事は非常なる意味がある。鯉は魚の観音である。真鯉の鱗は三十三枚である。(1027)
    観音様が布咀落迦山(ふだらかさん)にお降り遊ばして、南海大士と申されておられた時の事である。
    お釈迦様がお訪ねいたしていろいろお聞きになり、初めて今まで知らなかった事、また悟れなかった事を承り、本当の悟りに入られたのである。

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    ユダヤ一支族と瓊々杵

    2019.10.20 Sunday 09:10
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      イスラエルに四つの門がある…あれは昔こしらえたのです。やっぱりキリストより、ちょっと前らしいです。やっぱりユダヤです。将来救世主が現われる、そのときにそれをお迎えするという準備です。その為に四つの門をこしらえたのです。それで三つの門だけは開けられるが、一つの門だけは「開かずの門」といって開けられなかった。いまでもありますが、それで一番不思議に思うことは「開かずの門」の上に十六の菊がついている。だからその「開かずの門」には日本の天皇が行かれるという説もあったのです。「十六の菊の紋」といって、菊の花ではないのです。四方に神の光が行き渡るというような意味です。やっぱり八紘一宇というようなものです。八紘一宇を戦争の道具に使ったのは大変な違いで、あべこべだったわけです。それでイスラエルの流れと言いますが、イスラエル民族の十二の流れというのは、十二の支族になったわけです。それでその一支族だけが東に向って行って、行方不明になったという事があるのですが、一支族が東に行ったという事は、支那に行ったのです。そうして漢民族、漢の英雄になって、それが日本に渡って来たのです。それが瓊々杵尊(ににぎのみこと)なのです。天孫瓊々杵尊なのです。その孫さんが神武天皇です。日本は今までそれが統治していたのです。そうしてそのイスラエルというのはユダヤの祖先だから、そこで日本というのはユダヤの系統だという説もあるのです。木村鷹太郎という人はそういう説を唱えていたのです。やっぱりそれは神様の経綸なのです。だから何千年何万年前から神様はいろいろな仕組みをしていたのです。だからやっぱり御筆先にあります。「今に世界が唸るぞよ」というのがありますが、メシヤ教というのが本当に分ってきたら、本当に世界は唸ります。それでキリストもイスラエルですから、キリスト教も素盞鳴尊の系統なのです。今世界の文化というのは、結局ユダヤの文化なのです。だからユダヤというのは非常に大きな手柄をしたのです。それでユダヤというのを非常に悪いように宣伝したのは戦争前の軍部ですが、むしろ本当からいうとユダヤに感謝して良いくらいのものです。今のこういった機械文明とかを考え出したのは、みんなユダヤ人です。それでユダヤ人を欧州戦争の時なんか、ドイツはどう間違えたのか、みんなユダヤ人を排斥したので、その偉いのがアメリカやソ連に行ってしまったのです。それがいろんな事を考え出してやったのです。今アメリカやソ連が新しい武器を作ったり、原子爆弾を作ったりしているのは、結局その系統です。…だからユダヤ人というのは唯物的に非常に良い頭です。ところがそういった良い方面もあるし、また医学のような、あんな馬鹿気たものを作ったのもユダヤ人だから、そこに一つ足りない。九分九厘の力しかないのです。それで私のほうは一厘の方だから、九分九厘の間違った所を訂正する。いろんな機械やいろんな薬でやった事を、こう(御浄霊)やれば治るということは、やっぱりそういう意味です。今まではユダヤ文化によって世界はほとんど支配されてしまったのです。ただ一つ足りなかったために、せっかく作った文化がみんな人間を苦しめる道具になってしまったのです。それで一厘というのは、苦しめた文化、つまり不幸を生んだ文化を、幸福を生む文化にするのです。それがメシヤ教です。もう少し経つとおもしろいのです。今までのは基礎工事なのです。これから愈々建築に取り掛かるのです。

