「各国に於ける人口動態」

2020.02.28 Friday 08:04
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    この出生率と死亡率と共に低下するということは注意すべき事であって、世論においては死亡率漸減は医学の進歩の結果と解釈しているが、それは誤りであって私はその原因を後段に詳説する事とする。
    出生率並びに死亡率共にこの傾向を持続するものと仮定し、将来の予想を中川友長博士が推算されたものを示せば次のごとくである。
    年次     出生率    死亡率     自然増加率
    昭和 十年  三一・六三  一六・七八   一四・八五
    同 十五年  二八・七八  一五・三○   一三・四八
    同 二十年  二七・四七  一四・○六   一三・四一
    同二十五年  二六・五二  一二・九九   一三・五三
    同 三十年  二五・二七  一二・一○   一三・一七
    同三十五年  二三・五七  一一・三二   一二・二五
    同 四十年  二一・八五  一○・九○   一○・九五
    同四十五年  二○・三○  一一・○四    九・二六
    同 五十年  一九・一三  一一・四四    七・六九
    同五十五年  一八・二五  一一・八八    六・三七
    同 六十年  一七・三三  一二・五七    四・七六
    間六十五年  一六・二八  一三・○九    三・一九
    同 七十年  一五・二一  一三・七○    一・五一
    同七十五年  一四・二一  一四・二七(−) ○・○六
    同 八十年  一三・三五  一五・○八(−) 一・七三
    同八十五年  一二・六○  一五・六九(−) 三・○九
    同 九十年  一一・九○  一六・○六(−) 四・一六
    同九十五年  一一・二○  一七・三五(−) 六・一五
    右の表についてみれば、出生率は次第に低下して昭和三十五年には最近のイタリアの出生率二三・六に、昭和五十年には最近のドイツの出生率一九・七に、昭和七十年(平成5年)には最近のイギリスの出生率一五・一に、昭和七十五年には最近のフランスの出生率一四・六に接近する事になっている。
    出生率の低下傾向は更に持続して昭和九十五年(平成30年)には一一・二○に低下する計算になるのである。
    この出生率は第一次世界大戦当時のフランスの出生率にほぼ相当する。
    次に死亡率の低下をみるに昭和十五年にはフランス最近の死亡率一五・四に、昭和二十年にはイタリア最近の死亡率一三・九に、昭和三十五年には最近のイギリス死亡率一一・六に、ドイツの死亡率一一・七に、昭和四十年には最近アメリカの死亡率一○・七に接近する。
    しかし我が国の死亡率はこれ以上に低下する見込がないのであって、昭和四十年以後においては再び上昇の傾向をとり、昭和九十五年においては昭和十年の死亡率よりは却って高くなると推算される。
    昭和十年より四十年に至るまで死亡率が次第に低下するのは出生率の減退によって死亡危険の多い乳幼児の割合が減少し、死亡危険の比較的少い青壮年者の割合が増加するからである。
    しかるに昭和四十年以後においては死亡危険の多い乳幼児の割合は引続き減少するが、他方死亡危険の多い老年者の割合が次第に増加するからである。
    次に自然増加率の推移をみるに出生率の低下は死亡率の低下より大である為に自然増加率は次第に低下するのであるが、昭和三十年まではなお一三以上の自然増加率を維持する事が出来る。
    しかし昭和四十年以後においては出生率は依然として低下を持続するに反して死亡率は次第に上昇の傾向を示すから自然増加率は急激に減少し、昭和四十年には最近のイタリーの自然増加率九・七よりやや低く、昭和五十年には最近のドイツの自然増加率八・○よりやや低く、昭和六十五年には最近のイギリスの自然増加率三・五とほぼ同一になる。
    そして昭和七十五年には死亡率が出生率を凌駕して、自然増加率はマイナスー即ち人口の絶対数が減少してくるのである。
    右のごとき統計的推算を以てみるも、我民族将来の発展に対し何人といえども無関心で居る訳にはゆくまい。
    現実に表われつつあるこの危機に直面して根本的一大方策を樹てなければならない事は論議の要はないであろう。
    政府においても最近人口局を設置し、大童(おおわらわ)の対策を講じつつある事は宜(むべ)なりというべきである。
    次に、将来における出生率及び死亡率が近年の低下傾向を持続するものと仮定して中川博士が推算せられた我国将来の人口を示せば次表のごとくである。
    但し支那事変の影響は考慮されていない事を注意しておきたい。
    年次     総数          年次     総数
    昭和一○年  六九、二五四、一四八  昭和六○年  一一八、五五四、二○○
    同 一五年  七三、九三九、二七八  同 六五年  一二○、九一四、○一○
    同 二○年  七八、九八五、五八九  同 七○年  一二二、三二八、四九四
    同 二五年  八四、三三六、四八七  同 七五年  一二二、七西一、七七七
    同 三○年  九○、一○七、四三一  同 八○年  一二二、一八六、六八二
    同 三五年  九五、九五五、七○一  同 八五年  一二○、七三七、七五○
    同 四○年 一○一、六○八、五六七  同 九○年  一一八、四九二、六八五
    同 四五年 一○六、八五七、九六二  同 九五年  一一五、四六五、三八五
    同 五○年 一一一、四五三、三六○  同一○○年  一一一、七七六、七六六
    同 五五年 一一五、三七九、五九六
    右の表についてみるに自然増加率は次第に低下はしているが、昭和七十五年まではプラスであるから同年の人口総数は最高であって一億二千二百七十四万余に達する。
    それ以後における人口総数は減少し初めるのであるが、昭和百年においても昭和十五年の七千三百九十三万九千二百七十八人よりはるかに多くの人口をもつ訳である。
    支那事変の影響を問題外にして昭和百年においても一億以上の人口があるという事は一見力強き感を与えないでもないが、
    ここで注意しておかなければならない事は、昭和七十五年以降我国人口の絶対数は次第に減少する事である。
    即ち民族の衰滅に一歩を踏入れる事である。
    故に昭和七十五年こそは民族衰亡の十字路である事である。
    政府の人口政策確立要綱の目標の一つに「人口の永遠の発展性を確保する事」とあるのは正にこの点に考慮を加えたのであろう。
    以上のごとく各国は固より我日本においての人口動態を検討する時増加率低下という事実は最早各国共一の例外のない一大鉄則となってしまったという事である。
    これが対策として今日まで各国において行われつつある方策としては、周知のごとく現に出生率増加の根本対策として結婚年齢の引下げ避妊及び堕胎の防止を主なるものとし特に我国においては死亡率の高い結核及び幼児死亡率を改善する事である。
    その他の方策としては人口の都市集注防止即ち人口の再分布又民族意識の昂揚家族制度の再確認等であろう。
    しかしながら以上のごとく各種方策なるものはいずれも根源的ではなく末梢的であるから幾分の効果はあるであろうが、到底大勢を阻止する訳にはゆかない事を私は断言するのである。
    一切の事物は原因があって結果がある事はいうまでもない。
    勿論人口増加率低減といえども右の法則の埒外には出ないのであるから、その原因を発見してそれを除去する以外根本的対策なるものはあるはずがないのである。
    しかしながらその原因なるものは今日まで誰もが発見し得なかったというその事も第二の原因であった訳である。
    しかるにその原因ー即ち最初に述べたところの謎なるものを次項に説いてみよう。」 (「明日の医術 第1編」より)

