狐霊

2019.08.18 Sunday 08:29
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     日本の霊界に於ての狐霊の活躍は特筆すべきものがある。そうして狐霊は好んで○○宗に接するが、それはその経文を聞くと狐霊の通力が増すからだと狐霊が言った事がある。病気治しや当てもの等を行うが、病気治しは或種の病気に限るので、それは病原である。霊が狐霊より下位である場合、それを追い出し得るからである。処が狐霊は病気を治した後なかなか手を引かない。それは治った御利益を利用し、その人を自己の利益に役立たせようとするが、それは自己を祀らせる事である。多くは野狐である為稲荷に出世したいからで、治病に骨を折るのである。
     狐霊は、人間をして精神病たらしめる事を最も得意とする。曩にも説いた如く万物の霊長たる人間を自由自在に操るのであるから面白いに違いない。よく行者輩が種々の事を当てるが、それは斯ういう訳である。行者の前へ伺いを乞う相手が座ると、行者の御用狐が相手に憑依し頭脳に侵入する。そうして相手の意念や記憶、希望等を探知し直ちに行者に憑依し報告する。そこで行者は『貴方は斯々の事を考えているんでしょう。』『斯々の事があったでしょう。』 などといわれるので生神様の如く信じてしまう。又行者が相手に向って『何時頃あなたは斯ういう出来事があるから気をつけなけれはいけない。』 という。すると其言の如き事が出現するので吃驚し、遂に帰依者となる。之は最初予言する時御用狐を相手に憑依させておく。狐霊は予言通りの時を狙い、言うた通りの事をするのである。此方法で成功し生神様の如くなっているものもある。○○市の○○という有名な婦人などは此の部類である。
     狐霊には稲荷の狐と野狐との二種類がある。前者は稲荷大明神と崇められ、中には眷属も多数で、狐霊者の王者ともいうべきものもあり、各所にある有名な稲荷はそれである。然るに野狐は失業者であり、浮浪人である。野狐禅や野人などという言葉はこれから出ているのであろう。従而食物や住居に困り、狐霊仲間では幅が利かないから、早く稲荷に祀られるか、稲荷の眷族になりたいのである。そうして人間に害毒を与えるのも野狐の方が多い。狐は老狐ほど通力が強く、有名な稲荷大明神の本尊は大抵数千年を経たものである。又人間と同化した狐霊は子孫を保護したり、産土神の御用をする等、良孤であるが、人間の不行届等の為立腹した場合、人間を苦しめる事がある。老孤は白色で産土神は白狐に乗じて馳走するのである。茲で稲荷の由来に就て簡単に説示するが、伝説によれば、その昔天照皇大御神が豊葦原瑞穂国を豊穣の地となさん為、豊受明神に命じ、四方の国原に稲を間配らせ給うた。其時豊受明神は多くの狐を使役し稲穂を各地に播かしめた。故に稲荷とは稲を荷ぐという意味であり、又稲を生らせるから飯成りという説もある。その功によって各地に神として祭られたのである。故にその土地の農民が感謝礼拝及び豊作の祈念をすべきで、それが稲荷の本来である。然るに何時しか逸脱して稲荷の信仰が乱れ農事以外の商売繁盛や花柳界の人事等、私利私欲的祈願の的となったのである。
     