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      素盞鳴尊とユダヤ

      2019.10.19 Saturday 09:38
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         朝鮮は素盞鳴尊の発祥地で、現在の文化はユダヤ文化である。素盞鳴尊は目的のためには手段を選ばぬ。共産主義も資本主義もユダヤから出ており、ユダヤには正義派と邪道と両方ある。資本主義のアメリカはキリストを基としている。世界平和をモットーにしている。
         善悪の摩擦で文化が進歩するのであるから、今までは仕方がない。ユダヤ文化というのは、素盞鳴尊が追放されてパレスチナに住み、子供を12人生んだ。そして世を乱した罪を贖うべく贖罪した。
         今日の唯物文化の根本は朝鮮である。根本から始められるのであるから、素盞鳴尊の発祥地から始められる。であるから朝鮮はまるで墓場のようになる。これが拡がって世界的になる。
         朝鮮は素盞鳴尊の出生地である。ソシモリ山へ天降ったと言われる。故に朝鮮の天照大神である。素盞鳴尊は女好きで、浦島太郎の伝説が絡んでいる。尊は日本に来て統治し、朝鮮へ帰らなかった。それで龍宮の乙姫は淋しいので…。浦島太郎は漁師で、暴風に遭い朝鮮へ漂着した。越後辺りの者らしい。木曽の寝覚の床に浦島の使った釣竿を祀ってある。美男子だったので、乙姫に愛され、土産物を種々もらった。玉手箱というのは、宝石のごときものであろう。素盞鳴尊は日本に来てある神と恋愛し、よけいに帰れぬ事となり、伊邪那岐尊に追放されてヨーロッパへ行った。そしてパレスチナに住んだ。たくさんの妾を作り子を生んだ。それがイスラエルの12の流れである。
         ユダヤ人は頭が優れており、神の選民と言った。今日の物質文化はユダヤが作った。それには非常に罪を作った。最初はイエスとなって罪を贖ったが、その後2000年経って罪穢が溜まったので、今後はまず朝鮮がそのもので、世界的大浄化の本元を徹底的に神様はやられる。これから世の中にだんだん及ぶ。一旦穏やかになり、だんだん激しくなる。
        ユダヤ人は功労民族である。勝れた学者等ほとんどユダヤ民族で、非常に頭が良い。軍部が政策上、ユダヤ民族を悪く言った。そして思想宗教を排撃した。ユダヤは物質文化を作る為に罪を作った。
        神様の事は、功績があったからとて罪を許すことは出来ぬ。故に、根本から始められる。それが朝鮮問題である。世界的大精算で、罪の大掃除をしなければならぬ。その元が朝鮮で、朝鮮を掃除する。朝鮮はユダヤの先祖の故郷で、徹底的大浄化が行われる。各国の文化は枝である。終るまでには墓場のようになる。日本と比較にならぬ。

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        伊都能売神(いずのめのかみ)と素盞鳴尊(すさのうのみこと)