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    「各国に於ける人口動態」

    2020.02.27 Thursday 08:00
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      既に述べたるごとく世界における文明国と称せらるるものはすべて早きは百年、遅きは四、五十年来出生率減退の趨勢であるに対し、我国が独り出生率の増加を示せる事は学者間においても大いに注意すべき所としている。
      これによってこれを見れば、最早今日においては出生率減退は文明国における一の人口鉄則とも称すべく、いかに世界における文明国が出生率の減退を来したるかは次表に示すごとくである。
      国家    年数        出生率減退の割合
      フランス  百二十年間     四五%
      英国     五十年間     五○%
      ドイツ    五十年間     五○%
      イタリア   四十年間     二五%
      ベルギー   九十年間     四○%
      スエーデン   百年間     五○%
      ノルウェー  七十年間     四○%
      スイス    五十年間     四○%
      要するに出生率減退はフランスがそのトップを切ったまでであって、他のいずれの国も遅速の差はあるがいずれもそのあとをおい、今日ではこれに追いついたものや、またあるものはこれを追越している状態である。
      次にフランスの出生率が例外的に低かった時代は既に過去の事である。
      今日では全く時代が変って現在の欧州各国は次のごとき状態である(一九二九年)。
      フランス  一七七  ノルウェー   一七三
      スイス   一七一  オーストリア  一六七
      イギリス  一六七  スエーデン   一五二
      次に出生率減退と死亡率減退とが相伴って行く事は各国共大体同様であるが、死亡率減退よりも出生率減退の方が例外なく多いので増加率が低減するのである。
      この一例としてフランスの統計を示してみよう。
      年次      人口一万人に対する死亡数    出生超過
      一八○一−一○年    二八六         七三
      一八一一−二○年    二六○         五三
      一八二一−三○年    二四八         五八
      一八三一−四○年    二四七         四二
      一八四一−五○年    二三二         四一
      一八五一−六○年    二三七         二四
      一八六一−七○年    二三五         二七
      一八七一−八○年    二三七         一七
      一八八一−九○年    二二一         一八
      一八九一−一九○○年  二一五         一六
      一九○一−一○年    一九四         一二
      一九一三年       一七六         一五
      死亡率は一九一三年までは相当強くすなわち三九%も低落したが、出生率は更に多く下降せるため出生の超過はその影響を蒙った。
      十九世紀末より二十世紀の初頭にかけてその超過ははなはだ微弱にして死亡超過の年すら表われ、ついにフランスの識者が自国の滅亡を叫んだのも無理はない。
      それがついに一九三八年に至っては同国は約十三万人のマイナスとなったのである。
      最後に再び我国における統計を示してみよう。
      大正九年の人口千につき三六・一九を最高として爾来低下の傾向を示し、死亡率も又同様の傾向を示している。
      年次     出生率    死亡率
      大正 九年  三六・一九  二五・四一
       同 十年  三五・○六  一三・六九
       同十一年  三四・一六  一三・三二
       同十二年  三四・九四  一三・七八
       同十三年  三三・七九  三一・一三
       同十四年  三四・九二  二〇・二七
      昭和 元年  三四・七七  一九・一八
       同 二年  三三・六一  一九・八〇
       同 三年  三四・三八  一九・九一
       同 四年  三三・〇〇  二〇・〇四
       同 五年  三二・三五  一八・一七
       同 六年  三二・一七  一八・九八
       同 七年  三二・九一  一七・七三
       同 八年  三一・五五  一七・七六
       同 九年  二九・九七  一八・一一
       同 十年  三一・六三  一六・七八
       同十一年  二九・九二  一七・五一
       同十二年  二〇・六一  一六・九五
       同十三年  二六・七〇  一七・四四
      右表によってみるに年によって多少の凹凸はあるが、出生及び死亡率共に次第に低下しつつある事は明かに知る事が出来る。
      即ち出生率は大正九年に三六・一九であったものが十八年を経た昭和十三年には六・七○に激減している。
      しかし死亡においても大正九年の二五・四一から昭和十年一六・七八に激減しているが、翌々十三年には一七・四四に増加しているが右の昭和十三年は支那事変の影響もある事は想像する事が出来よう。

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      「各国に於ける人口動態」

      2020.02.26 Wednesday 07:44
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        次に、目を転じて他の大陸を観よう。まず濠州及びニュージーランドはどうであろうか。  
        年次      濠州 ニュージーランド
        一九一三年   二八二  二六一
        一九一四年   二七九  二六○
        一九一五年   二七一  二五二
        一九一六年   二六六  二五九
        一九二一年   二五○  二三三
        一九二二年   二四七  二三二
        一九二三年   二三八  二一九
        一九二四年   二三二  二一六
        一九二五年   二二九  二一二
        一九二六年   二二○  二一一
        一九二七年   二一七  二○三
        一九二八年   二一三  一九六
        一九二九年   二○三  一九○
        いずれも僅か十六年間に出生率の三○%あまりを失っている。
        欧州とは全く社会事情を異にせる南半球の白人国もまた出生率減退の例外ではない。
        ラヴィノウィッチ氏は右のごとき諸国の統計によって、世界のあらゆる国家及びあらゆる民族において出生率の減退をみると結論している。
        次に、米国はどうであろうか。
        この国は全国的に出生の登録が行われていないから全国について出生率の減退を直接示すべき資料はないが、各調査年度における総人口より純入国移民数を差引き、これと前の調査年度における人口と比較し人口の増加率を計算するならば大体において出生率の動きを知る事が出来る。
        これによれば一八八○年以来出生率は減退している。
        また最近の登録地域における出生率によるも年々出生低下を示せる事次表のごとくである。
        年次         人口千人に対する出生
        一九二○−二一年   二四・○
        一九一三−二三年   二二・五
        一九二四−二五年   二二・○
        一九二六年      二○・六
        一九二七年      二○・六
        一九二八年      一九・八
        一九二九年      一八・九
        一九三○年      一八・九
        Shirras, The Population Problem in India, Economic Journal, Mar., 1933., ページ63に拠る
        次に、南米方面は今の所アルゼンチンだけしか判っていないから同国についていえば一九一○−一四年の一年平均出生率は千人に付三八・九で自然増加率は二○・八という素晴しい割合を示していたが、一九三四−三八年の出生率は二五・○、自然増加率は一二・五と減少したのである。
        しからば吾日本はどうであろうか。
        年次         人口千人に対する出生
        一九一一−一五年   三三・五
        一九一六−二○年   三三・○
        一九二一−二五年   三四・六
        一九二六年      三四・六
        一九二七年      三三・六
        一九二八年      三四・四
        一九二九年      三三・○
        一九三○年      三二・四
        一九三一年      三二・一
        一九一六−二○年は世界大戦の影響により、一九一九年(大正九年)には三一・六と最低となり、その翌年は反動によるか三六・二となり、我国最高の記録を作っている。
        この期間における出生率の変動は世界各国にみる所である。
        従ってこの期間を除いて大観するならば、我国の大正末年までは大体において増加を示し昭和に入って落潮(らくちょう)に転じている。