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    狐霊に就いて.2

    2019.08.17 Saturday 08:44
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      (二)二十四歳の人妻、猛烈な精神病を私が治したがその経過が面白い。狐が蟠踞していた。前頭部から移動すると共に勿論覚醒状態となった。それから肩から胸部、腹部、臀部というように漸次下降し、最後には肛門から脱出したのである。それまでに約半年位かかった。処が面白い事には移行しながら彼のいる所で必ず何か喋っている。私は時々聞いてみた。今何処にいるかと聞くと 『胸のこの辺にいます』 と指さす。何かしゃべっているかーと聞くと『ハイ、コレコレの事を喋っています』というが喋る事柄は愚にもつかない事ばかりである。そうして初めの内ははっきり分るが時日の経つに従い言語は漸次小さくなり、終に肛門から離脱する頃は、殆んど聞こえるか聞こえない位であった。ところが不思議な事は、狐霊の言葉は発生地が体内であるから、外部からの普通の声とは違う。内部から内耳へ伝達する訳で、いわば無声の声である。
       これ等も将来霊科学的に研究すれば、有益な発見を得るであろう。狐霊の最も好むのは患者を驚かす事で、例えば 『今大火事があるから早く逃げろ』 というので患者は、跣(はだし)で飛び出す事がある。又大地震があるとか、誰かが殺しに来るとかいって患者を逃走させるかと思えば、『コレコレの所に天国があって美しい花が咲き、立派な御殿があり、実によい所だから俺が連れて行ってやる。けれどもアノ世にあるのだから、死ななくてはいけない』 といって連れて行き、川へ投身させたり縊死させたりするような事もよくあるのである。
       右の夫人もそういう事が度々あった。一時は三人の男がつききりで警護したのであった。
      (三)石川某という彫刻師があった。彼は精神病の一歩手前の症状で、どういう事かというと、家で飯を食おうとするや、幻聴がある。『石川お前が今食う飯には毒が入っているから危いぞ』 との声に、彼は箸を捨て外へ飛び出し、蕎麦屋へ入る。又食おうとすると、同様の事をいわれるので又寿司屋へ入るというように、一日中諸所方々を廻り歩いて、空腹のまま帰宅するという訳であった。夜は夜で、彼が二階に寝ていると、家の前を話しながら通ってゆくらしい数人の声が聞える。その声は 『石川は悪い奴だから、今夜殺っつけてしまう』 というので、驚いた彼は終夜びくびくしながらマンジリともしないというのである。
       私は、『雨戸が閉まって、然も二階で、往来を通る人の言葉がはっきり聞こえる筈がないではないか。又本当に君を殺すとしたら、ヒソヒソ話なら兎に角、大声で話し合う訳がないではないか。それはみんな狐が君をからかうのだ。又食物に毒が入っているというのも狐がからかうのだ。町の飲食店で、毒を入れたらどうなる。殺人罪でジキに捕まるではないか。そんな馬鹿々々しいことはあり得べからざる事だ。又人間の姿が見えないのに声だけ聞こえるという、そんな馬鹿な事があり得る筈がない。みんな狐が瞞すのだから、今後人間がいなくて言葉が聞える時は全部狐の仕業と思えばいい。狐は暴露したと思うとつまらないから止すものだ』 といってやった処、それから間もなく平常通りになったといって喜んで礼に来た。
      (四)自動車の運転手、二十七、八歳の男の精神病を私は治したが、正気に帰ってから病中の事を色々聞いた処、彼のいうには屋根へ上りたくなり、電柱や立木をスラスラ上り、屋根の上を彼方此方駈けるように歩き、瓦をめくっては往来へ投げつける、という訳で家族の者は随分困ったそうである。彼のいうには『屋根へ上る時も、瓦の上を駈ける時も少しも怖くない。というのは、蹠の裏が吸いつく』 というのである。これで判った事だが、すべて獣でも虫でも、蹠の裏が触るるや吸引作用が起り、真空になるので密着する訳である。
      (五)十七歳の娘、猛烈な精神病で時々素っ裸になり、ズロース一つで暴れるので、その際三人位の男子がやっと抑えつける程で、そういう時、私が霊の放射をするとおとなしくなる。これも一年位で全治し、数年後結婚し、子供まで出来た程常態に復したのである。右の外狐霊の憑依例は、多数あるが、右の五例だけで、凡その認識はつくであろう。そうしてよく狐霊がいうには、法華経の読経を聞くのが一番好きだという。何故か聞くと、神通力が増すからだとの事である。それに引替え天津祝詞を聞くのは一番嫌だという。それは苦しいからだというが、これは誤りではない。何故なれば、日蓮宗の行者は狐を使うものであり、天津祝詞を聞くと狐霊は苦しみ萎縮するからである。

