「非科学的医学」

2020.03.30 Monday 06:28
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    次に私は、種々の例を挙げてみよう。
    ここに、医家の子女が病気に罹ったとする。
    しかるに、不思議な事には、大抵は父である医家が診療しないで、友人等の他の医師に依頼するのがほとんどであろう。
    常識で考えても大切なわが子女の病気を、自分の手にかけないで、他人の手に委せるという事は、ないはずである。
    それらは全く自己の医術に自己が、信頼出来得ないからであろう。
    実験上、自分が診療するよりも、他人に委した方が、より結果が好いからである。
    しからば、これはいかなる訳であろうか。
    医家としても、恐らくこの説明は出来得ないであろう。
    それに対し私はこう思うのである。
    医学は、浄化停止であるから、医療を加えるほど病気は悪化する。
    わが子女である以上、熱心と、能うかぎりの療法を行う。
    勿論、薬剤も高級薬を選ぶであろう(高級薬ほど、薬毒が強烈である)から、結果はわるいに定(きま)っている。
    しかるに、他人においては、普通の療法を行うから悪化の程度が少い。
    それで、治癒率が良いのである。又、医家において、こういう経験が良くあると聞いている。
    それは、是非治したいと思う患者ほど治り難く、それほど関心をもたない患者は、反って治りが好いということである。
    これらも、前者と同様の理に由る事は勿論である。
    又、少し難病になると、医家の診断が区々(まちまち)である。
    一人の患者に対し、五人の医家が診断するにおいて、おそらく五人とも診断が異るであろう。
    これらも、科学的基準がないからである。
    故に、私は、医学は機械的ではあるが、科学的ではないと言うのである。
    そうして、西洋医学の診断及び療法が、いかに無力であるかを、最近の例を以て示してみよう。
    それは、先頃物故した、帝大名誉教授長与又郎博士である。
    同博士は、癌研究においては、実に世界的権威者とされている。
    それで、同博士は以前から「自分は癌で斃(たお)れる」と言われていたそうであるが、果せるかな、死因は癌病であったのである。
    発病するや、各名国手(こくしゅ)も、博士自身も、疾患は肺臓癌と診たのであった。
    しかるに、死後解剖の結果、癌の本源は腸に在って、それが、肺臓内へ移行したとのことであるから、この腸癌は、生前発見されなかったのである。
    この事実によって、私は冷静に検討してみる時、こういう結論になると思う。
    一、長与博士程の大家が、自身の癌発生を防止し得なかった事。
    二、又、自身腸癌の存在が、明確に知るを得なかった事。
    三、各国手が診察しても、腸癌の発見が出来得なかった事。
    四、博士自身は固より、各国手がいかに協力しても治癒し得なかった事。
    右に対し、私は多くをいう必要はないと思う。
    ただ、現代医学の価値を、事実が証明したと思うのである。
     

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    「非科学的医学」

    2020.03.29 Sunday 06:43
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      「今日、いかなる人といえども、西洋医学を以て科学である事を信じない者はないであろう。
      しかし私は、西洋医学は科学とは思えないのである。
      本来、自然科学とは、あるがままの自然の実体を掘り下げて、その法則を知る事である。
      そうしてそれによって文化の進歩向上に役立たせる事である。
      従って、真に自然の法則を把握するにおいては一定の規準なるものが生れるはずである。
      しかしながらそれは人間以外のものであって、たとえば動植物は固よりあらゆる無機質類に至るまで、科学する事によってその本質を把握し、法則を、基準を知り得る事は明かである。
      右のごとく科学は、人間以外のすべてに対して神秘を暴き、福利を増進せしめ得るので、その功績に幻惑し、人間をもそれと同一であると思惟し、科学し続けているのであるが、その事自体が一大誤謬である事を私は発見したのである。
      私の言わんとする所はその点であって、人間なるものは一切とは別の存在で、他の一切の範疇には入らない事である。
      即ち人間は現代科学では絶対解決出来得ないという事をまず知る事が人間を科学する法則の第一歩である。
      そうして、人間以外の一切を科学する方法がことごとく機械によっている。科学と機械とは分離出来得ない事実である。
      従って、人間の生命をも機械によって解決しようと企図したのが西洋医学の根本理念であった。
      右の意味を端的にいえば、本来唯心的である人間に対し、唯物的に解決しようとする…それが根本的誤謬である。
      何となれば唯心的である人間に対しては唯心的に解決すべきでそれが真の科学的法則であろう。
      勿論人間は肉体を有ってはいるが、その肉体といえども、人間においては唯心的に解決され得るので、それが根本原則であらねばならない。
      そうして唯心とは精霊であり、唯物とは肉体であるが、その関係は別に詳細説くつもりである。
      これによって、真の意味における人間科学を知り得るであろう。
      勿論、非人間科学と人間科学との隔たりがいかに大きいかという事も知り得るであろう。
      これを識るにおいて、現在の唯物的科学を以て人間に対する時、それは非科学的になる事である。
      以上の意味によってモルモットや二十日鼠をいか程研究して人間に応用しようとしても、それは意味をなさないのである。
      又第一人間と他の動物とを比較してみるがいい。その思想感情や、その形体動作、体質、食餌、生活等あらゆる点において人間との異いさの余りにも大きい事である。
      彼は足が四本あって尾があり直立して歩けない。
      全身の厚皮、硬毛は勿論、言語も嗅覚も聴覚もすべての異いさはこれ以上書く必要はあるまい。
      その位異う動物を研究したとて、人間に当嵌まる訳はないのである。
      故に一言にしていえば、形而下的理論と方法を以て、形而上の問題を解決しようとしているのが、現在までの医学である。
      この意味において、医学上進歩したと思惟し、発見し得たと喜ぶあらゆる方法は、実は真の解決ではなく、一時的非科学的解決でしかないのである。
      しかもその一時的解決とその方法が、反って、その方法施行以前よりも悪結果を及ぼすという事に想い到らない…その短見である。
      故に、医学は進歩したというに拘わらず実際において、病気が治らない。病人が増える体位が低下する。
      結核の蔓延、人口の逓減等々の逆効果の顕著なるのは、やむを得ない事であろう。
      以上は全く、私の言う、非科学的医学の進歩による逆効果に外ならないのである。
      そうして、現代人の中にも、西洋医学の余りにも無力であるのに対し、漢方医学や鍼灸や民間療法に趨(はし)る者が、日に月に増えつつあるのも周知の事実である。
      又、医学専門家の中にも、漢方医学を研究したり、灸点を応用しているという話も往々耳にするところである。
      しかしながら一般人としては、西洋医学の無力と不合理を疑いつつも、誤謬の一部をさえ窺知し得ないが為、それに生命を委するより外、途がないというのが、現在の社会状態である。
      彼のロックフェラー研究所の碩学アレキシス・カレルのノーベル賞を貰った名著「人間と未知なるもの」の要旨を一言にしていえば、現代科学は「人間については何も知らない」…ということである。