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        「各国に於ける人口動態」

        2020.02.25 Tuesday 08:51
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          左に欧州各国の状態を示してみよう。
          英国における出生率は次のごとくである。
          期間  人口1万人に対する出生数平均  期間  人口1万人に対する出生数平均
          一八四一−五○年   三二六  一九○一‐一○年 二七二
          一八五一‐六○年   三四二  一九一一‐一五年 二四一
          一八六一−七○年   三五二  一九一六−二○年 二○一
          一八七一−八○年   三五五  一九二一−二五年 一九九
          一八八一−九○年   三二五  一九二六年    一七八
          一八九一‐○○年     二九九  一九三○年    一六八
          Shiras教授前掲論文による
          一八七一−八○年に至るまでは出生率は増加の一路を辿ったのだが、爾来その方向を転じ加速度的に減少している。
          即ち三五五より戦前には二四一となり、一九二六年は一七八、一九三○年に一六八となった。
          一八七一‐八○年より一九二六年に至る半世紀間は低落を続け、ほとんど半分以下に減退した。
          そうしてこれをフランスの減退と比較すればその速度は約二倍半程急速である。
          けだしフランスは一二五ケ年(一八○一−一九二六年)間に四○%余低落したに過ぎぬからである。
          この事実は英国をして痛く驚愕せしめタイムス紙のごときは「この世紀に入って以来、英国の人口統計の著しき特徴たりし出生率減退は依然として継続し、むしろその減退率は益々速かならんとしている」と述べている。
          英国最近の統計は左のごとき悲観すべきものである。
          年次 人口1万人に対する出生数平均   年次 人口1万人に対する出生数平均
          一九二一年  一三四   一九二四年  一八八
          一九二二年  二○四   一九二五年  一八三
          一九二三年  一九七   一九二六年  一七八
          右のごとく一九二六年にはフランスの出生率(一八八)にも劣っている。
          次にドイツを見よう。
          期間  人口1万人に対する出生数平均  期間  人口1万人に対する出生数平均
          一八四一−五○年 三六一   一八九一−一九○○年 一六八
          一八五一−六○年 三五三   一九○一−一○年   三三○
          一八六一−七○年 三七二   一九一一−一五年   二八五
          一八七一−八○年 三九一   一九一六−二○年   一七九
          一八八一‐九○年 三六八   一九二一−二五年   二一九
          一八七一‐八○年に至るまでは出生率は漸次高くなってきたが、爾来かなり急激な減少を初めた。
          即ち三九一より二十世紀の初頭には三三○と低落した。
          しかしドイツにおいては一般に出生率のはなはだ旺盛なる事に慣れていたのでこの突如たる減退を信ぜずディーチェル氏はこれを懐疑を以てみワグナー氏は一九○七年に一時的出生率の干潮に因るとなし、フィルルクス氏は統計的計算の誤謬に因るとした位であった。
          この様に、ドイツの学者達は出生率減退を信じなかったのである。
          しかしながら事実は依然としてその低落を継続し、一九一三年には二七六に下った。
          即ちこれはドイツが四十個年間にその出生率の三分の一を失った事を意味するのである。
          次に戦後における状態は次のごとくである。
          年次 人口1万人に対する出生数平均   年次 人口1万人に対する出生数平均
          一九二一年  二五三   一九二四年  二○二
          一九一三年  一三九   一九二五年  二○四
          一九二三年  二○八
          一八七一年−一九二五年に至る期間に出生率は三九一より二○四に減退した。
          即ち半世紀にその出生率の半分(四八%)を失った。
          しかもその減退は規則的に継続している。
          その下降の速度はフランスの二倍半となっている。
          次にイタリアをみよう。
          年次 人口1万人に対する出生数平均   年次 人口1万人に対する出生数平均
          一八六一−一八七○年 三七一  一九○一−一九一○年 三二七
          一八七一−一八八○年 三七○  一九一一−一九一五年 三二八
          一八八一‐一八九○年 三七六  一九一六−一九二○年 二二九
          一八九一‐一九○○年 三四九  一九二一−一九二五年 二九一
          イタリアも出生率減退の現象を認め得るが、英国やドイツ程はなはだしくない。
          しかし最近における出生率減退は相当顕著なるものがある。
          年次 人口1万人に対する出生数平均   年次 人口1万人に対する出生数平均
          一九二一年  三○三   一九二四年  二八二
          一九一三年  三○二   一九二五年  二七五
          一九二三年  二九三
          しかもその減退は依然としていて一九二九年は二五一となっている。
          これにおいてかイタリア政府は国民に一大警告を発し、出生率がこのまま減退を持続するにおいては二十世紀末には一大危機に遭遇すと為し、大いに人口の増殖を奨励している。ともかくもイタリアにおいては一九二五年までの約四十年間にその出生率の四分の一を失った事になる。
          更にラヴィノウィッチ氏はベルギー及びスエーデン、ノルウェーについて統計を掲げ出生率の減退を示している。
          すなわちベルギーの出生率は約八十ケ年間に四十%を失い、スエーデン、ノルウェーについては前者は時々フランスと同じ道程を歩み一世紀間に出生率は半減し、後者はその出生率減退はスエーデンより後れて始まったが十年間に四○%を失った。
          なおスイスは半世紀間に(一八七五〜一九二六年)出生率の四○%を失った。

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          「各国に於ける人口動態」

          2020.02.24 Monday 16:00
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            「今試みにフランスにおける人口動態を示してみよう。
            この国といえども十九世紀の初頭には出生率は相当高いのであった。
            即ち西暦一八○一‐一○年には三二・四、一八一一‐二○年には三一・八、一八二一‐三○年には三一・○であった。
            しかるに一八三一‐四○年に三○・○台を割って二九・○に低下した。
            爾来(じらい)低減の一路を辿りつつ一八七○年普仏戦争当時二五・○にまで激減したのである。
            更に第一次世界大戦前における出生率は約一九であったが一九一四−一九年には実に一二・四に激減した。
            もっとも戦後の出生率はやや恢復して一九二○年には二一・四、一九二一‐二五年には一九・四を示したが、その後再び低下を続けて一九三八年には一四・六という悲惨な状態に陥ったのである。
            これに対し社会学者ラヴージの社会淘汰論には種々の原因はあるが、その最大原因は生理的不妊症であると述べている。
            右のごときフランス人口の減退が一八三四年頃から始ったという点に注目する必要があるのである。
            そうして同国の統計において十九世紀初頭即ち一八○一年の出生数九十万人、一九二六年七十五万人、一九三一年七十三万人にして、その差は左程でもない様であるが、実はこの期間における人口の増加と比例してみなければならない。
            即ち一八○一年は二千七百万の人口に対し、九十万の出生であり、一九二六年は四千万の人口に対し七十五万の出生であり
            一九三一年は四千百八十万の人口に対する七十三万の出生であるから、以ていかに出生率の減退のはなはだしきかを察知し得るのである。
            試みに出生率の動きを示してみる事にする。
            期間  人口1万人に対する出生数平均  期間  人口1万人に対する出生数平均
            一八○一‐一○年  三二九  一八八一−九○年   二三九
            一八一一‐二○年  三一八  一八九一‐一九○○年 一三一
            一八二一−三○年  三○六  一九○一‐一○年   二○六
            一八三一−四○年  二八八  一九一一−二○年   一五三
            一八四一−五○年  二七三  一九二一−二五年   一九三
            一八五一‐六○年  二六一  一九二六年      一八八
            一八六一‐七○年  二六二  一九三一年      一七四
            一八七一−八○年  二五四
            次に世界文明国の出生率減退は決してフランスのみではないのであって、今日においては一の普遍的法則ともみる事が出来る。
            ただフランスにおいて出生率減退が問題となったのはその減少が既に十九世紀の初頭に表われたるに由(よ)るからである。
            フランスの出生率減退を対岸の火災視したる各国は、今やフランスと同様の事態に直面する事となった。