        2019.10.18 Friday 09:23
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           観音様は観音菩薩で、仏教の方では観は見る、客観的に脇で見ることで、音は世間の音、即ち世の音を見るのだと言ってますが、おかしなものです。これではまるで目の中に耳があるようですね。コジツケですよ。観音様は昔インドに渡って補陀洛(フダラク)山に登って住まわれた。日光にオダケ観音がある。二荒山(フタラサン=男体山の別称)は補陀洛山のことで、その因縁による。補陀洛山は海岸に近く、南に海があり、その山の上に寺のようなものを作り、またその庭に金剛法座を設けて説教した。経文に二十八部衆を従え、観自在菩薩南海大師として善財童子らに説法したとある。当時インドは大自在天が支配していた。観自在菩薩とは大自在天の世を見るという意である。此ゆえに観世音という。菩薩とは一番下の位で尊者と同じようだ。インドでは如来より天が上だろう。何々天とはインドの位になる。
           華厳経に、補陀洛山に観世音菩薩あり、善財童子等大慈悲教を説かれるのを聞いて居られたが、その中に既に沢山の弟子が居られ、中にも侍者として二十八部衆在り、大弁財天、大梵天王、帝釈天王、金色孔雀、毘沙門天、阿修羅王等の外、ナーラヤナ金剛、ワーデラバーニ金剛の兄弟二人(此二人を仁王尊という)等の諸天が居られたとあるのを見ても、御釈迦様は観音様から御教を受けたことがよく判ります。
           日蓮の曼荼羅にも大自在天がある。天照大神は下のほうに小さく書いてある。ここにもいろいろ意味がある。伊都能売(いずのめ)の大神はネ、日本に居られた時迫害を受けてお逃げになった。そのとき姿を隠すため頭巾をかぶり身を包んだ、そのお姿が絵に描いてある。「古事記」には世を浄める神と出ている。で、日本を脱出して支那からインドに渡り庵を作り観自在天となられた。観音様は日本人ですよ。だから釈迦や阿弥陀は頭の毛が縮れているが、観音様は縮れてないんです。何故逃げたかというと、それは素盞鳴尊に命をとられようとしたからです。素盞鳴尊の奥さんは乙姫、また弟姫(素盞鳴尊は天照大神の弟)、オトヨの姫ともいう。素盞鳴尊は朝鮮の蘇尸茂梨山(そしもりさん)…「古事記」にありますが…に下り、日本に来て実権を握った。これが出雲朝の始めです。
           伊都能売大神は天照大神の頃かそれ以前の神様です。素盞鳴尊は世界へ出て行きユダヤへ行ってユダヤ人の祖先となった。で素盞鳴尊の代わりになったのは乙姫だ。観音とは、乙姫…音姫を観ていることを意味する。そしていずれは日本に帰り、素盞鳴尊の実権を取り返そうとする時期を待っておられた。千手観音がそれです。今までは乙姫が財宝を握っていた。神様の話は虚々実々だがマンザラ作り話でもないんです。乙姫は物質に執着して龍になり、丹後の竜宮海という海に沈んだ。時期が来ると三寒三熱の苦しみに遭いついには国常立尊に御詫びするようになる。国常立尊とは以前世界の実権を握っておられたが、節分の夜鬼門の方に押し込められ艮(うしとら)の金神となられた神様です。国常立尊が伊都能売大神になる。国常立尊は霊界で閻魔大王になり、裁きの役をやるが、それが苛(きび)しくてかわいそうだという事から半分は閻魔大王に半分は観音になる。神は厳格だが仏は慈悲だから、伊都能売大神は、仏界で観音様になったんだ。即ち善悪無差別の慈悲である。本地垂迹説も今までのは間違いで、日本へ再び帰ってこられて衆生を救うことの意味である。神様は霊的に分裂する。 
          伊都能売大神は龍神になり霊は富士山頂に(兄花咲耶姫の守護神久須志神社)、体は琵琶湖で時期を待っておられた。龍神というのは力が強いんです。で、大神も悪魔の邪魔に対抗する為龍神となられたんです。