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      狐霊に就いて.1

      2019.08.16 Friday 08:42
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        「日本人と精神病」の項目に述べた如く、前頭内の貧霊は必ず不眠症の原因となる事は勿論で、それは右側延髄部附近に固結があり、それが血管を圧迫するからである。又狐霊が憑依する場合、前頭部を狙うのは曩に述べた通りで、前頭内は人体を自由に支配出来得る中心機能があるからである。それを憑霊はよく知っているからそこへ憑依し、自由自在に人間を操るのである。狐霊はこの人間を自由にするという事に非常な興味をもつばかりか、狐霊の数は日本だけでも何千万あるか判らない程で、彼等にも団体があり、その首領があり眷族も無数にある。その大きな団体としては伏見、豊川、以前あった羽田、王子、笠間等で、その他中小団体は全国到る所にあり個人の家でも祀ってある事は周知の通りである。
         狐霊界には稲荷の眷族と野狐との二種がある。勿論野狐は人間界の無宿者と同様であるから、彼等は稲荷に祀られたい欲求を以て常に活動している。狐の中にも産土神の家来となっている良質のものもあるが、大部分は不良狐となっている。そうして狐霊は人を精神病にしたり、人に罪悪を起させる事を非常に好むもので、最も悪質なのは殺人又は自殺等を行わしむる奴さえあって、その手腕によって仲間から重んぜられ、巾が利くという事は、人間界で与太者やヤクザと同様である。狐霊の悪い奴になると、数十人の殺人を犯した事を得々という事さえある。
         狐霊の性格は一寸人間では想像もつかない点がある。というのは彼等は実に饒舌家で、一分の休みもなく喋り続けるのである。精神病者が間断なく自問自答している事があるが、これは狐霊との問答で、患者の耳に絶えず聞えるのである。医学ではこれを幻聴というが、これと同じく霊が見えるのである。よく患者が空間を見詰めて恐怖したり、泣いたり笑ったりする事があり、医学はこれを幻覚というが、之は霊界に実在するいろいろの霊や、霊の動きが見えるのである。その場合時によっては患者に狐霊が憑依し、その霊視力を利用し狐霊の仲間が霊界にあって化粧するのであるから、万物の霊長たる人間も、狐霊の意のままに翻弄される訳で実に情けない話である。以上の例として私が経験した数例をかいてみよう。
        (一)二十五歳の男子、時々憑依する狐霊があるらしいので、私は霊査し、次の如き問答をした。
        私 『貴方は誰方?』
        彼 『この方はこの肉体の祖先で、百八十年前に死 んだ武士で○○○○というものだ』
        私 『何の為に憑りましたか?』
        彼 『望みがある』
        私 『どういうお望みですか?』
        彼 『俺を立派に祀って貰いたい』
        私 『承知しました。では貴方の武士であった時は何 という主君で、何代将軍時代ですか?将軍の名  は何といいますか?年号は何といいますか』ーと次々 突っ込んで訊くと、シドロモドロになった彼は、遂に 兜をぬいでしまう。彼は俄然態度が変り、曰く、
        『ヤッ失敗った。駄目だ。俺は穴守の眷族だ、瞞そうと思って来たけれども、とうとうバレちゃっ た』ーといい乍ら早々帰ってしまった。狐霊にもそれぞれ名前があって、三吉とか虎公とか、白 造とかいうような簡単な名前で、態度も言語もベランメー式である。数日経つと又憑依したので、 私は霊査した処がやはり先祖の名を騙り瞞そうとしたが、私がそれからそれへと質問するので、此 奴も遂に降参してしまった。
        彼曰く、
        『この間俺の友達の○○というのが来てバレたので、今度は俺なら巧くやれると思って来たが、や っぱり駄目だ。他所へ行くと大抵巧く瞞すが、この肉体に憑ると不思議にバレちゃう』 と言うから 、私は 『お前等のような木葉狐では駄目だから、この次は穴守の親分を連れて来い』と言ったら、 彼は『親分は来ねえよー』といって帰って行った。
         