            category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -

            「人口問題」

            2020.02.23 Sunday 06:12
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              (五)出生減退とその増加の方策
              右に述べたように人口の増加をはかるには出生の増加を基調としなければならない。
              ではこの出生の増加を計るにはどうすればよいか。
              わが国の出生率が前の世界大戦の直後のころを転機として急激な低下の勢いを示してきたのは、結婚の年齢が遅くなってきたということとその結婚した夫婦の子を生むことがすくなくなってきたということの二つの原因にもとづいている。
              たとえば大正十四年から昭和十年までの十年の間に出生率が人口千につき三四・九二から三一・六三になっているがこのために出生児の減った数は大約(おおよそ)四十万人の多きに上っている。
              これは大正十四年の当時の有配偶率で、結婚している有配偶者の子供を生む割合が当時と同じであったとしたならば、昭和十年にはこのくらい生れるであろうという数を算出してそれを昭和十年に実際に生れた出生児の数とくらべて算出したものであるが、そのなかで結婚年齢が遅れてきて若い年齢の者の有配偶率が低くなってきたために減ったと認められる数が約二十三万人、結婚をした有配偶者の子を生む率が低くなってきたために減ったと認められる数が約十七万人ということになっている。
              人によるとわが国において出生率が低くなってきているのはすべて産児制限の結果であるというようにいう人があるけれども、しかし右の事実は産児制限のほかにも結婚の年齢がだんだんに遅れてきたために若い人達の有配偶率が低くなってきたということが出生率減退の大半の原因となっているということを証拠立てている。
              また有配偶者の子を生む割合が減ってきたということも、それをすべて産児制限の結果であるというようにみることは早計である。
              有配偶者の子を生む割合が減ってきたというのは、産児制限もその一つの原因になっているにちがいないが、そのほかにも種々の原因で婦人の妊孕力(にんようりょく)そのものが衰えてきたということも想像されることである。
              したがって出生の増加をはかるには産児制限の風潮を一掃することがもちろん必要であるが、ただそれだけでは所期の目標に達することはできない。
              それには、結婚の年齢を早くして若い人達の有配偶率を高めることが必要である。
              また結婚した有配偶者の子を生む割合を大ならしめることにつとめなければならない。
              しかしこれらの出生増加の目標に達することは実はなかなか容易なことでない。
              それにはまずその基本的な前提として産児制限や個人本位の風潮を極力排斥して健全なる家族制度の維持強化をはからなければならない。
              健全な家族制度は人口増加の起動力であるからである。
              また結婚の年齢を早くして若い人の有配偶率を高めるには、団体や公営の機関などをして積極的に結婚の紹介斡旋指導をさせることが必要である。
              結婚費用の徹底的軽減をはかるとともに婚資貸付制度を創設するということも必要である。
              また学校制度の改革については特に人口政策との関係を考慮して、余り長い間学校に行かなければならないために結婚がおくれるようにすることなどもぜひ改善することが必要である。
              (六)人口減少と資質増強の方策
              人口の増強をはかるには、出生の増加につとめることがまず第一に必要なことであるが、
              しかしそれと併せて死亡の減少に努力することが必要であることはいうまでもない。
              そしてこのたびの人口政策確立要綱ではその人口増加の目標を達するために、一般死亡率をこれから二十年の間に概(おおむ)ね三割五分引下げることを期しているがこれもまた出生増加の場合と同じくなかなか困難なことである。
              わが国の死亡率がドイツやイギリスなどのヨーロッパの諸国にくらべてなお余程高いということは前に述べたが、
              しかしそれをもう少し詳しくしらべてみると、そのなかでも特に乳幼児の死亡率と主として二十歳前後の青少年者を斃(たお)す結核の死亡率とが格段高い。
              ただし、このなかの乳幼児の死亡率はわが国でも前の世界大戦のころを境として近頃では非常な勢いで低くなってきている。
              すなわち大正七年におけるわが国の乳児死亡率は出生千につき一八八・六人同八年におけるそれは一七○・五人同九年におけるそれは一六五・七人であった。
              この当時には生れた子供が初めてのお誕生日を迎えるまでの間にその二割近くまでが死亡してしまったわけであった。
              しかるにそれがそれから後は年とともに低くなって昭和十一年におけるわが国の乳児死亡率は出生千について一一六・七人昭和十二年のそれは一○五・八人になっている。
              しかしわが国の乳児死亡率は今日でもヨーロッパの諸国にくらべるとそれでもなお余程高い。
              昭和十一年におけるイギリスの乳児死亡率は出生千につき六一・九人ドイツのそれは六五・八人フランスのそれは六七・○人にすぎなかった。
              またわが国の第六回生命表によると十万人の出生児があった場合に、そのなかで五歳になるまで生き残る者は男児ではわずか八万一千七百八十八人女児でも八万三千二百二十九人しかないことになっている。
              これは生れてから五歳になるまでの間にそのなかの二割近くが死亡してしまうという驚くべき事実を示している。
              わが国の死亡率を引下げるには何よりもまずこの乳幼児の死亡率を引下げることが肝要である。
              また結核死亡率についてはこれまでは何かそれを文化の進歩に伴ってさけることのできないいわば文明病とでも名づくべきもののごとくに思っていた人があったけれどもしかしそれは大きな間違いである。
              わが国における結核死亡率はほとんど低くなる傾きをみせていない。
              かえって近頃ではそれが高くなる傾きをみせているくらいである。
              すなわち大正九年における我が国の結核死亡率は人口一万につき二二・四人であったが、
              それが一時はやや低くなって昭和七年には一八・○となったがそれがそれからは再び高くなって昭和十三年には二○・七となっている。
              これは結核による死亡率の高まることが文化の進歩につれてさけることのできないものであるという意見を裏書しているようにもみえるが、
              しかしこれをヨーロッパの諸国とくらべてみるとたとえばドイツのそれは五・五人濠州のそれは三・八人ニュージーランドのそれは三・六人になっている。
              これは結核死亡率を引下げることがその努力のいかんによっては文化の進歩にかかわらず必ずしも不可能でないということを立証している。
              この度の人口政策確立要綱では、それ故に死亡率を引下げるときの中心目標をこの乳幼児の死亡率を改善することと、結核による死亡率を引下げることとにおくことにしている。」 (「明日の医術 第1編」より)