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      「種痘は如何にすべきや」

      2020.03.28 Saturday 06:31
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        「私は、国民体位の低下と、あらゆる病気は種痘が主なる原因であるという事を説いたのであるが、しからば、種痘を直ちに廃止すべきやというに、それは勿論困難である。
        何となれば、せっかく天然痘疾患を免れ得ている現在の人間が、再び天然痘に罹病するという事は、堪え得られぬ苦痛であるからである。
        この意味において、私は漸減的方法を採ればいいと思うのである。
        それはまず薬剤の廃止を行い、人間から薬毒を漸減せしむる事である。
        勿論、本療法を施行すれば早いが、そうでなくとも自然によっても漸減する事は言うまでもない。
        そうして人間の体位向上に比例して種痘を減少するのである。
        それは毒素の有無によって明かであるから、その毒素の有無を確実に知る方法があればいいのである。
        しかるに、それを知る方法としては、本医術を修得すれば、何人といえども容易に発見し得らるるのである。
        そうして腎臓医術の項目に詳説したごとく、腎臓の活動を完全にするにおいて、いかなる毒素も排泄され得るのであるから、天然痘毒素といえども解消する事は勿論である。
        右のごとくにみて、種痘廃止という問題も、左程困難でない事を知るであろう。」 (「明日の医術 第1編」より)