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        日本人と精神病.2

        2019.08.15 Thursday 08:54
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           以上の如く、人間の本能である感情を常に制約し、過ちなからしめんとする活力こそ理性の本能で、人間が兎も角普通生活を営みつつあるのは、理性という法律によって本能を抑え生活秩序が保たれているからである。従ってこの法律の力を失うとすれば感情は自由奔放脱線状態となる。それが精神病である。
           右の如く法律が前頭内に光っているのを知っている憑霊は、そこを目がけて憑依し或部分を占有する。勿論霊が充実しておれば憑依する可能性はないが、稀薄といっても厚薄の差別があり、その差別に憑霊の活動力が相応する。例えば、前頭部の霊の充実が十とすれば憑霊する事は全然出来ない。九となれば一だけ憑依出来る。二となり三となり四となり五となり六となった場合憑霊は六の力を発揮し得る。即ち、四の理性の力では六の感情の力は抑圧不可能となるから、憑霊は自由に人間を支配し得るのである。
           最初に述べた如く、凝りの為血管が圧迫され貧霊する。その割合だけ憑霊が活動し得る事は前述の通りである。処が現代人に凝りのないものはないから、霊の充実が十ある人等一人もないといっていい。社会で尊敬されるような人でも、二乃至三位の欠陥はある。あんな偉い人がアンナ間違いをするとか、アノ位の事が分らないとか、どうして失敗したのか等といわれるのは右の二、三の欠陥ある為である。併し乍らこの欠陥は一定不変ではない。常に動揺している。非常に立派な行為をする時は二位の欠陥の時であるが、何等かの動機にふれて邪念が起り罪を犯す場合は四位かそれ以上の状態になった時である。これは世間によくある事だが、大抵は罪を犯してから後悔するが、その時は二位に返った時である。よく魔がさすというのはこの事をいうのである。
           処が一般人は先ず平常三乃至四位であって動機次第ではいつ何時五の線を突破するか判らない。この場合思いもよらぬ罪悪を犯すのである。この例としてヒステリーであるが、この原因は殆んど狐霊で、この狐霊が前頭内に蟠踞し五の線を突破するか、或は嫉妬、怒りの為五の線が先へ破れる場合である。そうなると心にもない滅茶苦茶な事をいい、狂態を演ずるが長くは続かない。というのは五の線が再びそれ以下に保たれるからである。従って人間は三の線を確保すべきで、四位の線では危いのである。今日犯罪者が多いというのは右の理を知ればよく分るであろう。憑霊とは勿論獣霊である以上、五の線を突破すれば形は人間でも心は獣類と何等異ならない事になる。この点人間と獣類の差別の著しい事は、人間には愛があるが、獣類によっては親子夫婦の愛はあるが、隣人愛は殆んどない。反って鳥類虫類にはよくある。併し大抵の獣類は夫婦親子の愛すらないので、人間が獣性を発揮するや、到底考えられない程の残虐性を現わすのである。
           以上述べた如く、十の霊保持者がないとすれば、それ以外は憑霊に多少なりとも左右される訳で、それだけ精神病者といえる訳である。忌憚なくいえば日本人全部が多少の精神病者であるといっても過言ではない。
           これについて私の経験を書いてみるが、私は毎日数人乃至数十人の人に遇い種々の談話を交換するが、聊かも破綻のない人は一人もないといっていい。如何なる人と雖もいくらかは必ず変な処がある。世間から重くみられている人でも、普通では気のつかない位の欠陥はあるにみて、軽度の精神病者は先ず全般的といってもよかろう。
           今一つは言語ばかりではない、行為の点も同様である。勿論行住坐臥誰でも出鱈目ならぬは殆んどない。道法礼節など全然関心をもたない。大抵の人は部屋へ入りお辞儀をする場合でも殆んど的外れである。壁へ向ってするもの、障子へ向うもの、庭へ向うもの等、実に千差万別である。又馬鹿丁寧な人があるかと思えば簡単すぎる人もあり、これ等悉くは軽度な精神病者であろう。最後に当たって根本的解決方法をかいてみるが、それには頭脳への送血妨害としての凝りの解消と凝りの原因である。凝りを解消するには勿論本教浄霊であって、これ以外世界広しと雖もないことはここに断言する。
           故に本教信者は普通二か三で、三の線から逸脱する者は先ずあるまい。何よりも本教信者の品性を見ればよく分る。以上の意味によって、今日の社会悪防止に本教が如何に大なる功績を挙げつつあるかは触るる物の必ず知り得る処である。又凝りの本質は何であるかというと、言うまでもなく薬毒である。

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          日本人と精神病.1

          2019.08.14 Wednesday 09:20
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             今の世の中で、人々は口を開けば思想の悪化、犯罪の増加、政治の貧困等々を言うが、これについて私は、その原因が精神病と密接な関連のある事で、今それをかいてみよう。
             先ず精神病なるものの真因は何であるかというと、これが又破天荒ともいうべき何人も夢想だもしない事である。勿論真理そのものであるから、真の精神病者でない限り何人も納得のゆく筈である。そうして精神病の真因は肉体的と憑霊現象とである、というと唯物主義教育を受けて来た現代人には一寸分り難いかも知れない。何しろ眼に見えざるものは信ずべからずという教育をサンザ叩き込まれて来た以上、そう簡単には分りよう筈のない事は吾等も充分承知の上である。といっても真実はいくら否定しても真実である。目に見えないから無というなら、空気も無であり、人間の心も無という事になろう。
             霊が有るからある。憑霊現象も有るからあるーという真実を前提としなければ此論はかけない。
             故に霊の実在をあくまで否定する人は、この文を読まない方がいい。そういう人は吾々を目して迷信者と見ると同様、吾々からみればそういう人こそ気の毒な迷信者というのである。偖ていよいよ本文にとりかかるが、先ず精神病者は憑霊現象であるとすれば、何故であるかというと、世間よく首が凝る肩が凝るという人は余りに多い事実である。恐らく日本人全部といってもいい程であろう。私は長い間の経験によって、如何なる人でも必ず首、肩に凝りがある。稀には無いという人もあるが、それ等は凝りはありながらあまり凝り過ぎていて、その苦痛に鈍感になっている為である。右の如き凝りが精神病の真原因といったら、その意外に吃驚するであろうが、順次説明するに従って成程と頷くであろう。
             頸、肩の凝りは頭脳に送血する血管を圧迫するので、それが為前頭部内に貧血を起す。処がこれが問題である。というのは頭脳内の貧血は貧血丈ではない。実は血液なる物は霊の物質化したものであるから、貧血は頭脳を充実している霊細胞の貧血ではない貧霊となる事である。この貧霊こそ精神病の原因であって、憑霊は霊の稀薄を狙って憑依する。その霊とは何であるかというと大部分は狐霊で、次は狸霊、稀には犬猫の如き霊もある。勿論何れも死霊で、又人霊と動物霊との共同憑依もある。
             ここで人間の想念を解剖してみると、先ず理性と感情とそれを行為化する意欲である。その理由としては、前脳内の機能は理性を掌り、後脳内のそれは感情原となる。この証左として白色人種は前頭部が広く発達しているのは理性の豊富を示し、反対に黄色人種は前頭部が狭く後頭部が発達しているのは、感情の豊富を示しているにみて明らかである。白人が智的であり、黄人が情的であるのは誰も知る処である。故に人間は常に理性と感情とが相克しており、理性が勝てば失敗はないが、そのかわり冷酷となり、感情が勝てば本能のままとなるから危険を生ずる。要は両様相調和し、偏らない事が肝心であるに拘らず、人間はどうも片寄りたがる。そうして理性にしろ感情にしろ、それを行為に現わす場合、大小に関わらず意欲が要る。その意欲の根原こそ、腹部中央臍部内にある機能である。所謂行の発生原であって、右の三者の合作が想念の三位一体である。
             処が前頭内の貧霊は、不眠症を起す。不眠の原因の殆んどは、後頭部右側延髄附近の固結であり、それが血管を圧迫するからである。不眠は貧霊に拍車をかけるから、得たりかしこしと狐霊は憑依する。前頭内は人体の中枢である為、その部を占有する事によって人間を自由自在に操り得るのである。狐霊はこの人間を自由にする事に興味を持ち、然もそれによって狐霊仲間で巾が利く事になるので、到底人間の想像もつかない訳である。この狐霊については私の実験を基とし近く詳細書くつもりだから読者は期待されたいのである。