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          生霊

          2019.10.17 Thursday 10:05
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             斯ういう事もあった。某大学生に霊の話をした処中々信じない。「それなら僕に何か憑依霊があるか調べてくれ」 というので、早速霊査法に取掛かった。間もなく彼は無我に陥り、若い女らしい態度で喋り出した。その憑依霊というのは、当時浅草公園の銘酒屋の女で時たま遊びに来るこの大学生に恋愛し、生霊となって憑依したものである。霊の要求は、「この人はチットモ来てくれないので、逢いたくて仕方がないから来るように言って欲しい」 と言うのである。私も生霊とは言い乍ら、惚れた男の伝言を頼まれたという訳で、洵に御苦労千万な次第である。そうして覚醒するや彼は怪訝な顔をしている。私は 『どうでしたか?』 −と聞くと、彼 「無我に陥ったのか全然判らなかった」 と言うので、私はその女の話をした処、彼は吃驚して恥ずかしそうに頭掻きかき恐れいって霊の存在を確認したのである。
             次に、或所で若い芸者を霊査した事があった。すると旦那の霊が出て来たので、私は種々質問した処、左の如き事情が判った。その生霊は某砂糖問屋の主人で、「今晩この芸者に会う約束がしてあった処、拠ろない用が出来、遇う事が出来ないから明晩遇うという事を伝えてくれ」というのである。その言葉も態度も、先ず四、五十歳位の男性の通りであったから疑う余地はない。その話をすると彼女は吃驚した。自分は無我に陥って何を喋ったか全然判らなかったので、私の話により、右の生霊の言う通りに約束がしてあったというのであった。
             二十歳位某家の令嬢、私の所へ来て訴えるには 「自分は近頃憂鬱症に罹ったようで世の中が味気なくて困る」 というので、私は 『貴方のような健康そうで然も十人並み以上の美人であり乍ら理屈に合わないではないか、何か余程の原因がなくてはならない』と 種々尋ねた処やっとそれが判った。というのは、近所にいる或青年がその娘に恋慕し、「手紙や種々の手段で、自分を承知させようとするけれど、私はその青年が嫌いで何回も断った処、その青年は始終私の家の附近に来るので、恐ろしくて滅多に外出も出来ない」 という。私は 『その男の生霊が貴方に憑くのだ』という事を聞かした為、彼女も成程と納得し、それから漸次快方に向い全快したのである。それは病気でないという事が分ったので安心したからである。
             現代人に死霊の存在を認識させるのさえ余程困難であるが、生霊に到っては尚更困難である。併し疑う事の出来ない事実である以上、そのつもりで読まれたいのである。生霊に於てはまだ種々の例があるが、右の三例だけで充分と思うから後は略すが、生霊は総て男女間の恋愛関係が殆んどである。そうして右の令嬢の憂鬱症は如何なる訳かというと、相手の男が失恋の為の悲観的想念が霊線を通じてその令嬢に反映するからである。右の如く生霊は相手の想念が反映する訳である故に、右と反対に両者相愛する場合は相互の霊線が交流し、非常な快感を催すもので、男女間の恋愛が離れがたい関係に陥るのはこの快感が大いに手伝うからである。又死霊が憑依する場合は悪寒を催し、生霊が憑依する場合は温熱を感ずるものである。
             次に右のような他愛もない生霊なら大して問題ではないが、恐ろしい生霊もある。それは本妻と妾等の場合や三角関係等で一人の男を二人の女が相争う場合、その嫉妬心が生霊となり闘争するのであるが、大抵は妻君の方が勝つものである。その理由は、正しい方が勝つのは当然であるからで、その場合妻君の執念によって妾の方は病気に罹るとか死亡するとか、又は情夫を作って逃げるとか、結局旦那と離れる様になるものである。
             人間の生霊はそれ程でもないが、ここに恐るべきは管狐の生霊である。之は昔か飯綱遣いといい、女行者が使うのであって、人に頼まれ、怨みを晴らす等の事を引受けるのであるが、管狐というのは大きさはメロンの少し小さい位の大きさで、白色の軟毛が密生した頗るフワフワとしたもので、その霊は人間のいう事をよく聞き、命令すれば如何なる悪事でも敢行するのである。この飯綱使いは昔から関西地方に多く、その地方では飯綱遣いと縁組するなと言うそうであるが、之は少し感情を害しでもすると返報返しをされるからである。
             又、狐霊の生霊も多く、肉体だけが稲荷や野原に棲息し、生霊だけが活動するのである。

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            恋愛とは何ぞや

            2019.10.16 Wednesday 09:21
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               男女間に於ける恋愛なるものは、その原因全く霊作用である事を私は世の青年男女に告げたいのである。それに就て二つの例を挙げてみよう。
               私は実業に従事していた頃、私の事務所で雇っていた廿才位の女子美術学校の生徒があった。私の営業が美術品で、その図案の仕事をさしてあった。名はTという。或日学友である一人の美しい十八、九のUという女性が訪ねて来た。が執務中なので応接室に待たしておいた。私は何気なくそのUなる女を見た時、あまりにも沈みきっているのに何かしら不安な気持ちがした。私は凝乎していられないのでソッとTの部屋に行きUに就て質ねた。最初はなかなか本当のことを言わなかったが、私が根強く訊くので次の如き真相を語った。
               それは斯うである。Tは彼女と相当前から同性愛に陥っていた処、最近Tの母親に知れ厳しく戒められ、Uとの関係を打切るか学校を退学するかという処まで押迫って来た。二人は終に相談の結果、今宵を期して情死しようとしたのである。私は驚ろくと共に、兎も角Tを別室に呼び霊査した処、憑霊が口を切った。それは家鴨の霊で、その告白によれば数ヶ月前にTに憑依した事、Uには鶯の霊が憑依しており、その鶯が愛らしくてたまらないという。−その為である事が解った。私は此家鴨の霊を叱責戒め、終に離脱させた。其結果Tは目の覚めたる如くUを愛する心が消え、単なる友人以上には出ない事になった。然しそれまでには数回霊治療を行った事は勿論である。私は斯事によって恋愛関係は霊作用であると共に一方だけの解決で可い事を知った。
               今一つの例として斯ういう事があった。某大学生と、談偶々霊の有無に就て論じた。彼は自分を霊査してくれ、というので、私は快諾し、早速霊査に取掛った。間もなく彼は無我に陥った。之は憑霊が浮いた為である。私は『あなたは誰方です』と訊いた。憑霊『私は浅草公園○○○の矢場の庸女で○○というものですが、此○○さんは妾は好きでならないので、来て貰いたいと思ってもなかなか来てくれないから憑いたのです。どうか妾の所へ来るように言うて戴きたい』と言うので、私は承知したので霊は喜んで離脱した。それと同時に覚醒した彼はキョトンと目を瞠っている。私は彼に向って『○○の○○という女を知っているか』と訊くと、彼は喫驚して『先生どうしてその女を御存知ですか』という。私は『タッタ今君から聞いた』というと彼は驚ろいて『無我の裡にとんでもない事を喋舌った』と大笑いした事があった。
               之は勿論生霊の憑依である。