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        「薬 毒」

        2020.03.27 Friday 06:17
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          次に、今一度私の事を言わして貰おう。
          元来私自身は、生れながらにして頗る虚弱者であったから、四拾歳位までは、人並以上の薬剤崇拝者で、ほとんど薬びたりという程で、それまでは、健康時より罹病時の方が多かったのである。
          しかるにたまたまある動機によって薬毒の恐るべき事を知り、断然廃めたのであった。
          それから年一年健康に向い、二拾数年後の今日では、実に壮者を凌ぐほどの健康体である。
          又私の家族十数人も、今日稀(まれ)にみる健康体の者ばかりである。
          その他私の説を信じ、それを実行している人達は例外なく、年々健康になりつつあり、健康家族が造られつつあるに察(み)ても、疑う余地はないのである。
          私はここで、今一つ重大な事を述べなくてはならない。
          それは薬毒保有者は、左のごとき悪影響を受ける事であって、それが多量ほどはなはだしいのであるが、世人は全然気が付かない事である。
          一、常に不快感のある事。
          二、頭脳の活動が鈍くなる事。
          三、身体の動作が弛緩する事。
          右の三項目について詳説してみよう。
          一、の不快感は、薬毒集溜個所に微熱があるから、局部的又は全身的に悪寒があるので、常に普通以上寒がるのである。
          又、何事を為すにも億劫(おっくう)がり、寝る事を好み物に倦(あ)き易く長く一つ事に携わる事が出来ないのである。
          そうして物事の解釈はすべて悲観的となり、常識を欠き、陰欝を好み、従って、晴天の日より雨天の日を好むのである。
          又腹立ち易く、はなはだしいのは自暴自棄的になったり、又常にクヨクヨとして、いささかの事も気にかかり、ヒステリー的ともなり、自分で間違っている事を知りながら、どうする事も出来ないという状態で、又それを煩悶するという事になり、最もはなはだしいのは厭世的となり、廃人同様となる人さえある。
          一家にこういう人が出来ると、他の者まで影響を受けて、家庭は暗く、争いの絶間がないので、人生の幸福を得る事は到底期し難いのである。
          二、現代人は非常に頭脳が鈍くなっている。
          従って、記憶の悪い事も夥(おびただ)しい。
          故に、今日重要なる地位にある人の講演が、ほとんど原稿なしではやれないというようになっているが以前は原稿を持つ事は恥のようにされたという事を聞いている。
          幕末期、彼の杉田玄白や高野長英等の人々が蘭学を翻訳するに当って、参考書も碌々(ろくろく)ないのにともかくやり遂げたという事は、余程頭脳が良かったに相違ないと思う。
          現代人にはそういう人はほとんどないであろう。
          又弁慶が安宅(あたか)の関において、白紙に向って勧進帳を詠んだごとき、稗田阿礼(ひえだのあれ)があれ程浩瀚(こうかん)な古事記全巻を記憶していたごとき実に日本人の頭脳の優れている事は、世界無比であろう。
          又、現代人は簡単明瞭な所説では、充分頭へ入らないようである。
          くどくどしく、微に入り細に渉り、又種々の例証を挙げて説かなければ、会得が出来ないようである。
          本来、頭脳の良い人は、一言でその意を悟り得るのである。
          昔の諺に「一を聞いて十を知る」という事があるが、現代人は「十を聞いて一を知る」のが関の山であろう。
          又、実際よりも理論を重んずる傾向があり、その為に、医学なども理論に偏し、実際を無視したがるのである。
          又、政府が新しい施設や政策を行う場合、国民に対してラジオや新聞やポスター等、これでもかこれでもかと宣伝に努力しても、国民が速かに理解し実行しないという事実は全く今日の国民全般の頭脳が鈍くなっているからであると惟(おも)うのである。
          三、現代人の動作の遅鈍なる事は、またはなはだしいのである。
          これは、国民の大部分がそうであるから気が付かないのである。
          特に、都会人の歩行の遅い事は驚く程である。
          これは身体が鈍重である為である。
          昔の武士や武芸者等が、咄嗟の場合、飛鳥のごとく身をカワしたり、又飛脚屋が一日二十里を平気で日帰りしたりしたというような芸当は、現代人には到底出来得ないであろう。
          元来、日本人は、外国人に比べて非常に身が軽く、動作が敏捷(びんしょう)であるのである。
          日本人の飛行家が特に優秀であるのは、何よりの証拠であろう。
          従って、人間の不幸も争いも、その根本は、薬毒にあるといっても過言ではないのである。
          故に、薬毒のない人間の社会が出現するとしたらいかに明朗であるかを私は想像するのである。
          全く薬毒が無くなった人間は、頭脳明晰で、爽快感に充ち、生々溌剌としているのである。」 (「明日の医術 第1編」より)

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          「薬 毒」

          2020.03.26 Thursday 06:53
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            「今日まで、西洋医学においては二千五百年以前ヒポクラテス創始の医道以来、又 中国の医祖伏羲(ふくぎ)が、五千年前創始せられた医道は固よりその他幾千万の病気療養の方法はことごとく浄化作用停止又は一時的苦痛軽減の方法以外には出でなかった事は再三述べた通りである。
            そうして最も効果ありとしたものが、薬剤療法であった。
            そうして薬毒なるものは、ただに浄化作用停止だけではなく、その人間の健康に及ぼす悪影響は実に想像されない程の恐るべきものがある。
            私の長い経験によれば、あらゆる痛苦はことごとく薬毒の結果であって、痛みも発熱も不快感も疲労も神経衰弱も原因はそれであり、全身的新陳代謝の衰耗も機能の弛緩も、ことごとく薬毒の結果である。
            従って、人間の健康の良否も病気の軽重も「薬毒の多寡に因る」というも過言ではないのである。
            今日まで、人間が一度病気に罹るや、浄化作用を薬毒によって停止するが、それ以外、薬毒なる新しい毒素を追増するのである。
            その例として、何よりも周知の事実は、医師が医療を行いつつ、余病が発生するという事である。
            最初の病気を治癒する目的であるに拘わらず、第二第三の病気が発生するという事ははなはだ不合理ではあるまいか。
            即ちその療法が適正であるならば、最初の病気が軽減しつつ余病など発生すべき訳はないはずである。
            即ち拾の病気と仮定して、時日を経るに従い、九となり八となり七となるように、漸次軽減しなければならないはずである。
            しかるに何ぞや治療を施しつつあるに関わらず、十一となり、十二となり、十三となる…というように増加するとはまことに不可解極まる話である。
            これに対し、患者も医家も、何らの疑念を起さないのであるが、これは全く、医学が一種の迷信化するまでに到ったためであると思うのである。
            故に、私はこう想像するのである。
            日本人が薬剤使用を全く中止し拾年経たなら恐らく病人は半減するであろう。
            従って日本人の寿齢は延長し、数十年を経るにおいて平均寿齢八拾歳位は易々たるものであろう。
            何となれば短命とは病気に因る死であるからである。
            いわゆる不自然死である。病気が減少すれば自然死が増加する。
            自然死といえば、少くとも九拾歳以上でなければならないはずである。
            又人間が死に際会して苦痛が伴うという事は、天寿ではないからであって、天寿を全うして死ぬという場合は、たとえば樹木が樹齢尽きて自然にたおれるがごとく、いささかの苦痛もないのが当然である。
            そうして死の苦痛の原因は何か、言うまでもなく、薬剤その他の方法によって浄化作用の停止を行うからである。
            即ち自然である浄化作用を、不自然なる抑止をする…その摩擦が苦痛となるのであって、しかも、衰弱し切った肉体であるにおいて、苦痛は倍加するという訳である。
            古(いにしえ)から「人は病の器」という言葉があるが、これは大いに謬(あやま)っている。
            実は「人は健康の器」であり、健康が原則であらねばならないのである。
            神は人間をして、神の理想をこの地上に顕現せんが為に生ませられたものである…と私は信ずるのである。
            従って、その使命を遂行するにおいて不健康であってはならない。
            故に不健康という事は、人間が何らかの過誤即ち神の摂埋に反しているからで、その過誤の最大なるものが「薬剤使用」である。