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            化人形

            2019.08.13 Tuesday 08:56
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               此話は頗る面白い霊的事象であったと、今でも思っている。それは当時或人から 『化ける人形があるんだが、霊的に解決出来まいか』 と言われたが、それは斯うである。
               或る処に等身大の阿亀(おかめ)の人形がある。その持ち主になった主人は必ず悩まされるという。それは決って真夜中で、四隣寂として声なき頃、その阿亀の人形が寝ている主人の上へ跨って首を絞めるというのである。時にはその人形がニヤニヤ笑う事もあるという訳で、転々として持主が代り現在の持主は恐ろしがって或家に預けてあるから、そこへ行ってくれというのである。私の好奇心はヂッとしていることを許さない。早速出かけた。所は深川の某所で二階の一間に通された。みると成程等身大の阿亀が十二単衣を着、檜扇を片手に差上げての舞姿である。明治以前の作らしく相当古びているが、実に傑作で生けるが如くである。私は其前に端座し、人形に憑依している霊に向って 『私に憑ってくれ』 と言った処早速私に憑ったらしく、私は急に悲しい気持ちがしてならなかった。帰宅後悲しさが込み上げて涙さえ出るのである。翌日M夫人を招び憑霊に対し 『M夫人に憑って人形に関する事を詳細に語れ』 といった処、早速M夫人の口を籍りて次の物語りをしたのである。
               『私は本名荒井サクと申し今から四十年位前、京都の或妓楼の女郎であったが、その家の主人と関係が出来たので、その妻君が嫉妬を起し妾を苛めたが、終には主人も私を嫌い、果ては共々私を虐待するので、一っそ死のうと思い、近くの川へ身を投げて自殺したのである。其後暫らく地獄に居たが、地獄からやっと抜け出しどうかして恨みを晴らそうと意い、右の妓楼へ行ってみると二人とも死歿して居ない。私は無念の怨み晴らすに由なく、而も祭られていないので、生前愛していた阿亀の人形を居所と憑ったので、人形は元、客から貰ったものである。又自分は生前京都の妻恋稲荷を信仰していたので復讐を願った所、稲荷の弟狐と、その情婦である女狐が共同で私を援けてくれる事になった。処が困る事に当の仇が此世に居ないので、つい人形の持主になる主人を目がけて怨みを晴らそうとしたのである。』 と涙ながらに自己の非を詑びるのである。それで私も大いに同情して祀ってやる事にしたが、それには狐を離さなくてはならない。それはなかなか困難である。例えば私が荒井サクと問答しているといつしか狐となり、又サクの霊となるといったように、人獣同化霊の初期の状態を遺憾なく表わしている。然し私が根気よく狐霊を説得したので、遂に分離する事になったが、それに対し狐霊は条件として『私の家の軒下に毎日茶碗に飯を入れて一ヶ月続けてくれ』 と言うので、その通りにしてやり解決したので、今でも荒井サクの霊は私の家に祀ってある。
               いつも荒井サクの霊が憑る前、M夫人の眼には見えるのである。夫人が 『今サクさんが来ましたよ』 というので 『どんな姿か』 ときくと『鼈甲の笄(こうがい)を沢山頭に扠(さ)し裲襠(うちかけ)を着て隣へ座りました』という。又斯ういう事もあった。私は霊友に右の話しをした処『自分も一度霊査してみたい』 と言うので、十人位の人を集め心霊研究会のような会をした。其時右の友人がM夫人に対し霊査法を行い乍ら狐霊を侮辱するような事を言ったので狐霊は立腹して曰く、『ヘン馬鹿にしなさんな、これでも私は元京都の祇園で何々屋の何子といった売れっ子の姐さんでしたから、其の時の妾の粋な姿をお目にかけよう』 と言い乍らいきなり立って褄(つま)をとり娜(しな)を作りながら座敷中彼方此方と歩くのである。私は『モウよい。解ったから座りなさい』 と言って座らせ覚醒さした。M夫人に質けば 『何も知らなかった』 と言う。覚醒するや私に対って 『今茲に狐が二匹居りますが先生に見えますか と言うので、私は 『見えないがどんな狐か』 と訊くと、『一方は黄色で一方は白で本当の狐位の大きさで、此処に座っている』 というかと思うと 『アレ狐は今人形の中へ入りました』 というので 『人形の何処か』 と訊くと 『腹の中央にキチンと座って此方を見て笑っている』と言うのである。私は実に霊の作用なるものは不思議極まるものと熟々思った。
               斯くして化人形は解決したのである。