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              龍神界.3

              2019.10.15 Tuesday 09:07
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                 昔から龍神の修業は海に千年、山に千年、里に千年という事になっている。これ等も相当根拠はあるようである。併し龍神の修業は、関係者の供養や善行等によって期間は短縮されるのである。そうして龍神の修業が済むと昇天するが、その場合雲を呼び暴風を起し、所謂龍巻によって海水を随分高く上げ、天に昇るのであるが、これを見た人は世間に数多くある。それについて私の一弟子から聞いた話であるが、それは或時松の木に蛇が絡んでいる。じっと見ていると蛇は段々木の頂上に上り、終に木から離れて空中へ舞い上ったと見る間にずんずん上昇し、遂に見えなくなったというのである。これは霊ではなく実物であるから面白いと思うと共に、有り得べからざる話であり、又有り得べき話でもある。龍神が再生した人間を私は数知れず常に見るのであるが、何れも身体に特徴を持っている。太股、横腹、腰等に鱗の形が現われており、鱗も人により大、中、小種々あり、顕出状態も鮮明なるもの、朦朧たるもの、赤きあり、黒きあり、千差万別である。又面貌によっても判るのである。龍神型としては顴骨(ほほぼね)高く、額部は角型で、こめかみ部に青筋の隆起せるものがあり、眼は窪んだものが多く、顎も角張っており、特徴としてはよく水を飲みたがる。性質は気位が高く、人に屈する事を嫌うが、覇気に富むから割合出世する者が多い。龍系型を熟視すれば、龍という感じがよく現われているから、何人も注意すれば発見する事は容易である。又女性にあっては龍神の再生を龍女といい、多くは結婚を嫌い、独身者で満足する。又龍女は結婚の話などが纏ろうとする場合、相手の男子が死ぬとか、本人が病気にかかるというように、故障が起り易い。これを無理に結婚させると、死別生別その他の事情によって破綻を生ずる事が多い。特に龍女は嫉妬心や猜疑心が強く、夫婦生活の幸福は得難いのである。したがって龍女系女性は世の為人の為善徳を積むか、又は正しい信仰に入る等によって、或程度の浄化をさるれば結婚生活も遂げらるるのである。龍女の浄化とは龍神の霊が人間化する事である。普通龍女は一旦この世を去り、人間として祀られ、再生する事によって普通の人間となるのである。又龍女は眼澄み肌目細やかにして美人型が多いのである。