              category:戦前の医学論文 | by:mistoshicomments(0) | -

              「人口問題」

              2020.02.22 Saturday 08:11
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                人口問題研究所において予測したものをみると、日本の人口はこのまゝにしておくと、昭和七十五年までにはとにかく増加して一億二千三百万人にまではなるが、その時が日本の人口が到達することの出来る最大の数である。
                それからは次第に減少の勢いに転じて自滅への途を辿ることになるということである。
                これは昭和十二年までの我が国の人口の動きを基礎として人口学の精密な計算にもとづいて算出されたものであるが、しかし、いまや東亜共栄圏の建設にむかって渾身の努力をかたむけている吾々にとってはまことに心細い予測であるといわなければならない。
                出生率と死亡率とがともに低下する結果としてその国の人口現象の上に起る第二の憂慮すべき問題は若い者の割合がだんだんに少くなって年をとった人の割合が多くなってくるということである。
                これは死亡率が低くなるとともに出生率が低くなってくると長生きをする人の割合がだんだんに多くなるのに対して、毎年の生れてくる者の割合がだんだんに少くなってくるために、年の若い者の割合が減ってくることになるからである。
                ヨーロッパの文明国では死亡率と出生率とが相ともなって低下する勢いが相当に長きにわたってつづいた結果、すでに今日でも年の若い者の割合が非常にすくなくなっていわゆる「青年なき民族」となっている。
                わが国でも今日の人口を十数年前と比べてみるとすでに余程年の多い者の割合が多くなってきているが、これをこのまゝ放任することにすればこの傾向はだんだんとはなはだしくなってきてやがてはヨーロッパの場合と同じようなことになるに違いない。
                これはすこぶる寒心すべきことである。
                青年なき民族には発展もなければおそらくは未来に対するかがやかしい夢をえがくことも出来まい。
                静かに余生を楽しんでいる年寄ばかりの住んでいる国を想像してみるがよい。
                そこには進歩も発展も見出すことが出来ないであろう。
                青年なき民族がいかに悲惨な運命を辿るかということは、この度のフランスの運命がもっとも明白に示している。
                次に昭和十六年二月十九日発行の同週報にこうでている。
                (四)人口政策の目標とその方法
                日本人口のこれまでの外見上のかがやかしい発展と増加とのかげには実はこうしたおそるべき毒素がすでに醸成されていたのである。
                吾々はまずこのおそるべき毒素をとり除いて、ヨーロッパの諸国が踏んだ失敗を再び繰りかえさない様にしなければならない。
                日本の人口がだんだんに年寄りばかり多くなるとともにその増加の勢いが次第に弱まってきてついに減少の道を辿ることになるというようなことではどうして東亜共栄圏の先導者としての重大な任務をはたすことができるか。
                今後の日本は多数の若くて元気で丈夫でそして賢明な青年を要することがますます大になってきている。
                この必要に応ずるには日本の人口政策は次の四つの目的を達することを目標として樹立されなければならない。
                一、人口の永遠の発展性を確保して、人口の老衰と将来の減少とを防ぐこと。
                二、その増殖力と資質とにおいて、他の諸国を凌駕するものとすること。
                三、高度国防国家における兵力との必要を確保すること。
                四、東亜諸民族に対する指導力を確保するためにその適正なる配置をなす事。
                政府がこの度発表した人口政策確立要綱のなかで昭和三十五年において内地人人口が一億に達することを差当りの目標としたのは、これらの目的を達するに必要な人口を簡明にかつ具体的に示したものである。
                そしてこの昭和三十五年一億の目標が達せられることになればそれから後の日本における人口の増加はさらに飛躍的なるものとなり、日本民族はここに初めて悠久にしてかつ永続的なる飛躍的発展をとげる基礎を確立し得ることになるわけである。
                しかるにこの昭和三十五年内地人口一億の目標を現実に達することは実はなかなか容易ならざる大事業である。
                しかし吾々はいまやこの非常の困難を乗り超えて一日も早くこの目標に達しなければならない。
                そこでこの困難な目標に達するにはどうすればよいか。
                それには一般的に考えて出生率を引上げることと死亡率を引下げることの二つの方法が考えられる。
                そしてこれらの二つの方法の中で、人によると死亡率の引下げということに重点をおいてそれを殊更(ことさら)に力説するものがある。
                そしてそれらの人達の意見によると「近頃の我国の死亡率は急激に低下の勢いをたどっているが、しかしイギリス、ドイツ、濠州、ニュージーランドなどにくらべるとそれでもなお余程高い率である。
                これ日本の死亡率がこれからでもまだ引下げることの出来る余地が相当に大きいということを有力に立証している。
                また出生率を引上げることに力をそそぐよりはその生れた子供を大事に育ててその死亡を極力すくなくするようにすることが、人口増加の目標を達する上においてもっとも無駄の少いもっとも合理的な方法である」ということである。
                これは一応もっともな意見であるかのごとくみえる。
                死亡率を引下げるということは、わが国では特に必要な事である。
                けれども、右の意見が今後の日本の人口政策について死亡率を引下げるということを主張するのであるならばそれは必ずしも正しい意見であるということは出来ない。
                そのわけは死亡率を引下げることだけに努めてみても、ただそれだけでは計算上所期の昭和三十五年内地人人口一億の目標に達することができないというだけでなく死亡率を引下げるということだけでは何十年かの後には必ず日本の人口が減ってくるようになるときがくるに違いない。
                前に記した人口問題研究所の予測は、日本の出生率と死亡率とが昭和十二年までの時期における低下の勢いを今後もつづけることを仮定して推算したもので、それによるとわが国の死亡率がこれまでのように相当に急激な勢いでこれからも引下げられるとしても、昭和七十五年からは人口が減少することになるということである。
                従って所期の目標に到達するには死亡率の引下げにのみたよっていることはできない。
                それには出生率を引上げるということに主力をそそぐということにしなければならない。
                 