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              霊界叢談.2

              2019.08.12 Monday 08:22
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                『先生御覧になりましたか』私は『何をですか、別に何も見えませんでした』と言うと、夫人、『実は、初め先生が祝詞をお奏げになると後ろの方からゴーッと物凄い音がしたかと思うと、いきなり私の脇へお座りになった方がある。見ると非常に大きく座っておられて頭が鴨居まで届き、お顔ははっきりしませんでしたが、黒髪を後へ垂らし鉢巻をなされており御召物は木の葉を細く編んだもので、それが五色の色にキラキラ光り迚も美しく見えたのです。間もなく私に御憑りになったかと思うと何も分らなくなりました』との事で、私は、之は本当の神様に違いないと思い、其後査べた所、国常立尊という神様である事が解った。其事があってからニ、三日後M夫人は復訪ねて来た。『又何か憑ったような気がしますからお査べ願いたい』 と言うので早速霊査に取りかかると、今度は前と全然異う。私は、『何者か』 と訊くと  『小田原道了権現の眷属である』 と言うので、『何の為に憑ったのか』 と訊くと‘お詫びをしたい’と言うのである。
                『それはどういう訳か』『実は此婦人は道了権現の信者であるが、今度娘がアラ神様の御協力で助けられたので腹が立ち邪魔をしてやろうと思った。所がそれを見顕わされて申訳がない』 と言うのである。そう言い終るや夫人は横様に倒れた。瞑目のまま呼吸せわしく唸っておったが、五分位で眼を瞠き  『ア、驚ろいた。最初黒い物が、私の身体に入ったかと思うと、又誰かが来て、最初の黒い物を鞭のようなもので打擲すると、黒い物は逃げて行った』 と言うので、私は 『ニ、三日前の神様の警告された魔というのはこれだな』 と惟った。それから娘の病気は日一日と快くなり、遂に全快したのである。仍(そこ)で私も広吉の霊を祀ってやった。これより先、或時広吉の霊が夫人に憑って曰く 『自分はお陰様で近頃は地獄の上の方に居るようになり大きに楽になった。』と言って厚く礼を舒(の)べ次いで 『御願いがある。』 と言い 『それは毎朝私の家の台所の流しの隅へ御飯を三粒位、お猪口にでも入れていただきたい』 というのでその理由を訊くと彼は、『霊界では一日飯粒三つである。又自分は台所より先へは未だ行けない地位にある。』 という。其後暫らくして彼は 『梯子の下まで行けるようになった』 と言った。それは其頃、私の家では二階に神様を祀ってあったからで、其後 『神様の次の部屋まで来られるようになった』と言うので、私は 『もうよかろう』 と祀ってやった。それからニ、三日経って私が事務所で仕事をしていると私に憑依したものがある。而も嬉しくて涙が溢れるような感じなのだ。直ちに人気のない部屋に行き憑依霊に訊いた処、広吉の霊であった。彼曰く、『私は今日お礼に参りました。私がどんなに嬉しいかと言う事はよくお解かりでしょう。』 と言い又、『別に御願いがある。』 と言うのである。
                『何か』 と訊くと『それは、今度祀って戴いてから実に結構で何時までも此儘の境遇でありたいのです。娑婆では稼がなければ食う事が出来ず、苦しみばかり多くて実に嫌です。再び娑婆へ生まれないよう、どうか神様へ御願いして戴きたい』 と言い終わって厚く礼を述べ帰った。之等によって察すると、死ぬ事は満更悪い事ではなく霊界往きも亦可なりと言うべきである。そうして霊界に於ては礼儀が正しく助けた霊は必ず礼に来る。その手段として、人の手を通じて物質で礼をする事もある。よく思いがけない所から欲しいものが来たり、貰ったりすることがあるが、そういう意味である。
                 M夫人は理想的霊媒で、尠からぬ収穫を私に与えたが、斯ういう事もあった。或る時嬰児の霊が憑った。全く嬰児そのままの泣声を出し、その動作もそうである。私は種々質ねたが、嬰児の事とて語る事が出来ない。やむを得ず 『文字で書け』 と言った処、拇指で畳へ平仮名で書いた。それによってみると 『生まれるや間もなく簀巻にされ川へ放り込まれ溺死し、今日まで無縁になっていたので、祀ってくれ』 というので、私が諾(うべな)うと欣んで去った。右の文字は霊界の誰かが嬰児の手をとって書かしたものであろう。又或時憑依霊へ対し何遍聞いても更に口を切らない。種々の方法を以て漸く知り得たが、それは松の木の霊で、その前日その家の主人が某省官吏で、そこの庭にあった松の木の枝を切って持ちかえり、神様へ供えたのであったが、その松に憑依していた霊で、彼の要求は 『人の踏まない地面を掘り埋めて祝詞を奏げてもらいたい。』 というので、その通りにしてやった。