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            「体位低下の真因」

            2020.03.25 Wednesday 06:31
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              「以上各般にわたる統計によって、我国における国民体位の低下がいかに寒心すべき趨勢(すうせい)にあるかは了解された事と思う。
              そうして第一篇において詳説したるごとく根本原因は勿論種痘及び薬毒である。
              そうしてその種痘なるものの本来の目的が天然痘疾患を防止するというのであるが、しからば一体天然痘疾患発生の原因である天然痘毒素の原因は何であるか…その発見こそ根本の根本であらねばならない。
              それは私の発見によれば薬毒であるという事である。
              しからば薬毒が然毒となるのはいかなる理由と経路によるかというと、それは薬毒が人体を数代通過する結果一種の毒素化するのでそれが天然痘毒素である。
              即ち遺伝によって成るのであって、医学上遺伝黴毒と名付けられているものは、実はそれを誤ったものである。
              故に何よりも天然痘患者の発疹状態が黴毒性発疹と酷似している事によってみても肯れるであろう。
              又、医家の診断によって遺伝黴毒とされた患者がその父母、祖父母、曾祖父母にそれらの病歴の無い事実によって憤慨する事がよくあるのであるが、その際医家は感染について、不品行に依らざるも、他の場合偶然的による事があると言われるので、素人である患者は泣寝入に終るという事もよくあるが、実際上不品行以外の感染は極稀(ごくまれ)にはあろうが、まず無いといえよう。
              これらの事実は全く然毒を遺伝黴毒と誤った結果に外ならないのである。
              又別の例として、我国においては天然痘発生は約千三百年以前、欽明天皇時代以後であるという事である。
              欽明天皇十三年に仏教が渡来してより、初めて各地に疫病が発生したので、時の執権者は仏教渡来によって日本の神々が御怒りになった為であるとなし仏教を禁じたのであったが、それにも拘わらず、疫病は更に減退しないので、仏教に関係はないとして再び許されたという事が史実にある。
              それはどういう訳かというと、仏教渡来以前、既に漢方薬が渡来し、それが疫病の原因となったであろう事を想像されるのである。勿論疫病とは天然痘の事である。
              そうして、薬剤によって病気を治癒しようとした先人の意図は全く逆効果となってしまったばかりか、病気治療の方法が「病気発生の原因」となり、それを繰返してついに今日のごとく体位低下の結果を来したのである。
              あたかも聖書中の有名なはなしであるアダム、イヴがエデンの園に在って、禁断の果実を口に入れてから人類の罪が発生したという事と同様である。
              次に今一つの例として、日本人の寿齢の著しく短くなったという事である。
              畏(おそれ)多き事ながら、神武天皇より景行天皇までの御歴代の御宝算は非常に御長齢であらせられ大方は百歳以上に渉(わた)らせられたという御事は歴史上明かであって、これは全く我国上代において、薬剤なるものが無かったからである…と拝察さるるのである。
              又、彼の秦の始皇帝が「東海に蓬莱島(ほうらいじま)あり、その島人は、頗る長命である」というので、いかなる霊薬があるか探し求めよとて、臣の徐福に命じたのである。
              彼は早速、蓬莱島に渡来した。勿論、蓬莱島とは我日本の事である。徐福が渡来し、いか程探し求めても、霊薬などはあるはずがない。
              何となれば、その時代の日本には、薬剤が無いから長命であったのである。
              ここにおいて、流石の徐福も本国へ還る能(あた)わずやむなく日本において生を終ったとの事である。
              それで、現に今以て徐福の墓は、和歌山の某所に在るという事である。」 (「明日の医術 第1編」より)