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                龍神界.2

                2019.10.14 Monday 09:33
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                   抑々龍神なるものは如何なる必要あって存在するかというに、皆それぞれの職責を分担的に管掌の神から命ぜられ、それによって不断の活動を続けているのである。就中天文現象即ち風雨雷霆等はそれぞれの龍神が、祓戸四柱の神の指揮に従い担掌するので、勿論天地間の浄化作用が主である。その他一定地域の海洋、湖沼、河川や、小にしては池、井戸に至る迄、大中小それぞれの龍神が住み守っているのである。従って池、沼、井戸等を埋める場合その後不思議な災厄が次々起る事は人の知る処である。それは龍神の性質は非常に怒り易く、自己の住居を全滅せられた為の怒りであり、又人間に気附かせ、代りの住居を得たいからである。故に初めから小さくとも代りを与え木龍の如く転移の手続きをすればよいので、事情により甕の如き物に水を入れてもよいのである。元来龍神は霊となっても熱し易く水がなくては居られないので、非常に水を欲しがるのである。人間の死後龍神に化するという事は既説の通りであるが、勿論執着心によるので、これ等は霊界に於ける修業によって再び人間に生まれ変るのである。彼の菅原道真が死後、生前自己を苦しめた藤原時平等の讒者等に対し、復讐の執着から火龍となり、雷火によって次々殺傷し、終には紫宸殿にまで落雷し、その災禍天皇にまで及ばんとしたので驚いて急遽神に祀る事となったので、それが今日の天満宮である。それ以来何事もなかったという事で、これ等は歴史上有名な話であり、現代科学では到底解釈し難いであろう。次に明治から大正へかけての話であるが、今の霞ヶ関の大蔵省の邸内にカノ平将門の墓があった。それに気附かなかった為か大蔵省関係者に不思議な災厄が次々起るので、種々調査の結果、将門の霊の為ではないかという事になり、盛大なる祭典を行った処、それ以来何事もなくなったという話であるが、これ等も将門の霊が龍神となったものであろう。そうして龍神に限らず凡ゆる霊は祭典や供養を非常に欲するものである。何となればそれによって霊界に於ての地位が向上するからである。
                   龍神は大体画にある如き形体であるが、有角と無角とあって、高級の龍神は頗る巨大で、その身長数里又は数十里に及ぶものさえある。彼の有名な八大龍王は、古事記にある八人男女即ち五男三女神であり、有名な京都の祇園際は八大龍王の祭典である。伝説によれば彼の釈尊が八大龍王を海洋に封じ込め、或時期まで待てと申し渡したという事である。私の考察によればその時期とは、夜の世界が昼の世界に転換する時までである。何となれば仏法は一言にして言えば真如の教えであるという、釈尊の言葉がそれである。即ち真如とは月の意味で、全く夜の世界のことである。因みに八大龍王は人間に再生し昼の世界建設の為現在活動しつつある事になっている。
                   

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                  龍神界.1

                  2019.10.13 Sunday 08:54
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                     龍神などというと、現代人は荒唐無稽の説と思い、古代人の幻想による作為的のものとしか思うまいが、実はそうではないので立派に実在しているのである。それについて私の体験から先に書いてみるが、私が宗教や霊の研究に入った初めの頃である。或日精神統一をしていると、突然異様の状態となった。それは口を大きく開くと共に、口が耳の辺まで裂けてる様な感じがし、眼爛々として前額部の両方に角の隆起せる如く思われ、猛獣の吼えるが如き物凄い唸り声が自然に発するのである。私は驚くと共に、かねて霊の憑依という事を聞いていたのでこれだなと思った。そこで私は、この霊は虎か豹かライオンの如きものではないかとも思ってみたが、右の獣は無角獣であるからそうではない。そこで当時先輩であった或指導者格の人に質いてみた処、それは正しく龍神の霊であるという。その時私も龍神などというものは実際あるかどうか分らないと思っていたが、そう聞くと成程と思った。然も神憑りの場合、脊柱上方部の骨が隆起する様な感じがしたのも龍の特徴である。その様な事が何回もあったが、その内に私以外のものが私の身体の中で喋るのである。それは右の龍の霊であって、私に憑依した事によって人語を操れる様になったと感謝しており、種々の物語りをした。その話によれば、『自分は富士山に鎮まりいます木之花咲爺姫命の守護神であって、クスシの宮に鎮まりいる九頭龍権現である』と言うのである。然るにその後数年を経て、私は初めて富士登山を試みたが、それ迄は龍神から聞いたクスシの宮は山麓にあると思い、尋ねたが見当らない。遂に富士山頂へ登った処、頂上の登口右側に大きな神社がある。見ると久須志神社と書いてある。ああこれだ、全く龍神の言は偽りでない事が判った。右の龍神については種々神秘があったが、何れ他の著書で発表しようと思う。この事によって私は龍神の存在を先ず知り得たのである。私は種々の点から考察するに、この大地構成の初め、泥海の如き脆弱な土壌を固め締めたのは無数の龍神群であったが、龍神が体を失った後、その霊が天文その他人間社会の凡ゆる部面に今も尚活動し続けているのである。龍神がこの大地を固めた次が、科学者の唱えるマンモス時代で、これは巨大なる象群が、大地を馳駆し固めたものであろう。今日満州の奥地から偶々発見される恐龍の骨等は最後の龍と思う。
                     又龍には種類が頗る多く、主なるものを挙げてみれば、、天龍、金龍、銀龍、蛟龍、白龍、地龍、山龍、海龍、水龍、火龍、赤龍、黄龍、青龍、黒龍、木龍等々である。伝説によれば、観世音菩薩の守護神は金龍となっている。浅草の観音様を金龍山浅草寺というのもその為であろう。又白龍は弁財天ともいい、赤龍は聖書中にある「サタンは赤い辰なり」という言葉があるが、それであろう。黄龍及び青龍は支那の龍であり、黒龍は海の王となっている。木龍は樹木に憑依している龍で、世間よく大きな樹木を伐倒したりすると祟る言うが、これは憑依せる木龍の憤怒に因るのである。故に切り倒す前先ず小さくとも同種又は似通える樹木を代わりとして近くへ植え、御饌御酒を供え、恭しく霊の転移を冀うのである。それは言葉によればいいので、それ丈の手続きをすれば何等祟りはないのである。