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                「人口問題」

                2020.02.21 Friday 09:05
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                  以上二つの人口の減損を併せてみれば近代戦がいかに人口増加に影響するかということと、この人口の欠損を速かに埋め合せることがいかに重大であるかは明瞭であろう。
                  事変下わが国の出生死亡の変動即ち人口動態にも程度の差こそあれ同様の影響を認める事が出来る。
                  昭和十三年においては前年に比べて二十五万余の出生が減少し戦病傷死を除いて五万余の死亡が増加し、その結果三十万以上の自然増加の減少を示している。
                  かように戦争によって自然増加の一部を失う事は誠にやむを得ないところであるが今日自然増加の一部を失う事は近き将来において父たり母たる者を失うことであって人口増加の将来に永くその影響をとゞめることをも深く考えねばならない。
                  更に重要なことは戦争が人口増加のいかなる時期に起ったかによって大いにその影響する程度が異なるという事である。
                  一般に出生と死亡の変動の状態によって文明国の辿った人口増加の時代を四つに分けることが出来る。
                  即ち死亡率が絶頂に達して低下に転ぜんとし、出生率が上昇して自然増加の増大する時代これを第一期とする。
                  第二期は出生率が低下し初めるが死亡率が一層急速度を以て減退しその結果自然増加率が益々多くなる時代である。
                  第三期においては死亡率低下の速度が漸次緩やかになり遂には停滞状態に達し、出生率の減退がようやく著しくなって遂には釣瓶(つるべ)落しの状態となってくる。
                  この状態が進むと出生率は死亡率と交叉して死亡率以下に下ってしまう。
                  一方死亡率は徐々に高まってくる。もはや人口は増加するどころかかえって減退しはじめる。
                  この時代が即ち第四期である。第一期に起った戦争の人口に対する影響は比較的容易に埋め合わされる傾向があるが、第二期の終り以後に起った戦争の影響はそう容易には快復され難い。
                  それどころか出生減退に一層の拍車を加えるのである。
                  ドイツは第二期の終りで世界大戦に遭遇し驚くばかりの出生減退を惹起し、彼の大がかりなナチスの人口増加政策は一度下がった出生率を恢復するのが容易な業でないことを如実に物語っている。
                  第三期で大戦に参加したフランスは今日ではもはや第四期に入った。
                  この度の戦争においても人員の配置にいかに苦慮しいかに人員の損耗を恐れていたかはドイツのスカンジナヴィヤ作戦以来独軍のパリ無血入城に至るまでの戦闘の経過が明らかにこれを示している。
                  フランス華(はなや)かなりし頃欧州をかけ廻ったナポレオンは一八○七年二月アイラウの戦の夕少なからぬ兵力の損害を打眺めて「パリの一夜は総てこれを補うであろう」と豪語したということである。
                  それに引かえ世界大戦当時フランスのある将軍は、マルヌの戦線において今少しの壮丁があらばフランス軍は独力を以てラインの彼岸に独軍を追撃し得たであろうと慨歎したという話である。
                  フランスの出生減退、人口増加の停滞はさきの世界大戦によって遂に決定的となった。
                  フランスは今日ドイツに屈伏した。
                  それは前大戦以後におけるフランス人口の動向に徴すれば恐らくフランスの免れ得ない運命でもあったろう。
                  ロシヤ帝国の帝国主義の魔手が我が国に迫って来た時、決然として我国は日露戦争を戦い、白人帝国を打ち破って有色人種に歓呼の声を挙げしめたのであるが、その時の我国人口は正に第一期の中葉に該当していた。
                  しかし現在我国の人口状態は後に述べる様に既に第二期の終に近づいている。
                  今次事変と日露戦争とその規模において格段の相違のあることはいうまでもないが、人口の時代を異にしていることをも忘れてはならない。
                  わが国人口増加の将来に関し事変下の今日大いに戒心すべき要ある理由の一つは正にこの点に存するといわねばならない。
                  次にわが国を囲繞(いにょう)する諸民族特に大東亜共栄圏内の出生率について比較しなければならない。
                  世界人口の五分の一を占める支那民族の出生率は不明であるが、少くとも人口千につき四○以上であることを推定すべき根拠がある。
                  二億に垂(なんな)んとする人口を擁するソ連の出生率は四○に近いと推測することが出来る。
                  三億五千万の人口を包含する印度は三五、フィリッピンは三七、海峡植民地三八という著るしい高率を示し、これらと比較すれば我が国の出生率は正に最低である。
                  もっともこれらの民族においては死亡率も極めて高く自然増加率は出生率の高いほど著しくはないのであるが、以上の出生率はその潜在的増殖力のいかに著しいかを示すに十分であって一度治安が確立され経済生活の安定向上が確保されるにおいては驚くべき増殖力を確保すべきは推測に難くない。
                  次に昭和十六年二月十二日発行の情報局週報にこう出ている。
                  日本の人口が支那事変の始まるころまで年々百万人に近い増加をつづけてきたということは、一見すると日本民族の限りなき発展を約束しているように思われる。
                  しかし実はこれは大きな錯覚である。日本の人口が年々百万人に近い増加をつづけてきたということは疑う事の出来ない事実であるが、それは必ずしも日本人口の悠久の発展と増加とを約束しているという楽観的に考えることはできない。
                  人口の増加というものは、死ぬ者よりも生れるものが多い場合におこる事である。
                  そこでその毎年の生れる者の数をその年の人口に割り合わせて出生率を算出してみると日本における人口の出生率は明治の初年から大正九年までの約五十年間は年とともに上昇の勢をつづけてきたが、それが、このときを境としてにわかに急激な落勢に転じてきた。
                  すなわち明治三十二年の出生率は人口千について三一・三三、明治三十三年のそれは三一・六九であった。
                  そしてそれが大正九年には人口千につき三六・一九となってこの期間に我が国の出生率は人口千について、四・八六を増したことになっているが、それから後は年とともに出生率が低くなって昭和十二年にはついにそれが三○・六一となっている。
                  これは大正九年からかぞえてわずか十六年の短時日の間にわが国の出生率が人口千について六・五人も少くなってきたという勘定になる。
                  これは日本人の子を産む力が短時日の間にそれだけ衰えてきたということになる。
                  日本人の子を産む力が、かように大正九年を境として急に衰えるようになってきたにもかかわらず、その増加力がそれ程衰えないでなお年々百万人に近い増加をつづけることが出来たというのはなぜであるか。
                  その原因は一に全く死亡率が出生の低下にともなって低くなってきたということにある。
                  日本の死亡率は出生率の場合と同じく明治の初年から大正九年の頃までは年とともに高まって来たが、それがこのころを境として急激に低下の勢いに転じている。
                  即ち明治三十二年の死亡率は人口千について二一・○五、明治三十三年のそれは二○・三一であったが大正九年には二五・四一となって、この約五十年の間は死亡率が千について五・一を加えているがそれがそれからは出生率の場合と同じように急激な低下の勢に転じて、昭和十二年には一六・九五となっている。
                  そしてこのわずか十六年の間にわが国の死亡率は人口千について八・四六も低くなっている。これはまことに驚くべきことである。
                  日本の出生率が前の世界大戦を境としてにわかに急激な低下の勢いを示してきたにかかわらず、その人口増加の勢いがそれ程に衰えないで年々百万人に近い増加を続けてくることが出来たのは全くかように死亡率が低下してきた結果である。
                  出生率と死亡率とが相ともなって低くなってくるということになるとその結果として人口の将来はどういうことになるか、これはヨーロッパの諸国ではすでに経験ずみのことである。
                  出生率と死亡率とが低下の勢いに逆転した結果ヨーロッパの国々の人口はどういうことになったか。
                  その第一の結果はこれらの国々では人口そのものがだんだんに少くなってついには民族そのものが自滅してしまうようになるということを心配しなければならないということになってきた。
                  出生率と死亡率とが一緒に低下するようになった場合にその人口が将来において自滅の運命をたどることになるというのはなぜか、そのわけは出生率の低下する勢いには際限がない。
                  極端な場合には出生する者が一人もなくなるというようなことすら想像することが出来るけれども、死亡率の低下の勢いには一定の限度があってそう無やみに低下するものではないからである。
                  むかしの人がかつて空想したように不老不死の秘薬や妙法でも発見されるということにでもなればそれはまた別のことである。
                  今日までに世界の人類が経験したところでは死亡率を人口千について一○以下に引き下げることはなかなかむずかしいことである。
                  世界のうちで死亡率のもっとも低いのは、今日では濠州とニュージーランドである。
                  そこでは死亡率がすでに二十年も前から人口千について一○以下になっているが、これは世界の最低率である。
                  ヨーロッパの文明国のうちでもっとも低いイギリスでもその死亡率は人口千につき一一・六(昭和十三年)ドイツでも一一・七(同年)になっている。
                  これらはおそらく人類の到達することの出来る最低の死亡率を示しているものとみなければならないであろう。
                  それでこれまでのように日本でも出生率と死亡率とがヨーロッパの諸国におけると同じになるまで急激な低下の勢をつづけて行くことになるとすれば、その結果はどういうことになるか。
                  わが国でもそれらのヨーロッパの諸国におけると同じように民族の自滅することを心配しなければならない時がくるに違いない。