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              「国民体位低下の問題」

              2020.03.24 Tuesday 06:23
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                次に我国における死亡率の多い重なる病気を左に示してみよう(昭和十一年調査)。
                内閣統計局の調査によると昭和九年のわが死亡総数百二拾三万四千余人に対して呼吸器その他の結核によるもの拾三万一千五百余、死亡者千に対する比率は一○六・五でこれにつぐは下痢、腸炎による拾二万七千余、比率一○三・六、肺炎の拾二万四千余、比率一○○・五、脳溢血、脳栓塞(のうせんそく)等の拾一万四千余、比率九二・七ということになっているから、結核の最も恐るべきは明瞭である。
                これを年齢的に見る時は下痢、腸炎及び肺炎の死亡者は満一歳以内の嬰児が大多数を占め、脳出血、脳栓塞のそれは五拾五歳以上七拾九歳までがはなはだ多いのに対して、結核においては十五歳以上二十九歳までの死亡者が、最も多数を占めていることは大なる注意を要するのである。
                次に、昭和十一年六月三日の東京日々新聞にこう書いてある。
                (前説略す)
                「身長と体重とは共に増加し、一見好成績のようであるが、体重の増加率は身長のそれに伴わず結核性疾患も著しく増し、近眼、虫歯等も次第に夥(おびただ)しくなってくるというのは、国民的問題として大いに憂慮すべきところである。
                近来各種のスポーツが非常な勢いで、国民間に普及している。
                従って国民の体格健康は次第に良好に向って行くべきはずであるとは何人も推論する所であるのに、わが青年の体躯が、この悲観すべき状況にあるのはなぜであろうか。
                もとよりかような事に偶然の分子の多くあるべきわけはない。
                十分に今日においてその原因をつきとめ、この憂慮をとり除くのみならず、さらにわが国民の体格をして向上の途に向わしめることは、いわゆる更始(こうし)一新の重大なる部門でなければならぬ。
                壮丁体格低下の原因は、固より専門家の調査に待つべきもので、その結果はやがてわが幼少青年育成方法の改善の内容を指示するであろう。
                しかし大体からみて、幼少青年の発育に重大なる関係のあるのは、環境、食物、勉学、運動の四種と思われる。
                環境の身体に非常な影響のあるのはいうまでもない。
                しかし近来わが人口における都市生活者の割合は年々に増加し、都市の喧騒雑踏は次第にはなはだしくなって行くが、一方その衛生施設も徐々に改良せられつつあるから、環境的影響に大きな変化があるとも思われぬ。
                食物と肉体との相関関係に至っては今更説くまでもないが国民の食物は時代と共に次第に変化する。
                虫歯の増加等はこの食物の変化に関係あるものと考えられるから、食物衛生は国民保健の大きな問題として、専門家、実際家の研究すべき方面である。
                しかし最近一般に国民生活も向上しているのであるから、食物が非常に壮丁の体格に悪影響を与えているとは考えられない。
                しからば残るところは学業と体育の方面である。」
                小学校、中等学校その他のわが教育における被教育者の学習上の負担は、大きな問題になっている。
                殊に、入学準備教育の弊(へい)はどこでも叫ばれている。
                適当なる勉学はむしろ身体に良好なる結果を与えることは経験の示すところであるが、過度もしくは権衡(けんこう)を失せる学習の健康に害のあるのは明かで殊に興味のない受動的詰込みの心身を疲労せしめることははなはだしい。
                一方、体育の方面においては近来わが学校体操は次第に改良せられ、教練も加えられ、さらにスポーツも奨励せられつつある状況であるのに、青年の体格が、かく劣弱になりつつあることは、そこに何らか欠陥のあることを示すのではあるまいか。
                次に昭和十五年七月三十日の読売新聞にこういう記事があった。
                新聞記事
                「体育偏重が原因か、新入生の結核罹病  新制度入学が投げる赤信号」
                「学科を廃して体育を重視した今年の中等学校入学試験が生徒にどのような影響を及ぼしたか、各方面から注目されているとき、関西の某都市中等学校では、今年入学した生徒の結核による退学者が続出、ここに体育偏重の弊が叫ばれ、来春の進学準備期を控え、小学校当局はじめ一般家庭に一つの問題をなげかけました。
                右について、厚生省結核課楠本正康博士に伺ってみましょう。
                結核に冒された中等学校生徒が、入学したばかりの一年生で学年退学するという事実は重要問題です。
                一般に結核に感染する年齢は十五歳以後から二十歳前後が多くなっていますが、都会地では小学校時代に感染するものが沢山あり、大阪市の小学児童などは一年生から六年生を調べると、七○パーセントという驚くべき感染率を示し、東京市の児童は大阪より幾分少くなっていますが、それでも全児童の半数は感染しています。
                結核菌は肺臓に付着してから一年間が最も危険の時期で、この時過激な体操や運動によって身体が疲労し病菌に対する抵抗力がなくなると、発病しますが、この危険期の一年間を異常なく経過すると、病菌は固まってしまい、却って結核に対する免疫力がでてきて、発病せずに済むものです。
                ところが小学校では、簡単な聴診器だけの健康診断ですませるので、結核に感染している児童の危険状態がハッキリ判定できず、従って学校当局の体育運動は一律に行われます。
                この無理をどうやら克服し、懸垂(けんすい)その他の体育考査をパスして中等学校に入ると、運動は更に過激になり、ために感染一年以内の危険期にある生徒は、ここで全く病勢の進行から退学を余儀なくされるという気の毒な状態になるのです。
                軽微な熱がでて、身体がだるくなり、食欲が減退するという結核発病初期の症状も身体の弱い者には自覚されますが、身体の丈夫な者ほど症状が自覚されぬ為ますます運動していよいよ身体が耐えられなくなった時はじめて慌てます。
                学校当局の注意も必要ですが、この危険期を警戒するには家庭が余程の注意を払い、健康診断によって感染の時期程度を、科学的に確かめてから発病の芽生えのあるものは、過激な運動をやめて療養に努めなければなりません。」(新聞記事は以上)
                国民保健の問題について、最近の英国における状態を示してみよう。
                最近一ケ年間に、保健費用二億ポンドを支出しているが、国民の体質は低下する一方である。
                この外医療だけの費用が一ケ年三億ポンド合計五億ポンド(平価換算五十億円)に上る莫大な支出が、この上ふえては大変と議会の問題となり、英国皇帝も最近の勅語で、この問題に言及されている。
                エジンバラ大学のリレーン教授は
                「ここ二ケ年間国民体育に努力を払ったら、大いにわが国民の体格は向上する見込がある。
                もし怠れば弱小体格の回復には二世代を要するだろう。」と警告し、「オリンピック大会における英国の不振をみよ。
                これが歴史あるイートンの運動場をもつ英国人とは思われないのである。」とー」 (「明日の医術 第1編」より)