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                霊界叢談.1

                2019.08.11 Sunday 08:41
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                   私はこれから自分が実験した多くの実例を書くが、何分五感では知るを得ない事象である以上誤りがないとはいえないが、私は出来るだけ正確を期す積りであるから読者は信を措いて読まれたいのである。
                  広吉の霊
                   私は霊的研究と治病の実験を併せ行おうとした最初の頃である。それは十九才になる肺患三期の娘を治療した。二回の治療で些か効果が見え第三回目の時であった。私が治療にかかると側に見ていた娘の母親であるM夫人(五十才位)が突然起上がって中腰になり、その形相物凄く今将に私に掴みかからん気勢を示し、『貴様はよくも俺が殺そうとした娘をもう一息という処へ横合いから出て助けやがったな。俺は腹が立って堪まらねえから貴様をヒドイ目に合わしてやる。』というのである。勿論男の声色で私は吃驚した。私は『一体あなたは誰です。まあまあ落ち着いて下さい』と宥めた処、彼は不精無精に坐り曰く。
                  『俺は広吉という者だ』 私は『一体貴方は此肉体とどういう関係があるのです。』 彼 『俺は此家の四代前の先祖の弟で広吉というものだ。』 私 『では貴方は何がために此娘に憑いて取殺そうとしたのですか。』 彼 『俺は家出をして死んだもんだから無縁で誰も構って呉れない。だから祀って貰いたいと今迄此家の奴等に気を付かせようと思い、病気にしたり種々の事をするが一人も気付く奴がいない癪に触って堪らないから此娘を殺すのだ。そうしたら気がつくだろう。』 私 『併し貴方は地獄から出て来たのでしょう。』 彼 『そうだ俺は永く地獄に居たがもう地獄は嫌になったから祀ってもらいたいと抜け出て来たんだ。』
                   私『然し、あなたは此娘を取り殺したら今迄よりもズーッと酷い地獄に落ちますが承知ですか。』と言った処、彼は稍々驚いて、『それは本当か』 私 『本当どころか、私は神様の仕事をしているものだ。嘘は決していえない。又貴方を必ず祀って上げる。』と種々説得した処、彼も漸く納得し共に協力して娘の病気を治す事になった。彼の挙動及び言語は江戸ッ子的で淡白で気持ちの好い男であった。幕末頃の市井の一町人らしい風である。そうしてM夫人は神憑り中無我で些かの自己意識もない。実に理想的霊媒であった。其後娘の病気は順調に治癒に向いつつあったが或日突然夫人が訪ねて来た。
                  『私はニ、三日前から何か霊が憑ったような気がしますから一度査べてもらいたい。』というので早速私は霊査法を行った。先ず夫人が端座瞑目するや私は先ず祝詞を奏上した。夫人は無我の状態に陥ったので私は質ねた。『貴方は誰です』 M 『此方は神じゃ』 私『何神様で何の御役ですか』 M 『此方は魔を払う神じゃが名は言えない。』私は思った(予ねて神にも真物と贋物があるから気を付けなくてはいけない)という事を聞いていたから、或は贋物かもしれない、騙されてはならないと警戒しつつ質ねた。
                   私 『貴方は何の為にお出ましになりましたか。』 M『其方が治している娘は今魔が狙っているから、その魔を払う事を教えてやる。』 私『それは如何すればよいのですか。』 M『朝夕艮(丑寅)の方向へ向って塩を撒き祝詞を奏上すればよい。』 続いて私は他の事を聞いたがそれには触れず、『それだけ知らせれば最早や用はない』と言ってお帰りになった。M夫人は覚醒し驚いた風で私に聞くのである。