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                  「人口問題」

                  2020.02.20 Thursday 08:27
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                    「今日世界の文明国において、最も重要なる問題として関心を払われつつあるものは何といっても人口問題であろう。
                    それは民族興亡の根本をなすものであるからである。
                    一国の富強はアダム・スミスのいった「人口増殖力に関っている」との言葉は全く至言である。
                    又ムッソリニは伊太利(イタリア)国民に向って「最大の出生率と最小の死亡率とを挙げよ」と叫んだのもこの意味に外ならない。
                    この様に人口問題が痛切な意味を持ち始めたという事は実に十九世紀以後の事である。
                    勿論十八世紀以前にはいずれの国も統計が完備していなかったから正確な数字は知る由もないが、少くともある一国家又は一民族が戦争や天災の為一時的人口の衰退を来した事はあるであろうが、今日のごとき非文化民族以外の全文化民族が一列に人口増加率低減というがごとき現象は全く未曾有の事であろう。
                    もし何世紀か前に今日のような人口低減の趨勢が始っていたとしたなら恐らく現在のごとき文化民族の興隆はあり得ない。
                    であるばかりかあるいは滅亡かあるいはアイヌのごとく僅(わずか)に残存しているに過ぎない状態になっていたであろう。
                    従って勿論今日のごとき絢爛たる文化の発展はあり得なかったであろう事である。
                    そうしてまずこの問題に対して何よりも疑問を起さなければならない事は人口増加率低下が初まったのは十九世紀初頭からであるとすればその初まった時期からあまり遠からざる以前そうしてそれは十八世紀以前には全然なかったであろう何らかの特殊方法を各文化民族の人口全体に対して施行せられたという事が考えられなければならないのである。
                    であるからそのある方法なるものを探求してその本体をつきとめなくてはならない。
                    勿論文化民族全体に施行せられるという事は何の疑いもなく可と信じたからである。
                    しかるに可と信じた事でもそれが何年か何十年かは可の成績を挙げ得ても、それより一層長年月に渉るにおいて可が転じて不可となるという事も考えられる訳である。
                    しかしながら人間の弱点として一度可と信じた以上たとえそれが不可の現象が起っても強い先入観念に打消されて気が付かないという事もあり得るのである。
                    それはちょうど邪教に一度迷信したものがいつか邪教の本体が暴露されてからでも先入観念に打消され理屈をつけて依然として盲信を続けているという事実と等しいものであろう。
                    右のごときある方法ーそれを発見することがこの大問題を解決する鍵である訳である。
                    しからばその謎のごときある方法とは何であろうか。
                    しかしながら右の謎を露呈する前に現在我日本及び世界各国における人口動態の趨勢を示してみよう。
                    昭和十五年十二月八日発行内閣週報にこう出ている。
                    (我国の出生率は大正九年の人口千につき三六を絶頂として漸次低下の傾向を示し昭和十一年には三十台を割り、同十二年には三一を示したが同十三年には事変の影響を受けて二七という率に下っている。
                    しかしイタリアの二三、ドイツの一九、米国の一七、英仏の一五に比ぶればなお相当に高率である。
                    しかしこの事実は決して我国現下の出生率低下を楽観すべき理由とはならない。
                    元来出生減退の原因は今日なお必ずしも明かでないのであって人口問題の重要な研究問題の一つではあるが、欧州文明国の経験は戦争は出生減退の原因ではないがその恐るべき促進要素である事を教えている。
                    又一度開始した出生減退は驚くべき加速度を加えて急激な低落を演ずるに至るという事、更に又一度低下した出生率は回復がいかに困難であるかという事を如実に物語っている。
                    なお出生減退は、一般に優れた資質の人口の増殖量の低下を来し劣悪なる資質の人口の増殖力は依然として高いから、いわゆる逆淘汰即ち質の優れたものが減って悪いものが増えるという傾向を促進するといわれている。
                    この点からみると人口の資質の向上を計るには出生が多くなければならないといわねばならない)
                    次に人口問題と戦争についての例を挙げてみよう(同週報による)。
                    今試みに最近の最も典型的な近代戦であるさきの世界大戦におけるドイツの一例を示せば、
                    ドイツは前後四年間にわたって一千三百万余の壮丁を動員し、その戦死は百八十五万の多きに達したと言われている。
                    百八十五万の戦死は決して少くないが出生は減少し一般の死亡が殖えた結果ドイツの失った人口は四百二十万に達し戦死の二倍半という驚くべき多数に上っている。
                     

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                    「明日の医術 第一編 序論」