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                「国民体位低下の問題」

                2020.03.23 Monday 06:09
                0

                  次に、学生の体位はどうであろうか。
                  我国の壮丁検査に現われた国民の健康体位の現状と、都市と田舎の比較は右のごとくであるが、これを今職業別に眺めてみよう。
                  不合格者を職業別に見る時その筆頭は学生であってその不合格率は、千人につき五百数十人という、実に半数を超える不成績振りである。
                  特に東京府と大阪府のごときは六百人に垂(なんな)んとしているのには驚かされる。
                  東京と大阪の学生の体位、健康の低率振りを証明するものとして、次の様な一例証が挙げられる。
                  即ち東京市における某中学校五年の生徒中いわゆる健康生徒として、近衛師団に営内宿泊したもの九十八名につき、健康診断を行った結果は、九十八名中三十九名という実に四割が慢性の胸部疾患を持っていたというのである。
                  右の例証は実に学校当局、軍当局をおどろかせたものであるが、家庭としても国家としても学校としても、この事に深く顧みる所がなくてはならない。
                  学生のスポーツが普及発達した今日、これは全く不可思議な事に違いないが、そのスポーツの普及発達振りが誤った方向方針において行われているのではあるまいかーと疑わざるを得ないのだ。
                  スポーツなるものが、あるいは国民の体位向上の線を外れているのではなかろうかと疑うのである。
                  しかしながら学生の体位低下振りは、単にスポーツ問題のみでは片付けられない。
                  家庭、社会、国家、それから教育制度一般からの解決によらねばならぬことは勿論であるが、なお学生の体位健康につき付記したい重要な事柄は、彼ら学生は教育程度の進むにつれて、その徴兵検査不合格の率が逓増(ていぞう)して居りその原因たる疾病の程度もますます増悪しつつあるという事だ、即ち丙種の不合格者は、大学卒業者に最も多く、次が高等学校及び専門学校の卒業者で、これに中等学校卒業者、小学校卒業者という順序である。
                  ただ小学校卒業者といっても尋卒のものは高卒のものよりも却って丙種の不合格者が多いのであるが、ここにも大きな社会問題、教育問題が横わっている訳である。
                  次に、都市生活が小学児童の健康に及ぼす影響について、調査を進めている市教育局では、本年度(昭和十一年)の小学児童十二万八百七十八名から十万六千八拾五名の身体検査を行った結果、耳鼻咽喉科の患者男児九千五百六拾四名、女児八千五百九拾五名、合計一万八千百五十九名を筆頭に各種疾病の所有者が検査児童の約半数の四万三千六百七拾七名という多数を占め、うち弐百七拾参名は就学猶予という慨(なげ)かわしい状態に、今更不健康地都市の現実に驚くのである。
                  疾病児童の内訳は△眼科男四一五二、女九二二三、△皮膚科男二四六八、女一四九二、△ヘルニヤ、心音不純、気管支カタル、男二五三五、女一九○九、△骨関節筋肉故障男八四七、女五六○である。
                  次に、わが国民の近視眼の多い事実は、世界的に有名であるが、今文部省体育課が全国の学生、生徒および小学児童について行った調査は、真に恐怖すべき結果を示している。
                  すなわち大正拾一年度において、小学校では男一二・九三パーセント、女一五・二七パーセントであったものが、昭和五年には男一六・二四パーセント、女一九・六九パーセントと累進、その他の学校は大正九年度と昭和五年度とに左のごとき百分率を示している。
                            (大正九年)  (昭和五年)
                  高等女学校     一六・六三   三四・○七
                  中等学校      二一・七五   三六・三三
                  実業学校      二一・七二   三四・三八
                  節範学校(男)   二六・六五   四三・六五
                      (女)   一九・二三   四○・二五
                  専門学校(男)   四一・五三   四二・七一
                      (女)   二○・五五   五三・九八
                  これは極めて大ざっぱにいえば、小学校へ入った時は一割五分の近視眼が、中学校に入る時には二割に増え、専門学校になると五割となる。
                  これに加うるに、大体五拾歳以上の人々の老眼や乱視や斜視等を勘定に入れると実社会で活動している人の六、七割の人々が不便を感ずるなり、無用に神経を浪費するなりして、活動の能率を下げている訳である。
                   