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                  霊的病気の種々相

                  2019.08.10 Saturday 08:22
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                     霊的原因による疾患は実に千差万別である。その中珍しいものを一つ二つ書いてみよう。
                     四十才位の男子一日に一回か二日に一回位突如として全身が硬直する。その状宛も石地蔵の如く全身如何なる部分も全然不動、目も口も開けっ放しでそのまま数十分も続くのである。勿論死霊の憑依で死の刹那の表われたものである。之等は砒素剤の如きものの服毒自殺であろう。次は十五、六才の男子数年前突如発熱痙攣を起すと共に顔面に大変化が起った。それは一見六、七十才位の老人の顔で、而も苦悶の形相物凄く正視に堪えぬものがある。故に患者は外出は固より人に顔を合わすさへ避けている。之等も老人の死の刹那でよほど苦悶したものであろう。次は十才位の小児、之は先天的でその状態は両手両足を縛られた如き交又状をなし苦悶に堪えぬ相貌である。之等も手足を縛られたまま変死したものであろう。
                     茲で生霊に就て一言する。死霊の外に生霊の憑依がある。生霊はその殆んどは男女関係が原因であって、善悪の二種がある。善の方からいえば純なる恋愛、例えば男が女を愛する場合、その生霊が女に憑依すると女は一種の快感を催すものであるが、それは女もその男を愛しているからで、もし愛していない場合、即ち一方的愛の生霊は反対に不快を感ずるものである。そこに相愛と片愛との異いさがある。そうして相愛の場合は霊線によって愛の想念が交流する為に思慕の情禁じ難く、別離している事の苦悩に堪えないもので、終に前後を忘れて情死や馳落ちするまでに到るのである。然るに此際注意や意見をするがそれは逆効果となり、反って取返しのつかぬ不幸な事態が生ずる危険があるから放任しておくに限る。何となれば霊線の交流は一時的のもので決して続くものではないからで、恋愛は熱病というが全くそうである。又片愛の場合失恋者の生霊が憑依するから失恋者の想念通りの感じがし、淋しく味気なく憂鬱に堪えないのである。
                     次に悪の場合は、本妻と妾との霊的葛藤などが最も多い。例えば一方が一方を呪う場合と、両方で呪い合う場合とがあり全く修羅場である。そうして呪われる結果としてブラブラ病の如きものに罹るが医診では勿論判る筈がない。之が重症に進み生命を奪われる事さへある。然るに斯る霊が霊界へ往くや復讐せんとして生き残った相手を斃すに至る事がある。勿論霊的で見えざる事とはいい乍ら一旦夫婦の道を外し妾などを蓄る結果、女の生命まで犠牲にするに到っては其罪軽からず大いに慎しむべきである。
                     そうして死霊の憑依する場合は悪寒を感じ生霊の場合は反対に温熱を感ずるものである。
                     

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                    聾耳、便秘、ヂフテリヤ

                    2019.08.09 Friday 08:16
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                       聾耳は霊的原因による事が多いのである。一は前世に於て変死による鼓膜の喪失が霊界に於て完全に復せずして早生する場合と、二は木霊の再生又は憑依である。既記の如く木霊は樹木の憑依霊でそれが伐り倒された場合其当事者の子孫に憑依する場合がある。然し乍ら木霊による聾耳は最も治癒に困難である。聾という文字は「龍の耳」と書くが、斯ういう事を古代人は知っていたと見えるのである。
                       次に霊的便秘は幼児に限るが、生まれるや最初からの便秘症がある。此原因は前世に於て便秘症のまま死亡した霊の再生である。斯ういう赤児の顔は成人者特に老人の如くであるからよく判る。故に放任しておけば普通、一、二ヵ月後には常態となるので、其頃は面貌も赤児らしくなるものである。此意味に於て出生児の顔を注意して見る時老人の如きものが多いが、之によっても人間再生という事は疑い得ないのである。
                       次にヂフテリヤは猫の死霊の憑依が多く、此場合霊的か否かを見分ける方法がある。先ず患者の鼻に向って霊射をすると猫の如き嚏(くさめ)や泣声をすればそれは正に猫霊である。

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