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                    天狗界.2

                    2019.10.12 Saturday 09:30
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                       次に修験者などが深山へ籠もり、断食、水行等の荒行をなし、神通力又は治病力など種々の霊力を得るという話がよくあるが、それ等も天狗が憑依するのである。こういう天狗は一種の野心を持ち、その人間を傀儡として現世に於て名誉又は物質を得て、大いに時めく事を望むのであるが、これ等は正しい意味の神憑りではないから、一時は相当の通力を現わし社会に喧伝せらるる事もあるが、時を経るに従い通力が鈍り、元の木阿弥となるものである。一時時めいた○○○○や○○○○○等の如きはその好き例である。そうして人間が断食や病気等によって身心共にに衰弱する場合霊は憑り易くなるものである。 
                       又目に一丁字ない者が突如として神憑りとなり、詩文や書など達筆に書くという例なども天狗の憑依である。
                       ここで、飲酒癖について解説してみよう。酒豪となると、何升もの酒を短時間に飲んでしまう事は不思議である。昔から酒なら一升飲めるが水は一升飲めないというが、これは理由がある。即ち酒癖の原因は酒を好む霊が憑依し、常に腹部に蟠居している。一度酒が腹中に入るや、その憑依霊は酒の精を吸収するから、酒の体は非常に減量する。例えば一升の酒が一合以下になるという訳で、多量に飲めるのである。丁度腹中に酒を吸う海綿があるようなものである。そうしてこの霊とは天狗及び狸が主なるもので、稀には龍神もある。酔うと議論するのは天狗で、愉快になったり笑ったり眠くなるのは狸と思えば間違いない。
                       右の理によって酒癖のある人に対し、腹部に向かって本療法を施せば必ず酒量は減じ少量にて酔うようになるが、これは霊が萎縮するからである。本医術の修得者は如何に酒癖ある人と雖も、漸次その量が減り普通人の程度になるのである。この点のみを考えても本医術の偉大さを知るであろう。
                       天狗の霊について私の体験をかいてみよう。以前私は武州の三峰山に登った事がある。その夜、山頂の寺院に一泊したが、翌朝祝詞奏上の際私に憑った霊があるので訊いてみると、二百年位前天狗界に入った霊で、駿河国三保神社の神官であったそうである。何故私に憑依したかと訊くと、その頃私が愛読していた或宗教のお筆先を読んでもらいたいというのである。そこで私は、私も好むので出来るだけ読んでやったが、約半年位居て彼は厚く礼を述べ帰山したのであった。天狗の性格は、理屈っぽく慢心をしたがり、下座が嫌いで人の上に立つ事を好み、言い出した事はあくまで通したがり、人の話を聞くより自分の話を聞かせたがるものである。又鳥天の憑依者は鳥の特色を表わしており、口が尖り声は鳥の如き単調音で、性質は柔順で争を好まないから、人に好かれる。又空中飛翔の夢を見る人がよくあるが、これは鳥天の憑依者である。
                       

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