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                  「国民体位低下の問題」

                  2020.03.22 Sunday 06:14
                  0

                    「人口問題に関連して切離す事の出来ない重要問題として国民体位低下問題がある。これについてその趨勢を示してみよう。
                    昭和十一年六月、当時の陸軍大臣寺内大将が国民体位低下の問題に対し、国民保健衛生に関する国策樹立を進言された結果ついに厚生省設置という事になったのであるが、当時陸軍省医務局の発表せる理由及び対策は左の通りであった。
                    「理 由」
                    一、欧州諸国においては大戦後著しく国民の体格が低下を来したので、これが対策樹立の為いずれも保健省若しくは衛生省を設置し、鋭意国民保健の向上につとめた結果今や国民の体質体格は著しく向上し、往年のごとき好調を回復している。
                    一、陸軍省徴兵検査の成績によれば大正十一年より同十五年にわたる検査不合格者(丙、丁種)は千人につき二百五十人内外であったが、昭和二年より同七年では右の比率が三百五十人となり、同十年では、四百人に激増し国民の体質の低下を如実に物語っている。
                    一、国民の平均身長は大正元年の五尺二寸に比して昭和十年は五尺二寸九分となり、九分の増加を示しているが、体重これに伴わず大正元年の十三貫八百匁に比して昭和十年は僅かに十四貫百匁に止まり、統計によれば過去二十五ケ年間の体重増加平均は僅かに二百七拾匁に過ぎない。
                    一、結核性胸部疾患が著増している。
                    即ち明治二十四、五年頃の壮丁(そうてい)は、百人につき二人の結核患者を出したが、今日では二十四人である。
                    一、医術の進歩医療の普及等は、結核による死亡率の低下に、ある程度の効果を示したが、結核の発生防止に対しては、全然無力なる所以(ゆえん)を実証した。
                    一、チブス、赤痢以下法定伝染病は逐年増加の一途にある。
                    一、体質体格低下の原因は、体育の不備、栄養医療の不足にあらず、根本的に母体の劣弱化に胚胎せる事実。
                    一、現在の衛生行政は、単に薬物飲食物の取締、汚物塵埃処理、健康保健制度その他に止り全体として無力統制である。
                    一、現在の保健衛生を管掌する文部、内務、逓信(ていしん)、商工、の各省間には有機的綜合性を欠如している。地方もまた同じ。
                    一、以上のごとき理由に基き、政府は各省の割拠的旧套(きゅうとう)を打破し、新に保健衛生を管掌する一省を設け、これに関する現在の省部局課を綜合し、労働保険、防疫、医療、体育等の事務を統制し、衛生行政本然の使命を達成すべきである。
                    管掌事項
                    一、人口食料問題と生活資源の分布調整
                    一、移植民に関する人的事項
                    一、国民の勤労能率及び持久性増進
                    一、国民生活必需条件に関するもの
                    一、被服、居住の合理化統制
                    一、環境への服合に関するもの
                    一、心身の鍛錬、能率増進、防疫防毒、防疫に関する衛生教育
                    一、社会衛生事業の指導監督
                    一、病院医師等人的資源の統制運用
                    一、生活科学研究機関の指導監督(内務省の衛生研究所、栄養研究所、文部省の体育研究所等を廃合し、更に保健衛生に関する研究機関を加えて、生活科学研究機関とする)。
                    さてこれらの不合格者の主なるものは筋骨薄弱であるが、この筋骨薄弱者の数は昭和七年には壮丁の三割一分七厘、同八年には三割二分七厘、同九年には三割三分七厘という具合に毎年○・一割の率で増加しつつある。
                    次に、この筋骨薄弱に続く不合格者は、結核性疾患や視力障碍や外傷性不具や短尺等がこれに続いている。
                    花柳病は田舎よりも都会に多く、中でも下層階級の労働者や職工、運転手等に多い。
                    そして地方壮丁にてこれに罹病しているものは都会へ出稼ぎに出ていたものが、大半を占めている。
                    次に、身長体重の関係をみると、過去二十五ケ年間に身長は約一寸、体重は二百六十匁の増加を見ているが、大正元年当時の身長一寸に対する体重は二百六十匁であるからあたかも大正元年当時の体格を以て、身長が延びたに過ぎない事になり、身長体重の関係ー比重は低下している事になる。
                    これと同様の現象は胸囲についても認められ、過去二拾年間というものほとんど変化を見ないのである。
                    しかも日本人の胸廓は左右径が長くて、前後径が短いという特徴を有し、欧米支人の左右径短く前後径長いのに較べて、胸囲は同一であってもその内容の劣っている事を認めなければならないのである。
                    ここに注目すべきは、体重の増減といっても体重が全身平等に増減する型と、身体の一部は肥大する代りに、他の部が痩(やせ)る型と二通りあるのであって、我国の壮丁にはこの後者の型が多いという現象である。
                    これは我国の各種の生活様式、生活設備等において、大欠陥のある事を証明する所であって国民全体がこの生活様式、設備の中において各々自発的にこの欠陥を克服するだけの意識を持つべきであると共に、この欠陥の改革から始めることが、国民体位低下の真因を根絶することになるのである。
                    軍隊生活に依って発達した壮丁の身体が除隊後一年ないしは二年の帰休生活において、入営前の身体に逆戻りしつつある現象ー殊にそれが農民や工業労働者において顕著なるをみる時いよいよこの感を深くせざるを得ないのである。
                    さて、次に壮丁に与える都会と田舎の生活の影響についてみよう。
                    昭和十一年度の受験壮丁六十余万人について調べてみると、都会に生れ都会に育った者は、不合格者が壮丁千人に付き四百十人であるに比較して田舎に生れて田舎に育った者は、不合格者が壮丁千人に付き三百十余人で田舎の方が不合格者数は約百人少い事になる。
                    しかるに田舎に生れて田舎の小学校卒業後都会に移住した者の不合格者は千人につき三百八十余人となって都会生活がいかに国民の体位に悪影響を与えるかを如実に物語るものである。
                    所が都会に生れ、都会の小学校を卒業した者はその後田舎に移住しても依然千人中四百五捨余人の不合格者を算しているからいかに幼少年時代の都会生活が、人々の体格不良の原因として決定的であるかを知り得るのである。
                    かくのごとく田舎は都会に比較して良好である事が分るが、この田舎生活もまた現在のままに放置すべからざる事は、田舎では十余年前は千人中の不合格者が二百余人であったのだから、現在においては三百人を超えるに至っているのを見る時、痛感させられる訳である。