                    2020.02.19 Wednesday 08:15
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                      この不思議な現象はいかなる訳であるかということを述べてみよう。
                      元来、学問とは、前人によって作為されたところの事物、法則の歴史であって、過去の知識である。
                      未来の分野に対する開拓的知識であるよりもただ基礎としての価値である。
                      言わば、既成的定型的知識である。従って、未来の夢を現実にしようとする場合むしろ学問が邪魔になる事さえあるのである。
                      その固性化したところの定型的理念がその夢を否定しようとするからである。
                      しかるに、偉人とは、すべてその企図や行動が型破りならざるはないのである。
                      既成の型や過去の知識の否定によってこそ新しい物が生れるのである。
                      そこに飛躍がある、昨日の文化は明日の文化ではない。
                      勿論、いかに新しい発見や発明といえども無から有を生ずる魔法ではない。
                      永い間前人が築き上げた歴史の土台の上に打ち建てられるものには相違ない。
                      そうして学問は、既成の型を絶対の真理として信奉する結果、それが往々有用なる発見や発明を阻止し、否定しようとするのであって面白いのはその役目をその時の有識者がする事もあるのでせっかく人類に役立つ立派なものが一時押えつけられるという例もよくあるのである。
                      そうして一体、医学の目的は何であるか。いうまでもなく医学の為の医学ではない。
                      病気を解決せんが為の医学であらねばならない。
                      それは、あらゆる病原を闡明(せんめい)し、あらゆる病気を治癒し、健康を増進せしむる事である。
                      即ち病気のない人間病人のない家庭を作る事である。
                      人口増加が旺盛で、これに関して政府の施設など要しない国家たらしむる事である。
                      結核療養所も精神病院も漸減し、体力管理も健康診断も不必要になる事である。
                      以上のような方向に少くとも一歩一歩近づくというそうなる事が、医学の進歩であって、そうならせる力それが真の医学であると私は思うのである。
                      しかるに何ぞや、現在の状態を見るがいい。右に述べた事とおよそ反対の方向に進んでいるではないか、それはいかなる訳であろうか、これらの現実に対して、専門家は勿論の事、政府も国民も何ら疑問を起さないのである。
                      実に不可解極まる事と私は思うのである。この不可解極まる世紀の謎は、この著書によって明かになるであろう。
                      しかし、飜(ひるがえ)って省察する時、それは理由がある。
                      現代医学のその容装の何と絢爛たる事よ、顕微鏡の進歩は細菌の発見となり、解剖学やレントゲン等によって人体内部はますます闡明され、各般に渉っての分析は微に入り細に渉って幾多の発見となり、薬物光線その他の療法はいよいよ種類を増し、手術の技巧は巧緻を極め機具や設備や消毒法等は実に完璧とさえ思われる程である。
                      これらによって、医学がすばらしい進歩を遂げつゝありと思うのも無理はないのである。
                      そうして、文化民族が私のこの理論を肯定するか否定するかによって、その運命は決定するのである。
                      もし、肯定を遅疑し、又は否定するとすればそれは滅亡への前進を速めるばかりである。
                      しかし、反対に肯定するとしたら、それは永遠の光明と繁栄への道へと進むのである。
                      従って、医学専門家の一人でもいい、私の説による「医学の創始」に着眼せられたい事である。
                      それは確かに医学の革新であり、明日の医術への出発であり、未来の科学の創建への第一歩となるであろう。
                      又、今日まで医学として、真の意味における日本医術はなかったと私は惟(おも)うのである。
                      帰する所、西洋、支那、印度等において創始された医術を日本化したまでであって日本独創の医術ではない。
                      しかし、私の提唱するこの医術こそ、それは真の日本医術として永遠に誇るに足ると惟うのである。
                      又、私は常にこういう事を思うのである。今日本が、中国や南洋の占領地帯ヘ、宣撫班を派している、そうして宣撫班の主点は何といっても医療によって、彼らに日本の文化の発達を示しその恩恵を知らしめる事である。
                      しかし、一歩進んで考える時こういう結果になるのではなかろうか、それは、その医療が効果のあった場合、日本人の優秀を信ずるよりも、まずその医学の創始者である西洋人の優秀性を感ぜずには措かないであろう。
                      そうして、日本人の偉さは、西洋人の作品に対し、その模倣の巧妙さを讃えるというそれ以上には出でないであろう事である。
                      この意味において私のこの医術を以て彼らを救う場合、西洋医学より効果の大であればあるだけ心底から日本人に服するという事は自明の理である。
                      しかも機械も薬剤も何も要らないのであるから、いかなる僻地といえども容易に実行し得らるゝのである。
                      今日の社会において、あらゆる不幸の最大原因は何であるかというと、まず病気そのものであるといえよう。
                      ここに一人の病人が出来たとする、たまたまそれが結核とかそうでなくとも何とか名のつく病気とする。
                      それは誰しも直ちに医師又は病院に診察を乞い、治療を受けるのが常識である。
                      しかるに、医療においては少し重い病気はまず安静を第一とする。
                      次いで、服薬、注射、氷冷、湿布等々複雑多岐なる療法を行う。
                      しかるに、容易に治癒しない。やむを得ず患者は、医師又は病院を替える。
                      それでも治らない。その場合、余裕のある人程治りたい一心で、費用や時間に構わず何個所も病院を更(か)える。
                      ちょうど病院遍歴者である。
                      しかし、いかに焦っても治るはずがない。
                      何となれば、何軒歩いた所で西洋医学という一つの根本理論から成立っている療法はどこへ行っても大同小異であるからである。
                      故に、最初の医師で効果がなかったものは、同様の学歴によって修得した次の医師も左程異るはずがない。
                      たゞ医師によりその才能の特に優れた人は、診断、技術、精神的方面等綜合して良い結果を生むという例はない事はないが、それらは一般には当嵌(あてはま)らないのである。
                      そうして何程病院通いしても入院しても治らない。
                      患者は煩悶懊悩(はんもんおうのう)する。
                      そういう頃になると大抵な人は貯金は費い尽し、しかも、主人である場合、長い間職業を放棄しているので、収入は減少又は杜絶して借金は出来る、勤務先からは馘になり進退ここに谷(きわま)るという、いとも悲惨な状態は今日随所に見らるゝ事実である。
                      又患者が妻女又は子女である場合、病気が数年に渉るにおいて一寸した財産は蕩尽してしまうであろう。
                      そうしてその結果生命を失くするというに至っては、それまでの多額の費用はほとんど無駄に捨てたも同然である。
                      即ちその莫大なる費額の代償として得たるところは長日月間の苦痛と「死」そのものである。
                      噫(ああ)、あわれなるものよ!「汝の名は現代の人間である」と言いたい位である。
                      まず二、三人の子女を次々右のごとき病気の経路と死を繰返すにおいて、大抵な財産は蕩尽され、老後の希望も楽しみも消失して絶望の極(きわみ)、敗残者のごとき生活に陥ってしまったという不幸な人の例も、私は余りにも多く見たり聞いたりしたのである。
                      かくのごとき高価なる犠牲を払って、かくのごとき不幸なる結果がその代償であるという事実は何を物語っているのであろうか、その理由は簡単である。
                      現代医学は、病気を解決するには余りにも無力であるという事である。
                      この著書においての主眼とする所は、人口問題であって、それは文化民族の増加率が低減するという事が、その帰結として、ついに滅亡への運命を示唆していることである。
                      彼の独逸の人口統計学者として知られているブルグドエルファー氏の推計した所によると今から約百十年を経た西暦二○五○年頃になると、独逸の人口は二千五百万人になってしまうという事である。
                      これは今日の独逸の人口六千七百万人に比ベるとほとんど五分の二に近い数に激減してしまう事になる。
                      又、イギリスのエニッド・チャールス女史の研究によるとイギリスの人口が、これからも今までと同じ様に出生率と死亡率とが一緒に下ってゆくとすれば、イギリス今日の人口は約四千六百万人位であるが、今から百年後にはその十分の一以下の四百四十万人になってしまうというのである。
                      しからば我日本における統計はどうであろうか。
                      我国統計学の権威中川友長博士の推算によると、昭和十五年の現在数七千三百九十三万九千二百七十八人が今日までの割合で推移するとして六十年後の昭和七十五年には一億二千二百七拾四万一千七百七十七人となり、これを極点として減少し始め、それより二十年後の昭和九十五年には一億一千五百四十六万五千三百八十六人になるという事である。
                      右の計算を以てすれば独逸は五百五拾年後にはただの百六十万人となり、英国は向後二百年にして四十四万人となり、日本は四、五百年にして零になるという計算になるのである。
                      右は統計を基礎としての予想である以上相当の信をおいてよかろう。
                      実に、この問題に直面する時何人といえども恐怖と戦慄に襲われない訳にはゆくまい。
                      私はこの大問題こそ、東亜共栄圏の問題よりも、世界新秩序の問題よりも、幾層倍、否幾十倍もの大なる問題であり、絶対的解決を要すべき問題であると思うのである。
                      以上のごとく十九世紀から二十世紀にかけて、この人口減少という恐るべき現象が起ってきたのはなぜであろうか、そうしてこの不思議な現象は十八世紀以前には無かったと思うのである。
                      何となればもしいつの時代かに始まっていたとすれば少くとも今日までに文化民族は滅亡か、あるいは滅亡に近い運命になっていなければならないはずであるからである。
                      そうしてこの人口低減という二十世紀の謎の本体は何であるか。
                      読者よ驚くなかれ実に医学の進歩そのものであるという事である。
                      嗚呼歴史あって以来かくのごとき意想外極まる問題はあったであろうか。
                      私は文化民族が三、四、五百年にして全滅するという統計を示したのであるが実は私の観る所ではもっと速くあるいは二、三百年以上は困難ではないかと思うのである。
                      何となればその原因が医学の進歩による逆効果である以上医学が益々進歩するとすれば現在程度の医学で樹てた予想よりもより悪い結果を来すべきは当然の帰結であるからである。
                      しからば右の逆効果という意味はいかなる訳であろうか。
                      これを徹底的に露呈闡明し真の日本医術を創建し、滅びゆかんとする人類幾億の精霊を救済せんとする一大本願がこの著書となったのである。」

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