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                    「乳幼児の死亡率問題」

                    2020.03.21 Saturday 06:42
                    0

                      しからばその真の原因は何であるか左に説いてみる。
                      この原因についてもその根本は種痘である事はいうまでもないのである。
                      即ち種痘によって母体の体位が漸次低下したからで、弱体母性から生れる嬰児が同様弱体である事は万物通有の原則である。
                      そうしてなお詳しくいえば、陰化然毒によって低下した体位に薬毒という拍車が加わりいよいよ体位が低下する。
                      故に、その母性から生れた嬰児であるから、生れるや間もなくそれら各毒素の浄化作用が発生するのである。
                      その浄化作用が即ち腸炎、下痢、消化不良となって現われるのであり、又感冒、肺炎、気管支炎、喘息等も、麻疹、百日咳、湿疹等々も勿論それである
                      (小児麻痺は霊的原因であるからその項目で説明する)。
                      右のごとき各種の疾患は浄化作用である以上、放置しておけば大抵は全治するのであるが医療によって浄化作用の抑止をされるからその毒素停滞によって衰弱に陥らしむるのである。
                      しかもそれに薬毒を追加するから益々衰弱を増し死を速からしむるのは当然な訳である。
                      しかしながらそれが成年者である場合体力が充分あるから浄化作用抑止や薬毒の為の衰弱に対してそれを堪え得るので容易に死には到らないのである。
                      特に近来母乳の欠乏者が増加したのと西洋流の人工乳で育てる誤った母性もある事が重要な原因の一つになっている。
                      特にそれは都会の婦人に多いということである。
                      そうして母乳欠乏者を検査するにその原因は大体胃弱である。
                      それは三毒が胃部に固結しており、それが胃を圧迫して胃が縮少しているからである。
                      その為食餌の量が少くその母体を養うだけが精々で母乳の作られるほどの量が入らないのである。
                      右のごとき患者に対し胃部の固結を溶解除去するにおいて食餌の量が増し、それと共に漸次母乳の量も増す事になるのである。
                      又乳頭部の周囲に毒素の固結がある場合それが乳腺を圧迫して出乳の量を少くする事があるがこれは簡単に治癒するのである。
                      又日本の幼児死亡率が独英米よりはなはだしいというのは理由がある。
                      それは祖先以来白色民族が人工乳で生育されつつあるに対し我邦(くに)は祖先以来母乳であるから、彼は発育機能がそれに慣れてしまっているに係わらず母乳に慣れた吾は人工乳が適しないという事で、それは当然あり得べきであろう。
                      造物主はこの地上に人類を造り給い永遠に繁殖すべくされたのであるから人間が子を産むという事は神の摂理である以上、生れた幼児が順調に生育するだけの母乳は自然に与えられなければならないはずである。
                      しかるに乳量が不足であるという事はそれは何らか神の摂理に反すべき理由が存在しなくてはならない訳である。
                      故にその反摂理の点を発見し反省するより外根本的解決の法はないのである。
                      しからばその反摂理とは何ぞや、それが最初に述べたところの現代医学の誤謬そのものである。」 (「明日の医術 第1編」より)

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